※本稿は、石神賢介『婚活中毒』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
30年婚活をしているのに、なぜ結婚できないのか
30年近くさんざん婚活をやってきた。女性と出会えていないわけではない。婚活のツールも年々充実している。婚活アプリや結婚相談所を利用して成婚している男女はいくらでもいる。なのに、成婚できない。原因は明らかに自分自身にある。
理由として思い当たることがいくつかある。まず、自我が育ち切ってしまった。約60年生きてきて、自分はこうありたい、自分はこうでなくてはならない、というものが増え過ぎた。
自我がやわらかい20代ならば、さまざまなことが受け入れられた。同世代の女性と交際して食事して、映画を観て、音楽を聴いて、セックスをして、2人で志向や嗜好を育てていくことができた。
ところが年齢を重ねると、それが難しい。年齢相応の体験をしてきたので、好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。はっきりとしている。自分が思う自分は、ほんとうの自分なのか。正しい自分なのか。それはわからない。でも、こうあらねばならないと思い込んでしまっている。
すると、恋愛も含めて人間関係のストライクゾーンがとても狭まってしまう。その狭いストライクゾーンからはずれたものは受け入れられない。偏屈になっているのだ。中高年の男が出会う女性は、たいがいは中高年だ。相手も自我が育ち切っている。
女性のほうがまだ柔軟性があると思うが、それでもやっかいな男と時間を共有するほど彼女たちはひまではない。おおらかでもない。社会性のある女性同士で上手にコミュニケーションをとり、気楽に楽しむようになる。
交際女性が異物になってしまう
中高年同士の恋愛は難しい。恋愛関係になり、外で会っているうちはまだいい。時間が限定されるからだ。1日くらい相手に合わせられる。歩み寄れる。しかし、相手が家に来るようになるといけない。
筆者はフリーランスで仕事をしている。自宅にいる時間は、睡眠、食事、入浴のほかは、ほぼ原稿を書いている。別のことをしていても、脳のどこかでいつも必ず原稿のことを考えている。生活は自分流だ。
自宅は3LDK。仕事部屋、資料部屋、寝室……。すべてのスペースを自分のために使っている。トイレも浴室もドアを開けたまま使う。誰もいないから、閉める必要がない。夏は裸族。全裸で生活している。誰にもとがめられない。そんなわがまま放題の生活が長すぎた。1人の生活に慣れ過ぎた。
そこに異質なものが長時間滞在すると苦しくなる。でき上がってしまった1人の生活を壊されるのが怖い。交際している女性の来訪はうれしい。楽しい。
ところが相手が泊まっていくと、2日目はつらくなってくる。原稿を書きたい。でも、彼女がいる。仕事をするのは気が咎める。早く帰らないかなあ、と思う。でも、口には出せない。やがて彼女は「帰ってくれないかなあ」という表情を察知する。もめる。別れる。そんな恋愛をくり返してきた。