誰かを支援するということは、当然のことながら、その支援をする「別の誰か」が必要になります。仕事をしなくてもよくなるわけではないので、働くお母さんができない分は、ほかの誰かがその仕事を引き受けているのです。その部分に費用を割く仕組みを作ることができる企業はいいのですが、その余裕のない企業は「誰かに頑張らせる」ことで、その穴埋めをしようとします。ここまで読んで、目の前でよく見かけるシーンだと思った人も少なくないでしょう。そう、いまだにありがちな、いや、むしろ最近増えている話なのです。

「負担すること」よりも「返ってこない」つらさがキツい

ここでは企業が具体的にこうするべき、という点には言及しません。このコラムのメイン読者である、キャリアの曲がり角あたりにいるみなさんは、制度を活用する、あるいは意見を述べるくらいのポジションにいて、制度を設計し運用するという立場にはないかもしれません。

誰かが負担してでも、現状の課題を解決するというのは、悪い手ではありません。しかし、問題はその公平性です。全員が平等に負担する、もしくは負担した分が別のことで報われるという仕組みになっていればいいのですが、その配慮に欠けている職場は意外と多いもの。

「制度が用意されているのだから、当然活用したい」と考えている人に対して、「制度のために負担が増えているが、自分がその制度を利用することは当面考えられないし、何も返してもらっていない」とつらい思いをする人が増えてしまう。こういう状況に心当たりはありませんか。

こうした話をすると「結局、女性の敵は女性。足を必ず引っ張る人がいるのです」と嘆く人がいるのですが、そういう問題でもないのです。周囲に気を遣わなければ利用できない制度では、本末転倒です。制度は堂々と利用すればいい。しかしそこに非対称性が生まれているとしたら、その歪みが組織をむしばみます。もっと良い制度がないかと、企業は模索中ですが、個人レベルでもできることはあるはずです。