国内新設住宅着工数は100万戸を割って久しい。地場工務店は約10年で半減した。そんな中、追いやられた工務店たちが立ち上がった!

金の卵を産む鶏をライバルと共有

その男は毎朝、高層ビルの地下1階からオフィスのある34階まで約700段ある階段を駆け上がることを日課にしている。自分の名刺はヒノキ材から自らカンナで削り出したもので、「匠の名刺」と呼ぶ。7年前から始め、名刺にはシリアルナンバーをつけている。手元を見ると「No.10491」と刻まれていた。年間1400人以上に会ったことになる。見るからに大柄でエネルギッシュ。キャラは濃いが人好きのする笑顔の持ち主だ。

「私は大工ですから、背中を見せる人間です。自分で考え、まずやってみる。生まれつき、そうなんです」

その男、アキュラホーム社長の宮沢俊哉氏は現在55歳。中学卒業後、大工の道に入り、19歳で工務店をつくり独立。1991年、31歳のときに「アキュラホーム」に名称変更、現在の注文住宅メーカーになる。このとき、宮沢氏は、試行錯誤の末、画期的な“あるシステム”を開発する。それが、過去の成功や失敗の経験をもとに、材料や工法、労働単価など最大2万項目のデータやノウハウを整理し、短期間で顧客の要望を反映させた見積書を作成できるシステムだ。

アキュラホーム代表取締役社長 宮沢俊哉氏

「アキュラシステム」と名付けられたこのシステムは「低価格で高品質な住宅」を実現、瞬く間にユーザーに受け入れられた。バブル崩壊後、疲弊するライバルたちをよそに成長し、宮沢氏は一代で売上高396億円(2013年度実績)の住宅メーカーを率いる経営者となった。

ここまでの話なら、よくある叩き上げ社長の成功物語なのだが、宮沢氏がユニークなのは“金の卵を産む鶏”ともいうべき、この「アキュラシステム」をライバルである全国の工務店に公開したことにある。宮沢氏は力を込めて語る。

「大企業による家づくりが主流となっていく中で、我々工務店、とくに現場の大工、棟梁の存在意義が薄れているように思ったんです。工業化の良さもありますが、同時に手づくりの良さ、現場の良さもある。我々にも存在価値があることを訴えたかったんです」