「地味なあの子が、女子のほとんどいない学科に行ったら、チヤホヤされて逆ハーレムなんだって」「こないだ見かけたら綺麗になってたよ」「へぇ~、自信って大事だね……」と、こんな感じの噂話をしたり聞いたりした記憶はあるのではなかろうか。とある一流メーカーに勤務する筋金入りの理系女子であった友人が言うには、工業大学時代、キャンパスには姫を中心に従者たちが取り囲んだまま移動する、いくつもの「雲」があったという。

ただ、単純に女子の少ない学科に進んだリケジョとオタサーの姫を分けるものは、その分野への造詣の深浅である。リケジョはその学問分野に当然コミットしているわけで、十分な知識を持ち、立場としては男子と同等だ。しかしオタサーの姫は、そのサークルが専門とするカテゴリへの知識がほとんどないか、または薄いがゆえに「姫」として浮いた存在になる。現役大学生に聞くと、オタサーでは「オタク知識の薄いのがオタサーの姫になって、濃い女子はただの同等のオタクとして、女とは認識されずに一緒に活動する」、そして「ある時、彼女が本当は女であることをにわかに意識した男子とくっつくんだ」と説明してくれた。「造詣の深さ」でキャラ立ちすればメンバーの一員と認識されるが、「女子」でキャラ立ちすると“姫”になる。どちらになるも、女子の側のコミットメント次第ということだ。

しかしそんなオタサーの姫たちにも、徐々に変化が生じてくる。臣下たちの視線と思慕の念を注がれて、服装が変わり、メイクが変わり、態度が変わり、3次元の女性としてきっちりと魅力を身につけた姫は、やがてサークル外の男性とくっついてしまうというのだから、残されたサークル男子たちの悲嘆たるや、トラウマものらしい。姫のこの意図的なのか天然なのか、スレているのかいないのか、全体的に曖昧なふわっとした感じも、この極小で偏った辺境の市場でこそ培われる特殊能力のうちなのだろう。

 

オタサー環境を卒業したあとも、例えば女性の少ない研究組織などで、そんな女性をたまに見かけたりしないだろうか。ふわっとして曖昧で、でもチャーミング。正直能力的にはどうなのかと思うこともあるけれど、組織内では特殊な扱われ方をしており、だから「君臨」する。しかしそれはシンプルに市場原理によるもの。辺境の狭い市場に外界からの注目が押し寄せた途端、これまでなかった広い客観性や市場的公平性が持ち込まれ、本来の人材価値を問われた姫は、もう「無敗」とはいかなくなるのである。本当の能力とは別の、環境依存的な希少性の上に自分の人材価値を築いてしまったひとは、環境が変化したときに足下から崩れる。