紙の補佐役になった服部良一と初めて顔を合わせ驚かれる

紙恭輔はゆったりと大人しめな曲調のスウィート・ジャズに精通した人物。だが、それだけでは動きの激しいダンスを売り物とする楽劇団には物足りない。本人もそれは分かっていたようで、ダンスとの相性が良いホット・ジャズに精通した人物を補佐役に探していた。そこで白羽の矢が立ったのが服部良一である。

作曲家の服部良一、1973年6月
写真=時事通信フォト
作曲家の服部良一、1973年6月

当時の服部はコロムビアの専属作曲家として契約しており、戦地の兵士を慰問するため中国に滞在していた。SGDの初公演が迫り紙も焦っていたようで、服部が帰国して東京駅に到着すると、ホームで松竹関係者が待ち構えていた。その場で説明をうけて副指揮者に就任することが決まり、旅装を解く間もなく団員たちが練習しているという帝国劇場に連れて行かれた。

服部が帝国劇場に到着すると間もなく、稽古場にシヅ子も姿を現した。このとき、ふたりは初対面。担当者から呼ばれて服部に紹介された彼女は、

「笠置シヅ子です。よろしゅう頼んまっせ」

と、挨拶してきた。しかし、服部は驚いて挨拶を返すことができなかったという。

少女歌劇のスターであるその名前を知らぬはずがない。顔も雑誌やブロマイドで幾度も目にしていた。が、目の前に立つ女性は、写真で見るそれとはまったく別人に見えた。服部の自伝『ぼくの音楽人生』にもこのときのことが書かれている。それによると、

「トラホーム病みのように目をショボショボさせた小柄の女性がやってくる。裏町の子守女か出前持ちの女の子のようだ」

地味でやせっぽちなシヅ子は歌い出すと強い輝きを放った

第一印象は最悪。舞台の上の笠置シヅ子は厚いメイクでぱっちりと目を大きく描き、長さ3センチの特大付けまつ毛をつけている。しかし、金欠ゆえに普段は粗末な服装で化粧もろくにしていない。そのギャップは激しかった。

地味でしょぼくれた姿にがっかりした服部だったが、しかし、練習が始まると……また驚かされてしまう。心が震えるような強い感動も覚えた。本番のメイクをして、舞台衣装に着替えて現れたシヅ子は別人に変わっていた。それがオーケストラの演奏にあわせて歌い踊ると、いっそう強い輝きを放つ。

シヅ子が表情豊かに声を張りあげてうたい激しく動きまわれば、一緒に踊る他の少女歌劇出身の女優たちの存在がかすんでしまう。ブロマイド写真では感じることのなかったすさまじい迫力、圧倒的な存在感が服部の心をとらえて離さない。目は彼女に釘づけ、シヅ子と組めば新しい可能性が開けるかもしれないと期待した。