いま米国などで従来型モデルとは異なる、新たな経営手法が注目されている。「社員が幸せになる」ことで業績の継続的な拡大を目指す「幸福経営」が、それだ。日本において「幸福学」を提唱する慶應義塾大学大学院の前野隆司教授に、幸福度を高めるための経営のあり方や働き方などを聞いた。
前野隆司(まえの・たかし)
慶應義塾大学大学院
システムデザイン・マネジメント研究科
研究科委員長・教授
博士(工学)。1962年生まれ。86年東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了後、キヤノン入社。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、ハーバード大学客員教授を経て、2006年慶應義塾大学工学部教授に。08年同大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授、11年よりSDM研究科委員長。著書に『幸せのメカニズム』『脳はなぜ「心」を作ったのか』など。
 

「幸福度」が高い人はパフォーマンスも高い

──米国では企業経営で「従業員の幸福度」が重視され始めているとのことです。その理由はどこにあると思われますか。

【前野】欧米では1980年代から「幸せ」を研究する「happiness study」や「well-being study」、それを応用した「positive psychology(ポジティブ心理学)」という分野が発達してきています。それが2000年代に入り、経済学者による幸福研究などにもつながり、成果を出し始めました。米国企業はしたたかですから、新しい学問が使えるとなると、すぐに取り入れる。従業員を幸せにすると、どうも会社が儲かるらしい、それなら取り組もう、と。インターネット関連サービスで著名な世界的企業も、その成果をいち早く導入しており、現在、米国西海岸の先端企業を中心に徐々に広がっている段階です。

──「従業員満足度」という言葉はよく耳にしますが、「従業員幸福度」とは違うのですか?

【前野】前者は仕事環境や評価制度、福利厚生など会社内のことがメーンですが、後者はそれだけでなく個人の人生まで含めた満足度、つまりトータルな幸せ感です。幸福度が高い人は、パフォーマンスや創造性が高く、一方で欠勤率は低い。それが企業業績に反映される。「従業員満足度」よりも、「従業員幸福度」の方が、収益性などの経営指標と関連が深いという先端的研究もあります。

幸福研究でよく使われる「ディーナーの人生満足尺度」(下の図参照)という指標がありますが、これは主観的な幸福感を測るものさしの一つです。収入・学歴・健康状態といった客観的データでは把握できない、いわばより長いスパンでの幸福度を測る内容となっています。

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「幸福学の父」とも呼ばれる米イリノイ大学のエド・ディーナー名誉教授が開発した指標。前野隆司教授が日本人1500人に行ったウェブ調査(2011年)では平均18.9点という結果だった。

企業研修においても大きな成果が──

──前野先生は独自に「幸せの因子分析」で幸福のメカニズムを明らかにされました。

【前野】もともと私はロボットや脳科学の研究者でした。そこで、その知見やスキルを生かして、これまでのさまざまな幸福に関わる研究を分析し体系化することで、幸せの基本メカニズムを解明しようと試みました。具体的には、幸福感に深く関与する心的要因を87項目リストアップ。それをもとにアンケート調査を実施して、回答結果をコンピュータで因子分析しました。その研究成果が「幸せの四つの因子」と呼んでいるものです。

──幸せというと、どうしても漠然としたイメージになりますが、具体的な手がかりがあるととらえやすいですね。

【前野】そう、シンプルだから役に立つ(笑)。人間の幸せな気持ちも、次の四つに分けて考えられるということです。第1の「やってみよう!」因子は自己実現と成長の因子、第2の「ありがとう!」因子はつながりと感謝、第3の「なんとかなる!」因子は前向きと楽観、そして第4の「あなたらしく!」因子は独立とマイペースを表しています。

現在、この四つの基本因子を活用して、ある企業で「幸福度向上研修」を行っているのですが、非常に効果があります。研修当初は、皆、静まりかえっていましたが、3回目のワークショップになると、活気にあふれ、笑顔で楽しんで取り組んでいる。「幸せ改善提案」や「感謝ボックス」の設置なども行うなかで、社内における日常的なコミュケーションも深まっています。

例えば研修では、怒る上司役を交互で演じるロールプレイなどを行っています。すると、実際にいつも職場で感情的な上司が「俺って、こんなイヤな奴だったんだ」「これからもっと優しく言わなくちゃ」と反省したり──。社内の雰囲気が急速に変わり、幸せ度も上がるという成果が出ています。

「非地位財」の重要性を意識する

──企業や個人は四つの因子をどう活用していったらいいのでしょう。

【前野】4因子を軸にした視点に立つと、業種・業態による幸福度の違いも見えてきます。例えば小売業など人と接する機会の多い会社では、第2の「ありがとう!」因子が強く表れる人が多く、一方IT系企業では第1の「やってみよう!」因子が優位にある人が多かったり──。これは企業文化による違いもありますが、大事なのは四つのバランスです。自己実現だけが突出している会社は、社員同士のつながりが弱く、調和的な総合力に欠ける傾向がある。なので、他の因子が濃くなるような施策を打つといいわけです。

──個人の場合、幸せな転職やキャリアアップを実現するにはどうしたらいいでしょう。

【前野】やはり四つの因子を念頭に置いておくことが大事だと思います。例えば、自己実現や成長を実感できる仕事であるかどうかは大事なポイントですし、仕事の中でつながりや感謝の気持ちが得られれば幸せ度は高まります。

関連して、「非地位財」の重要性も意識してほしいですね。イギリスの心理学者、ダニエル・ネトルは財には二つあると指摘しました。一つは、所得や社会的地位など、周囲との比較によって得られる「地位財」。もう一つが、社会への帰属意識や良質な環境、自由といった他人との比較とは関係なく得られる「非地位財」です。そして、非地位財によって得られる幸せの方が長続きするという特徴があります。

その意味では、転職において収入や役職ももちろん重要ですが、そればかりにとらわれず、仕事のやりがいなどにもしっかりと目を向ける必要があるでしょう。

その仕組みを知れば、必ずしも幸福を手に入れることは難しくありません。ぜひ、多くの人に幸せのメカニズムを知ってもらい、前向きな人生を送ってほしいと思います。