「あれっと思ったのは結党の当日、10月3日です」
――どなたが立憲民主党と命名されたのですか。
【枝野】私です。
――党名には、どういう思いがこもっているのでしょうか。
【枝野】立憲主義を守るというのが、結党の経緯で、重要な立ち位置・柱だと思いました。立憲主義があまりにも忘れ去られていることへの危機感が背景にあり、それで「立憲」という言葉を改めて掲げないと、という思いです。
――安倍政権では立憲主義がないがしろにされているという考えですか。
【枝野】明らかにないがしろにされていると思います。少なくともそれまで政府見解でも否定されていた集団的自衛権の解釈変更は、立憲主義で許されている範囲、憲法解釈の変更で許される範囲を超えている。立憲主義は憲法による権力の制約をしている。安倍政権では憲法に縛られている側(権力=政府)が自分を縛っている憲法の解釈を不合理に緩めたといえます。これでは縛っている意味がない。権力が権力たる正当性の根拠は、憲法で与えられており、その憲法を守らなければ、権力としての正当性がないということです。
――突然の結党で、準備不足だったと思います。選挙期間中に手ごたえを感じたのは、いつごろからですか。
【枝野】あれっと思ったのは、結党の当日、10月3日です。その前日に私1人で結党の記者会見をやり、翌朝、東京都の選挙管理委員会に総務省あての設立届を提出し、夕方、有楽町で初めての街頭演説をやりました。ほとんど準備も告知もしていないのに、たくさんの人が集まっていた。しかも幅広い層の人で、その熱がすごかったんです。僕はそのときに1番手ごたえを感じた。悲壮感でいっぱいだった記者会見から、頑張れば一定の結果を出せるという確信を持たせてくれました。
――選挙で多く支持された理由をどう分析していますか。
【枝野】国民の顕在化されていなかったニーズ――政治に対する不信・不満というものに応える、あるいは応えてくれるのではないかと期待される存在と、認めていたのではと思っています。
民進党などは政権を取ることが目的化しているかのように受け止められていたのだと思います。政党の合従連衡が繰り返される中で、それぞれの政党の主張、立ち位置があいまいになっていたのではないか。それに対して立憲民主党は明確な主張を掲げ、いわゆる野党同士の数合わせへのアンチテーゼの立ち位置にあると受け止められた。それが、国民の潜在的な期待に応えることにつながったと思っています。