2015年5月1日(金)

東大→BCG→アクセンチュア出身の教授断言! 「だから私は子どもに『勉強しろ』と言わない」

親技のカガク【2】

PRESIDENT Online スペシャル

著者
三谷 宏治 みたに・こうじ
K.I.T.虎ノ門大学院教授、早稲田大学ビジネススクール・グロービス経営大学院客員教授

三谷 宏治1964年大阪生まれ、福井育ち。東京大学理学部物理学科卒、INSEAD MBA修了。BCG、アクセンチュア(戦略グループ統括エグゼクティブ・パートナー)で経営コンサルタントとして活躍後、現在K.I.T.(金沢工業大学)虎ノ門大学院 教授、早稲田大学ビジネススクール・グロービス経営大学院 客員教授。2006年からは、特に子ども・親・教員を対象にした教育活動に注力し全国で講義・講演。放課後NPOアフタースクール・NPO法人3keys 理事、永平寺ふるさと大使。近著に『一瞬で大切なことを伝える技術』(かんき出版)、『一瞬で大切なことを決める技術』(中経の文庫)、『経営戦略全史』『ビジネスモデル全史』(ディスカヴァー21)、『ルークの冒険 カタチのフシギ』『親と子の「伝える技術」』(実務教育出版)、『お手伝い至上主義でいこう! 子どもの就職力を高める「ヒマ・ビンボー・オテツダイ」習慣』(プレジデント社刊)など多数。

K.I.T.虎ノ門大学院教授 三谷宏治=文
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「勉強しろ」と言わない哲学

▼それぞれに勉強に取り組む三谷家3姉妹

過去20年ちょっと、娘3人に「勉強しろ」と言ったことはありません。それでも3人は、各人なりに学校の勉強に取り組んできたようです。

・卓球命だった長女が中2のとき。「友だちはみんな、勉強しろと言われてる。でも勉強しろと言われないから勉強しなかった、ではダサ過ぎる」
・高2まで1日30分しか勉強しなかった次女。「K大を目指す! 今までやっていなかったことと、ちゃんと寝ていることが私の強み。ここ(E判定)からは上がるしかない」
・ずっと頑張っている三女。「クラスで平均以下はダメ。それは格好悪い」

別に娘たちは東京大学に行ったわけでもなんでもありませんが、長女は管理栄養士の資格をとって第1志望のITベンチャーに就職し、次女は4点差でK大を逃しましたが後期日程で北海道大学に受かり、三女は私学の特進科で不思議な青春をしています。

なぜ私は娘たちに「勉強しろ」と言わなかったのでしょうか? その代わり、娘たちに何を求めたのでしょうか? そんな哲学をどこで身につけたのでしょうか?

まずは私自身の話から始めましょう。

「すべて自分で決める」ことを望んだ父。ただ聴いてくれた母

私が「勉強しろ」と言わない理由の第1は「自分が言われなかったから」です。八百屋の長男に産まれた私は、生まれてこの方一度も「勉強しろ」と言われたことがありません。両親ともが自宅兼店舗で働く中、毎日、大量の家業・家事手伝いはさせられていましたが、それだけでした。

「勉強しろ」と言わない姿勢がブレたことは一度もありません、と三谷氏。

親が勉強に関心がなかったわけではなく、姉には学習塾に行かせたり(当時、福井では珍しかった)、弟の大学進学に口を出したりしていました。でも私には一切何も言わず、テストの成績も高校・大学の進路も就職先も、すべて私からの事後報告を「おう」「そうなの」と聞くだけでした。母に聞くと、10年前に亡くなった父は、私を「本家の長男」として育てたかったそう。それはイコール「すべてを自分で考え自分で決める」ということであったようです。その通りになりました。そして勉強も。

たまたま私は知識欲が旺盛で好奇心も強く、自分で本を読んでは学び、ついでに学校の勉強もしていました。親に「勉強しろ」と言われなくとも自分で勝手にやる、母曰く「変な子ども」だったのです。でも両親は私に自ら学ぶ環境をくれました。それは「100冊のクリスマスプレゼント」であり、「私の自慢話を聴くこと」でした。

父は読書好きで、いつも何かしら読んでいました。子どもたちには「月1冊、好きな本を買ってよい」権利が与えられていましたが、あるクリスマスの朝、小1の私と姉の枕元には大きなダンボール箱に入った100冊の本が!

そんな本を読みかじっては「ねえねえ宇宙の年齢って知ってる?」と自慢をしにいく私の話を、母はただ「ふんふん」聴いてくれ、「また教えてね」と言ってくれました。宇宙のことなんてなんの興味もなかったのに。

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