同年代の「大ヒーロー」墜つ

あの輝きは何だったのか。直接、モハメッド・アリ氏を見たのは、1996年7月19日夜のアトランタ五輪の開会式だった。もちろん、オリンピック・スタジアムの記者席からは豆粒ほどにしか見えなかったけれど、パーキンソン病で震える手で聖火に点火したアリ氏に対しての、満員8万5000の大観衆の驚きと称賛と感嘆が交じりあったようなどよめきと拍手の渦を忘れることはできない。

なぜ、アリ氏はかくも様々な世代の、世界中の人々から愛されていたのか。1960年ローマ五輪の水泳銀メダリストで、共同通信時代の大先輩、石井宏さんはこう、説明する。石井さんはボクシングも25年間、取材した。アリ氏の試合のテレビ解説もしている。

「同世代の大ヒーローだよ。あるドクターから、とにかく卓越した、しなやかな筋肉の持ち主だと聞いたことがある。言葉も豊富。リングで“おれは偉大だ”という半面、裏では対戦相手にすごく配慮していたそうだ。リングの外でもベトナム戦争の徴兵拒否だろ、それはもう、勇気、信念があって、すごい人間だったんだよ」

アリ氏はローマ五輪で金メダルを獲得した。じつは石井さんは同五輪の選手村のサロンで、アリ氏を何度かみかけたそうだ。

「あの当時、日本の選手は選手村でもかしこまっているのに、アリ氏は、アメリカの選手仲間といつも騒いでいた。お酒は飲んでなかっただろう。それでも破天荒というか、エネルギーを発散させていた印象がある。とにかく輝きがあったな」

ローマ五輪から帰国したあとの逸話は有名である。意気揚々と故郷のルイビルに戻ったアリ氏は、友人とともに白人専用レストランに入って料理を注文したら、「うちにはニガー(黒人の蔑称)に出す食べ物はない」と追い出される。直後、アリ氏は金メダルをオハイオ川に投げ捨てたといわれている。

直後、プロに転向し、破竹の快進撃をつづけ、世界ヘビー級タイトルを獲得した。差別に対する怒りがボクシングの推進力になっていたことは想像できる。米国のボクシング担当記者が評した「蝶(ちょう)のように舞い、蜂のように刺す」は至極名言である。アリ氏のビッグマウスもまた、人気を拡大させた。