「和牛」の圧倒的存在感

僕はもうひとつ、VIVA JAPANという会社も作っていました。日本の秀逸なプロダクトを輸出するeコマースの会社でした。ここで縁あって一部、扱うことになったのが、和牛の輸出でした。

浜田寿人『ウルトラ・ニッチ』(ダイヤモンド社)
浜田寿人『ウルトラ・ニッチ』(ダイヤモンド社)

当時、ジャパン・パッシング(JAPAN PASSING)という言葉がありました。

中国が経済成長して、韓国も輸出が伸び、「もう日本はパスしよう、いらないよね」と言われ始めた時代。海外の映画関係者からも「日本のステータスが落ちている」とはっきり言われていました。

だからこそ、世界に通用するメイド・イン・ジャパンを広めることには、きっと大きな意義があると思ったのです。

その後、アメリカに出張することになり、改めて痛感したのが、和牛の圧倒的な存在感でした。VIVA JAPANの事業について話をすると、外国人が食いついてきたのは和牛の話でした。

全員から反対された「和牛ビジネス」

アメリカから帰るユナイテッド航空機のエコノミーの窓側の席で、僕は思案していました。これから、どうするべきなのか。

カフェグルーヴが厳しくなっている中で、VIVA JAPANを売却する、という選択肢もありました。しかし、13時間のフライトで僕が決断したのは、和牛一本に絞ることでした。

和牛の輸出は参入障壁が高く、誰でもできるわけではありません。さらに高付加価値の商品で、差別化ができて、メイド・イン・ジャパンを象徴できる。本気でやれば海外に日本をアピールできる。そんなアイテムは和牛以外にないと思ったのです。

しかし、会社に残っていたのは、多くがIT系の人材です。和牛をやりたいという僕の声に、耳を傾ける社員はいませんでした。役員会でも、全員に反対されました。

最後に残った一番長い付き合いのあった役員も、「今回は申し訳ないけど、ついていけない」と僕の下を去りました。それまで苦労をかけた多くの主要メンバーから「こいつ、ついに終わったな」という目で最後に見られたのを覚えています。