文化はこうして消えていくのか

――高齢化が進んで、人口が減っていくと分配も難しくなってしまいますね。

そこが大きな問題なんです。分配文化、もっと言えば、熊狩りの存続が危うくなるという文脈で興味深い出来事がありました。

このあたりには、まだ「口寄せ」の風習が残っています。死者の魂を呼び寄せた巫女に、故人が成仏できているか、どんな思いでいるのか、遺族が尋ねるんです。

息子さんを亡くしたおばあちゃんが巫女に「口寄せ」をしてもらったところ、亡くなったのは「マタギが熊狩りをしたからだ」という話になった。熊の祟りだから、マタギを集めて供養しなければならないと。

でも、山熊田の熊狩りは、山の神から春の恵を授かる神事なんですよ。神から授かった熊が祟るのか、と違和感を覚えました。しかも、その息子さんは熊狩りに参加した経験がほとんどなかった。

大滝ジュンコ『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社)
大滝ジュンコ『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社)

実は、その巫女は、離れた地域に住んでいて山熊田のことをよく知らなかったようなんです。彼女も山熊田はマタギの集落で、熊狩りしていることは知っていた。断片的な情報で「熊の祟り」という話になったのかなという気がしました。

昔は山熊田の近くにも「口寄せ」がいたらしいのですが、過疎高齢化でいなくなってしまった。もしも山熊田の熊狩りが神事だと知る巫女だったなら、熊の祟りなんて言っただろうか、と感じました。

それでもマタギたちは、おばあちゃんの気が済むのなら、と熊の供養に参加した。それ以来、おばあちゃんは熊汁の分配を断るようになってしまったんです。こうして、平等を尊んできた村の文化が徐々に廃れていくのかと思いました。

プライバシーよりも村の掟の方が大事

――平等に分配するのは、熊肉だけなんですか?

山菜やキノコなど村人みんなでとるものは基本的に平等に分け合います。また道普請という道の整備作業や、各家々のため池の整備も村人全員で行います。田植えや稲刈り、薪割り、雪下ろしも互いに助け合う。自然を前にしたときの人間の無力さを知っているからこそ、村人全員が協力し合うようになったのだと思うんです。

埼玉県出身の私にとって、そんな村のあり方が新鮮でした。だって、私たちは個やプライバシーが大事と教わってきたでしょう。

でも、山熊田では、個よりも、村を優先する。そうしなければ自然の一部として生きていけない。私には、長い歳月をかけて醸成された山熊田ならではの価値観がとても尊いものに思えるのです。(後編に続く)

(インタビュー・構成=プレジデントオンライン編集部)
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