機略縦横の辣腕コンサルタント。そんなイメージで語られる黒田官兵衛だが、現実には黒田家という組織を率いる「社長」であり、実践家。なによりも戦国時代には珍しい忠義の人だった。彼がもし現代日本の企業社会に蘇ったら?

処世術[1]借金膨張、倒産の危機

写真=amanaimages

大企業に比べて資金力に乏しいのが中小企業。たとえ新製品の出来がよく将来的に大口の取引が見込めるというケースでも、目先の運転資金が尽きてしまえば万事休す。新たな出資者や融資元が現れないかぎり、会社を畳むしかないでしょう。もし官兵衛が現代の経営者だったら、どう行動するか。おそらくは、大企業グループの傘下に入ることを考えるだろうと思います。ポイントは3つあります。第一に、よい身売り先を選ぶこと。第二に、できるだけ高く売ること。第三に、買われたからには、誠心誠意尽くすことです。

官兵衛が家老として仕えていた播磨国の小大名・小寺氏は、戦国末期に台頭した東の織田氏と、中国地方で強い勢力を持っていた西の毛利氏に挟まれ、これまで通りの独立を続けることができなくなりました。ビジネスに置き換えると「取締役として働いていた会社が、もはや独自経営を維持できなくなった」状態にあたります。

織田と毛利のどちらを選ぶか。それによって小寺家が栄えるか、滅びるかが決まるのです。後世の私たちは結果を知っているので、「当然、織田方だ」と思いますが、当時の人はその後の歴史を知りません。このとき官兵衛は、迷う主君を説き伏せ、織田氏の側につくことを決意させます。いわば親会社ともども、「織田財閥」という大企業の傘下に入ることを決断したのです。

五分五分の状況の中で官兵衛が織田氏を選んだのは、織田信長に新しい時代をつくろうとする強い意志を感じたからではないでしょうか。地域割拠という室町時代以来の古い統治方法を続ける毛利家と比べ、織田がめざす天下統一がもし成就すれば、戦いのない新しい世界が生まれるかもしれないのです。また、そこには官兵衛自身の好き嫌いもあったでしょう。「古い毛利」ではなく「新しい織田」を選んだのです。次のポイントは、自らを「高く売る」こと。そのためには「大企業から見たとき、当社を買うメリットはどこにあるのか」と懸命に考えることが必要です。もちろん、借金が多く倒産寸前だとしたら、それは明らかにデメリット。しかし企業の価値はそれだけではなく、事業の将来性、人材、商圏など、さまざまな評価軸があります。たとえば独自技術、新製品、人材といった強みがあれば、それを身売り先にきちんとプレゼンテーションし、買収後の好待遇を約束させるべきでしょう。

小寺氏が織田側につくことを決めると、官兵衛は自ら信長のもとに赴きます。規模は小さくても、播磨の中央部に位置する姫路の戦略的重要性を説き、「織田家の中国攻めの際は小寺氏が先鋒を務める」と申し出ます。

当時の姫路城は、小さな館と砦しかなく、地理的な利点ぐらいしか手持ちのカードがない状態です。そこで官兵衛は数少ない自分たちの強みと、織田家に献身したいという気持ちを精一杯アピールしたのです。城が播磨の中央ではなく、もっと東か西にあったとしても、それならそれで、なんとかセールスポイントを探して、それを身売り先の信長に訴えたことでしょう。

第三のポイントは、熱意・献身。買われたからには、身売り先に誠心誠意尽くさなくてはなりません。官兵衛は、「生涯、織田家の一員となってやっていく」と決意表明し、その証しとして、自らの居城である姫路城を中国方面の司令官である秀吉に提供します。さらに官兵衛は、自分の嫡男・長政を、織田家に人質として差し出しました。本来なら、家老の官兵衛ではなく主君の小寺氏が人質を差し出すべきところです。しかし官兵衛は、主君に代わって息子を人質として差し出し、二心のないことを示したのです。