組織ぐるみの隠蔽の裏に、おごりはなかったか

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三菱自動車の歴史

筆者はここについて欲得尽くの不正ではなく、三菱という企業の慢心や驕りの臭いを感じる。自らを勝手に例外扱いするエリート意識。相手が監督官庁であろうとも容喙されたくないという自己肥大。例えば、日露戦争の旅順攻囲戦で頑なに戦術転換を拒否した伊地知幸介少将の姿が重なるのだ。

それは冒頭で述べた2000年代に連続して発覚した三菱の「リコール隠し」に色濃く表れていたと思う。三菱のリコール隠しは1977年以降、不具合情報を運輸省(現・国交省)に届けず、内密に加修する闇改修が20年以上にわたって行われていたものである。もちろん全ての不具合が改修されたわけではなく、後述するが黙殺されたケースも多々ある。

報道によれば、この改修記録は通常のリコール書類と別に更衣室のロッカーに秘密裏に保存されていたというから、杜撰とか場当たりという怠慢に起因するものではなく、明らかに組織ぐるみの意図的な隠蔽である。それが姑息ではないから質が悪い。悪いと知っていて逃げ隠れしているのではなく、自らの無謬性を信じて「運輸省なんかに何が分かる」と馬鹿にしていたとしか思えない。このリコール隠しが発覚した際も、運輸省からの度重なる事情聴取にしらを切り、死亡事故をきっかけに警察が家宅捜索を行って証拠書類が押収されたという経緯なのだ。

普通の不正問題とはレベルが違う

2件の死亡事故についても説明が必要だろう。2002年に三菱のトラックでは設計不良によって神奈川県と山口県で2件の死亡事故が起きている。神奈川県ではハブの設計不良によって脱落した車輪の直撃で、ベビーカーを押していた母親が死亡。山口県ではトラックのプロペラシャフトの一部が脱落し、残ったシャフトがブレーキ配管を損傷。制動能力を失ったトラックが暴走し運転手が死亡した。

特にハブについては同様の脱落事故が同業他社との比較で明らかに異常が認められるほど頻発しており、問題視した運輸省は前述の様に聞き取りを行っている。にも関わらず、三菱はこれを「整備不良によるもの」とユーザーに責任を押しつけ、取り合わなかった結果、リコールが行われずに死亡事故が引き起こされた。

通常、自動車の設計時に、部品の強度を決めるにはいくつかの段階を踏む。一番最初は強度計算によるものだ。次に試作部品による台上実験を行い。さらに経時劣化や過酷使用に備えたシミュレーションと、実走実験が行われる。同業他社では常識的に行われている確認だ。しかし三菱ではシミュレーションと実走実験を行わなかった。この態度も自らの技術に慢心し、自社には自社のやり方があるという頑迷さを感じるのみである。

2件の死亡事故という重大な問題が発生したにも関わらず、しかし三菱はここでも反省と謝罪を拒絶するのである。51件という不自然なタイヤ脱落事故の全てについて、原因は運送会社やユーザーの整備不良にあるとして突っぱねたのである。それは今後の死亡事故の可能性に目をつぶったということだ。企業倫理以前の話だ。人としての倫理の領域で何かがおかしい。

筆者は、当初このリコール問題が発覚した頃、三菱に対して、多少の同情を感じていた。社長とは言え雇われであってオーナー社長ではない。歴代社長の任期も、リコール問題の立て直しを託された結果特例的に長かった益子修氏を例外とすればせいぜい6年以内だ。20年以上前から行われてきた隠蔽工作を、自分が社長になった途端糾弾することは人としてなかなかできない。長年世話になり尊敬してきた諸先輩の経歴と晩節をぶちこわす覚悟が果たしてできるだろうか? そう考えたのだ。

しかし調べが進む内に、これまで書いて来た様に、ありふれた不正問題では無いことが判明してきた。人命に関わり、かつ問題は現在進行形だったのだ。自動車メーカーとしてやるべきことをやらず、死亡事故が起こって後も、方法を自ら正そうとしなかったという人倫の問題だったのである。