藩校の「ノブレス・オブリージュ」

しかし不思議である。藩校で教えられていたものは儒学思想に基づく学問で、明治以降の近代西洋的な教育内容とは全く異なる。藩校から近代の学校制度へと、何が引き継がれたというのだろうか。

藩校は、武士の子息が支配階級としての学問を修める場であった。西洋風に言えば「ノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)」を身につける場所である。現在の学校制度や学習指導要領のような全国画一的な規格があるわけではなく、それぞれの土地で、それぞれの文化に根ざした教育が行われた。

それが良かった。もし藩校が画一的な制度によって全国的にその枠組みが規定される、自立的ではない組織だったとしたら、廃藩置県と共にすべての藩校が消滅していたに違いない。ところが藩校の実質は、各土地の文化や状況に応じた単なる「学びの場」であった。藩校という枠組みは消えても、ノブレス・オブリージュを受け継ぐ「学びの場の空気」は消えなかったのだ。いや、消さなかったのであろう。

小さなろうそくの火がもつその熱量を、大きなたいまつに移し替えるようなものだ。儒学を学ぶのか洋学を学ぶのかはさしたる問題ではない。世代を超えて受け継がれてきた「学びの場」に蓄積された「志」こそが財産なのだ。噛み砕いて言えば、「なぜ勉強するのか」という目的意識、「やればできる」という成功体験、「自分は何者なのか」という自己同一性など。これらが共有された「場」にある「共同体意識」こそ、学校の正体であり、教育力の源泉だろう。

たとえば戊辰戦争で辛酸をなめた会津の人々が、それでも会津を誇りに思い、日新館の威風を語り継ぐのは、どんなに貶められたとしても決して奪えない、奪われてはならないものがあるという「誇り」こそを守ろうとしているからではないか。それこそが人にとっての財産であるからだ。

そしてそのようなことが理解できる視野と認知と感性を持ち合わせた人を育てることこそが、教育の究極的な目的の一つなのではないかと、藩校の系譜を受け継ぐ学校の歴史は、語りかけてくるのである。

おおた としまさ
教育ジャーナリスト

麻布高校卒業、東京外国語大学中退、上智大学卒業。リクルートから独立後、数々の教育誌の企画・監修に携わる。中高の教員免許、小学校での教員経 験、心理カウンセラーの資格もある。著書は『名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件』『男子校という選択』『女子校という選択』『進学塾という選択』など多数。
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