前例のない設計船主の提案を実現

73年4月に入社し、本社の船舶・艦艇事業本部の基本設計部へ。エンジン周りの機器の配置を受け持つ機関グループに1年いて、2年目に構造グループへ移る。たわみや応力などを計算し、形状や材料などを決める部署だ。

そこで社内の留学生募集に応募し、合格した。75年夏、英サザンプトン大の大学院へ留学。近代的な造船技術の起源は英国にあったし、そのころ、あらゆる構造物の解析に有用な手法が登場し、その権威がサザンプトン大にいた。

ロンドンから南へ電車で約1時間。タイタニック号が処女航海へ出た港町の寄宿舎で、やはり「素其位行」の日々を過ごす。最短の1年で修士号を取り、もう1年あったので、ロンドン大の大学院で造船科学でも修士号を得た。早大と合わせ、3つの修士号となる。

帰国して古巣の構造グループへ復帰。30代半ばは千葉の設計部で過ごし、液化天然ガス(LNG)運搬船の設計が始まる。三井造船としては初めて手がける船種で、収益を支える柱に育て上げていく。

91年1月、43歳のときにノルウェーの会社に引き渡したばら積み船「Grouse Arrow号」の設計も、冒頭のコンテナ船と同様に、難題が続いた。米シアトル港でパルプからつくった大きなロールペーパーを積み、日本に運ぶ。途中、雨が降ったり、時化で波をかぶったりすると、ロールが濡れてしまう。シートをかけても、完全には防げない。

船主が、斬新な案を出した。船上を体育館のようなもので覆い、左右にクレーンを付け、窓のような部分から積み下ろしする。前例がない構造だ。船長は175メートルで、クレーンが前後に走るレールは100メートルを超す。デッキの厚さや「体育館」の壁は、コストや燃費をよくするために薄い。そこを重たいクレーンが走ったとき、あまりたわんでは、動きが止まってしまう。

どれだけの強度が必要か、間に支柱がどれだけ要るか、支柱はどこまで軽くできるか。ここでも計算の連続とその答えを満たす材料選びで、苦労した。20年以上も前のことだが、仕上げた構造は、いまでもすらすらと書ける。頭に強く、焼き付いている。

この型の船は3隻つくったが、その後は例を聞かない。鋼材をたくさん使い、いろいろ仕組みも必要だったので、コストがかかる。もっと安く覆う方法がみつかったのかもしれないが、このときのコスト管理の感覚は、のちにLNG船建造でプロジェクトマネジャーを務めたときに、役に立つ。

50代になって、千葉事業所の基本設計部長に就き、ロンドンで現地法人や発電所用大型ボイラーを手がける子会社の社長を計5年半、務めた。帰国して半年後の2007年6月、社長に就任。設計者から管理者へ、さらに経営経験の道へと転じたのは、トップに立つための助走となる。

三井造船会長 加藤泰彦(かとう・やすひこ)
1947年、北海道生まれ。73年早稲田大学大学院理工学研究科機械工学専攻修了、三井造船入社。99年船舶・艦艇事業本部基本設計部長。2001年三井造船ヨーロッパ社長。04年4月ミツイバブコックエナジーCEO。04年6月三井造船取締役、07年社長。13年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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