超高齢化社会に突入している日本ですが、多くの人は人生の最期を延命措置で終えることが少なくありません。果たしてそれでよいのかとQOD(Quality of Death)を訴える医療者が出てきています。『「平穏死」を受け入れるレッスン』(誠文堂新光社)の著者である医師の石飛幸三先生に、人生の終え方について話をおうかがいしました。

医療と介護は視点が違う

私は血管外科医として勤務していた病院から、そこで人生途上の病気というピンチを乗り越えて、しかしその後老いて衰えた方々がどうされているか、それを知りたいと思って特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の医師になって10年になります。ここで実感しているのは、医療と介護の視点が違うということです。医療は病気を治すことに焦点をあてている場なのに対し、介護は心の安らぎを与える場であるということです。

石飛幸三・特別養護老人ホーム「芦花ホーム」常勤医

人は誰しも必ず死を迎えます。高齢になるにつれ、体という器はどんどん衰えますが、それは自然なことです。年と共に食べる量が減り、少しずつ坂を下るようにして穏やかに命を終えていく、これが理想的な最期ではないかと私は思うようになりました。今年6月に出版された『「平穏死」を受け入れるレッスン』には、そのような私の考えを述べています。

私が今勤務している施設は入居者約100人でその平均年齢は90歳、9割の方が認知症です。この年齢になると向かうところは死です。そして私たち介護をする職員は、入所されている皆さんが平穏に自然な最期を迎えられるよう日々対応しています。

自然な坂を下って最期が近づくと、食べたり飲んだりすることができなくなり、眠って眠って息を引き取られます。そこに苦痛はありません。穏やかな死です。

ところが、私が10年前に来た頃の芦花ホームでは、自然死で最期を迎えられる人はそれほど多くはありませんでした。食べさせないと死ぬのだと、もう食べられない人に食べさせようとして誤嚥させて病院へ送るのです。そこでは医師が「胃ろうをつけなければ、栄養が摂取できなくて死んでしまう」と家族に説明しますから、家族の方は特に疑問に思うこともなく従われることが一般的でした。