有権者は知事が本気かを見ている

──小池百合子東京都知事と東京都議会自民党の激しい駆け引きが全国的に注目を集めている。前宮崎県知事・東国原英夫氏に、自身の実体験に基づいた自治体の首長の在り方を聞いた。
東国原 英夫(ひがしこくばる・ひでお)
1957年宮崎県生まれ。第17代宮崎県知事。元衆議院議員(1期)。早稲田大学第二文学部卒業、政治経済学部中退。07年宮崎県知事に当選。12年衆議院議員に当選するも、13年に辞職。

僕が宮崎県知事になった状況は、小池氏が東京都知事になった状況と非常に似ている。舛添要一前知事が政治とカネの問題で失職して、小池氏が知事となった。同様に、宮崎県では安藤忠恕前知事が政治とカネの問題で逮捕されて、そのタイミングで僕が知事になった。自民党が立てた本命候補を破って知事となり、改革を進めるところも同じだ。知事逮捕の異常事態を経て、その後の改革をどうするか、メディアから注目されていた点も現在の東京都と似ている。

知事になって最初に、職員のコンプライアンスに対する意識改革を行うことになった。前知事の辞職は官製談合事件に絡むもので、不正な入札をクリーンにするため、「入札制度改革」を断行した。WTO(世界貿易機関)の基準に合わせて250万円以上はすべて一般競争入札とした。全国で最も遅れていた入札制度を、日本一厳しいものにする内容で、県職員に意識を変えてもらう必要があった。

最初にトップとしての覚悟を示すことで、その後の改革が円滑に進む。小池氏は知事に就任してすぐの都議会で
「東京大改革」について、多くの受け答えをしていた。議会も有権者も新しい知事が本気かどうかを見ている。最初に強烈な意思表示をすれば、本気であることが伝わる。

僕も同じような経験をした。宮崎県にも議会にドンがいて、最初の代表質問の際、全国放送されているのを知りながら、彼の名前を絡めたダジャレで切り返して笑いを取った。ドンにとっては非常に屈辱だったようだ。「俺に対してあんなことを言う知事はいなかった。東国原はどんな人間なんだ」と言われることになった。ドンと対立しても改革を進めるという決意のメッセージは、職員をはじめ議会、有権者すべてに伝わることになった。

議会に光が当たり、人々の注目が集まると、ドンの力は弱体化していくものだ。宮崎県ではそうだった。都議会のドン内田氏は何度かお見受けしたことがあるが、面倒見のいいおじさんという印象で、周囲でも彼のことを悪く言う人はいない。ただし、人間的にいいということと、事業・政策に関する政治的な関与とは別問題だ。内田氏が自民党の実力者であり、都議会の実力者であることは間違いない。

職員の意識改革の第一歩として「裏金はありませんか?」と投げかけてみた。なんと3億7000万円もの「裏金」が出てきた。職員から自発的に出てきたので、外部調査委員会を開く必要はなかった。役所には隠ぺい体質がある。「襟を正そう、膿を全部出し切ろう」「隠すことをやめて『見える化』しよう」という号令をかけた。全国から見られることに慣れていない職員たちは当初困惑をしていたが、この呼びかけに応えてくれた職員がいて、そこから大きく意識が変わっていった。

ここでの「裏金」とは事業者にお金を預けるという不適切な事務処理のことだった。3分の1は職員からの寄付を募って行う自主返納としたが、大きく超えて寄付が3分の2も集まった。そのときに、職員たちの改革の思いを確信した。「裏金」づくりが長く続けられたことで、職員たちは悪いことをしているという意識を失っていた。心の中で後ろ暗い罪悪感があったのだろう。「肩の荷が下りた、ありがとう」と言われることもあった。

「見える化」することで仕事がやりやすくなることに、だんだんと職員は気がついてきた。当時の宮崎県では議員が職員に対して「働きかけ」をしていた。そこで、どの議員・業者が県に働きかけてきたのかをすべてオープンにすることにした。すべて記録に残し、公開するということをやった。目立って報道されることはなかったけれど、県職員には最も喜ばれた改革だった。地元の有力者に「知人が今度就職だから面倒みてやってよ」と頼まれると、職員はなかなか断れないものです。

改革を進めていくと職員の意識が変わり、同時にモチベーションが上がる。県庁が活性化したことは、宮崎県全体が活性化することに繋がった。