記者会見に学ぶ天国と地獄の境目

まずい、遅刻した――。そんなとき、絶対やってはいけないのは、「事務的な謝り方」や「嫌々頭を下げる」ことですが、それと並ぶNG行為は意外にも「べらべら理由を喋る」ことなのです。「電車が遅れ……」「体調がちょっと……」などと言い訳しがちですが、話せば話すほどかえって欺瞞的な人間だと思われてしまうのです。

遅刻したときの心境はこうです。ああ、時間に遅れて相手に迷惑をかけてしまった。きっと怒り心頭で信頼関係が崩れるかもしれない。これで自分の評価が落ちるのは確実だ……。

こうなると人はある種の自己防衛本能で「窮地」から脱するため、相手に許しを乞うたり、怒りをなだめたりしようとしてしまいがちです。それでつい、「申し訳ありません」のあとに遅刻の原因をべらべら喋るという行為に出るわけですが、「言葉の数」が多ければ多いほど、あいつは言葉巧みに言い逃れする、といったマイナスの烙印を押されてしまうのです。

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話せば話すほど不信感は高まる!

では、どう対応すれば相手は納得するか。ヒントは「記者会見」にあります。今年も、不祥事や疑惑発覚で多くの人々が会見を開きました。2014年3月に、「両耳の聞こえない作曲家」佐村河内守氏が代作問題で、4月には理化学研究所の小保方晴子氏がSTAP細胞の論文不正問題でマスコミ各社に相対しました。

2人のしたことはかなりお粗末でしたが、その発言内容の真偽は別にして、心理学的に見ると、おおむね賢く切り抜けた会見だったと私には感じられました。ともに会見対応のプロのコーディネーターが付いていたかのように、記者の質問に対する回答を必要最小限にとどめることができたからです。

ああいう場で大勢に取り囲まれて質問攻めにあうと、人は、どうしても「違うんです」「実は」と弁明したくなります。でも、そこをぐっと我慢する。極端なことを言えば、YESかNOしか答えない。弁明を始めると、ボロがどんどん出てきて、逆にさらなる質問や疑念が生まれ、泥沼にはまります。7月に政務活動費をめぐる疑惑で会見した、号泣議員こと元兵庫県議の野々村竜太郎氏は、発話量の多さによって疑惑が増した典型例といえるでしょう。意味不明かつ言い訳めいた発言を連発した結果、多くの視聴者は「こいつクロ」と判断しました(実際、195回分約300万円のカラ出張を認めた)。