複数の男性から総額1億5000万円以上をだまし取った「頂き女子りりちゃん」の裁判に注目が集まっている。作家の岩井志麻子さんは「彼女を見ていると、戦後で初めて死刑囚となった女性を思い出す。どちらも金への執着と、愛情不足が見て取れる」という――。

「りりちゃん」の事件を見て思い出した「昭和の犯罪」

我が国にも女性犯罪者は、軽犯罪から連続殺人まで数えきれないほどいるが、後世まで語り継がれ、書籍化や映像化までされるとなると、限られてくる。

分類法もいろいろ、選者の好みなどもあるとしても、阿部定と小林カウは外せない。というより殿堂入りか。

阿部定
阿部定(写真=ぎょうせい『実録昭和史 2巻』/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

ともに明治後期の生まれで、定の事件は昭和11年、カウの事件は昭和35年だった。前者は「殺した男の性器を切り取って持ち歩いていた」という衝撃性と猟奇性で、後者は女性では戦後初の死刑を執行された人として伝説の女になった。

どちらも殺人者だが、成育歴や判決は大きく違う。定は神田の裕福な商家に生まれ、幼い頃からちやほやされ、芸妓、娼妓、妾、とにかく女の体と色香だけで生き続けた。

カウは関東の極貧の農家に生まれ、小学校だけ出て働きづめ、若くして結婚した夫が病弱で、という根っからの苦労人だった。しかし非合法のそれも含め、商才はあった。

定は勤めていた旅館の主人・石田吉蔵と愛欲に耽った挙句、絞殺して男性器を切り取り逃亡、逮捕されたが判決は懲役6年の短期刑、しかも恩赦によってわずか4年で出所している。その後については諸説あり、間違いなく亡くなっているだろうが享年などは不明。

戦後初の「女性死刑囚」がやったこと

早くに夫と死別し、惚れていた若い巡査とも破局したカウは、塩原温泉郷にあった「ホテル日本閣」の経営を引き継ぐことを夢見た。そこの主人と共謀し主人の妻を殺したが、ホテルはカウのものにならず、だまされたと激昂して主人も殺す。

ホテルの従業員だった男を雇い、どちらの殺人も手伝わせているが、カウは捕まらなければこの男も始末する気でいたし、逮捕後は「実は夫も病死ではなくカウに殺されていた」のが発覚する。しかし獄中生活は穏やかで、刑場にも静かに向かったらしい。

殺人もいろいろで、定の場合は愛欲の暴走ともいえた。金銭の揉め事などはなく、被害者も一人、しかも首絞めは閨での合意の上のことだったようだ。カウは3人も殺し、捕まらなければさらに殺していたはずで、まずはホテル乗っ取りが目的だった。

この2人、同時代を生きた女の殺人者としてひとくくりにはしているが、世間の扱いというのか、特に男からの反応、思い入れ、などが大きく違った。