トップになる人間の条件は「運がいいこと」

さらに悪いのは、上の人間が欠陥ばかり目をつけていると、部下も、それを見習うでしょう。

だって、部下がいい面を見て主張すれば、上司にお前は楽天家、ノーテンキな奴だと、バカにされてしまう。だから上のネクラに迎合して下の人間も、皆、批判的なことを言いはじめる。となると自分じゃ何もしない集団になってしまって、物事が前へ進まなくなる。

これも、松下さんに聞いた話ですが、トップになる人間の条件として、「運のいい奴じゃないとダメだ」と、彼は言った。「人の運なんてわかりますか?」そう問いただしたら、松下さんは「わかる」と、はっきり言った。この辺が松下流なんだね。

運命というのは明るさと結びつく、明るけりゃ運は開けるんだというのが、彼の主張だった。確かに、僕ら子供のころ教わったのは、「運・鈍・根で生きろ!」と。僕は、滋賀県出身で、近江商人の末裔まつえいですから「商人てのは、運・鈍・根、この3つだ」と、よく言われた。

鈍とは、バカってことだ。利口なのはダメだと、バカになってやりなさいと。相撲だって、野球選手だってバカになってガンバッてるでしょう。目先の得を考えて小回りをきかせたり、手抜きするような小利口なのは、やっぱりダメ。バカになってやることがとても大事でしょう。

バカになって根気よくやれば道はひらける

根というのは、根気。あきらめないでコツコツやる。バカになって、根気よくやれば、必ず運が開けてくるというわけだ。というのは、失敗する。失敗して、運が悪かったからだと言う。いや、これは違うんだ。失敗というのは、あきらめた時が失敗。

そうでしょう。何度も何度もやってれば、まぐれで成功するかもしれないけど、あきらめたら、それでおしまい。つまり失敗だ。ズーッとあきらめないで、鈍・根でいつまでも頑張っていれば、確かに運は開けて成功するものです。もっといえば、運を開くのは、明るさ。明るさとは、失敗にめげないことでしょう。

失敗して暗くなると、批判的になって、アラばっかり言うようになって、結局、運も開けてこない。もっとも、僕は本当はネクラな人間でね。だからこそ、運・鈍・根という発想に、体で反発しながらも、面白いと思うんだ。とにかく、自分をアピールしたいと思ったら、自分の明るい面を出さなきゃいけない。ネクラのアピールなんて誰も乗ってこない。

暗い部屋でパソコンを使用する人
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