90年代後半から、軽自動車市場の販売合戦が激化する。特にホンダなども含め各社が自社登録(軽自動車の場合は届け出)を始めてしまう。これは主にディーラーが販売台数を増やす目的から、自社名義で登録(あるいは届け出)する行為。登録あるいは届け出された車は、新古車として中古市場に出回る。

特に06年は、スズキとダイハツの熾烈なトップ争いが演じられた年だった。軽市場は202万台にまで膨れるが、「7、8%は自社届け出だった」(軽メーカー首脳)という指摘さえあった。

鈴木修は同年後半から、自社登録に対して「お行儀の悪い売り方」と表現するようになり、厳しく取り締まる。

田村は販社社長をしていた頃も、自社届け出を一切やらなかった。代わりに、自ら営業に従事した。「自分でカバンをもって車を売りにくる社長」と、恐れられるようにもなったという。

トヨタによる軽参入に対しても、「(自社登録などで)無理をして販売数量を伸ばすことは、絶対にやらない。今回のような震災が起きても、財務体質が強化されてきているので狼狽(うろた)えないのです。負の財産につながる行為を重ねていたなら、いま頃はどうなっていたか」と田村。

また、ダイハツが6万台をトヨタに供給することで、スズキが軽自動車トップに返り咲く可能性もある。この点については、「2番でもスズキは自信をもっています。1番には、もうこだわらない。お行儀の悪い富士山よりも、誰も知らないけれど、頑張った北岳(日本で2番目に高い山)のほうが私は美しいと思う」。

軽自動車の実質的なシェアはスズキとダイハツで8割を独占

軽自動車の実質的なシェアはスズキとダイハツで8割を独占

スズキとダイハツでは販売戦略に違いが出てきている。もともと、日産や三菱に供給しているOEM分を含めると、生産のシェアではスズキが上回っている(図参照)。加えてスズキは98年の軽自動車の規格改定以降、「脱・軽自動車」を進めてきた。つまり、「スイフト」や直近では「ソリオ」といった小型車に力を入れ、インドの生産体制を拡充し、さらには米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携解消と新たにフォルクスワーゲン(VW)との包括提携。業販店に支えられた国内の軽自動車販売に依存した体制から、世界で事業を展開できる会社へと転換させてきた。

これに対しダイハツは、国内軽市場に注力することをトヨタグループにおいての一番の役割としてやってきている。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(田辺慎司、藤井泰宏=撮影)