遺族の証言

2週間後、私は、土井の子供の一人が働く職場を訪ねた。

入り口の扉を開けると、小柄な男性がこちらに向かってくるのが見えた。私の前で足をぴたりと止めたのは、土井秀夫(仮名)だった。訪問意図を簡単に説明すると、彼は言った。

「あ、親父の話? あれはもう思い出したくないんだよ」

だが、無理やり追い払う気配はなかった。

その場を立ち去らない私を横目に、彼は、父・孝雄の死後について、渋々と話を始めた。

「絶対に書くな」と彼は言ったが、私は書くことにした。その理由は、須田や遺族を咎めるためではなく、むしろ本来は当事者なのに、第三者であるかのような対応をした病院の内実を示したいと思ったからだ。

「だからさ、あれが起きてから、俺はもう家族とは疎遠だよ。一切、口もきいてねえし、会ってもいねえよ。すぐそこに住んではいるんだけどね。俺は、あの時、仕事が忙しかったんだけど、急に病院に呼び出されてね。そりゃ、何が起きたのかまったく分かんなかったよ。俺は、お袋たちやきょうだいから、なんも聞かされていなかったから……」

事件化されたことで家族関係に亀裂が

秀夫は、両腕を組み、威圧感を漂わせる口ぶりで、私にそう言った。父が死に至った過程を、息子は一切知らされていなかった。そうした父の死に対する疑念は、4年後、事件化されたことで家族への不信に変わり、家族関係に亀裂を走らせた。

「向こう(疎遠な家族)は、須田先生とは何度も話し合いをしてきたみたいなんですよ。だからなんかあったんだろうなぁ。それで、俺が病院に駆けつけたら、急に管かなんかが外されて、注射を打たれて親父が死んじまってね。何が起こったのか、俺にはまったく分かんなかったんだよ。なんかおかしくねえかって、ずっとあの後も思っていたんだよ。何でこんな死に方をしたんだってさ。俺は、親父が意識がなくても、ちゃんと看病して家で介護するつもりだったんだよ。それがあんなふうに死んじまってさ……」

父親を介護するつもりだったと秀夫は言う。一方で、反対の考えが、彼の母親にあったことは、須田も語っていた。以下、著書の中にある母親の言葉だ。

〈私たちは家族で仕事をしていて、ひとり欠けても大変で、何の保障もありません。私も体が弱くて、ひとりで主人を看護する自信はありません。息子の嫁たちも小さな子供がいて、手伝いをしてもらうのは無理です。かといって、施設に入れるといっても、経済的な余裕もありません〉