破綻した会社から逃げたくなかった

日本航空代表取締役社長 
植木義晴氏

2010年の1月にJALが破綻して、ほどなく新しい体制の下での執行役員・運航本部長を打診されたのですが、そのときは「3日間だけ考えさせてください」とお願いしました。運航本部長になったら、パイロットを辞めなければならない。一生の仕事としてパイロットを選んだわけですし、いま操縦桿を置いたら、ずっと後悔するかもしれない。JALを辞めてでも操縦桿を握り続けるか、悩みに悩みました。

一方、会社も破綻して大変厳しい状況でした。会社を置き去りにして、自分だけパイロットを続けていいのか。厳しいリストラなどが控えているのに、自分だけ逃げていいのか。悩んだ末に、JALを立て直すために働こう、それを人生の新しい目標にしよう、と決めました。それなら、操縦桿を置くことに納得できると。どんなことがあってもこの会社を二度と潰さない、そのために自分はこれからの人生を邁進するんだと固く心に決めました。

最初は毎日飛びたくて涙が出るんじゃないかと思っていましたが、そんな感傷に浸ひたるヒマは、全然ありませんでした。運航本部長になった途端、目の回るような忙しさとプレッシャーで、それどころではなかったわけです。どうやったら、二度と会社を潰さないですむのか、そのことで必死でした。

一緒に飛んでいた仲間に、厳しいリストラを受け入れてもらわなければならない。しかも、そうした合理化策が事前にマスコミなどで流されてしまう。乱れる社員たちの心をまとめ上げるのに、苦心の日々が続きました。

ちょうどその頃、稲盛和夫会長(当時、現・名誉会長)によるフィロソフィ(経営哲学)の勉強会が始まります。10年6月に役員や幹部社員を集めて18回。初めてのとき、稲盛会長の席に挨拶に伺うと、「一緒に頑張りましょう」とニコッとされました。でも、ニコッとされたのは、あの1回きりです。