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公約よりも実際の政治運営を見てから評価せよ

「ポピュリズム」というのは極めて使いやすい言葉ですよね。新聞やニュース番組でも、短くセンセーショナルで耳目を集める用語ですから、よく使われます。あまりに安易に使われ過ぎて、手垢が付き過ぎているとも言えるほどです。

ただ、こうした言葉を使う際には注意が必要です。たとえばポピュリズムという言葉を使う背景には、無意識の「上から目線」、自らをインテリであると認識したうえでの安っぽい予断が含まれているからです。

メガホンを使ったデモを主導する若い女性
写真=iStock.com/FG Trade
※写真はイメージです

「ポピュリズム」、ときに「大衆迎合主義」と訳されることもあるこの言葉には、「教育を受けたエリート層を軽視し、無教養な大衆に迎合した政策や政治を行うこと」という本音が見え隠れします。イギリスのEUからの離脱や、アメリカのトランプ前大統領による自国ファースト主義以降、ひんぱんに使われるようになりました。

しかし、改めて広辞苑で「ポピュリズム」を引くと、「一般大衆の考え方・感情・要求を代弁しているという政治上の主張・運動」とあります。要するに本来の「ポピュリズム」とは「民意を受けている」こと。民主主義の原則そのものなのです。

もちろん今回のウクライナ侵攻でロシアが強行したウクライナ4州の「併合」のように、銃を構えた兵士を後ろに従え各戸訪問して投票用紙を集めたり、透明な投票箱を使用するような“投票”の場合は、民意を受けているとは言えません。

しかしイタリアは成熟した民主主義国家です。国内・国外の、政治的に独立した報道に自由にアクセスできるイタリア国民が、公明正大な選挙で投票した結果が、FDIの第一党への躍進です。それを外国である日本の新聞などが「ポピュリズム」「民主主義のもろさ」と断じるのはおかしいでしょう。

それは報道の担い手、記事の書き手、ワイドショーの語り手が、「我こそが冷静な判断のできる教養層であり、イタリア有権者はそれができない愚鈍な民である」とコメントするのに等しい傲慢さではないでしょうか。

政治家時代の僕もかつて「ポピュリスト」と呼ばれたものです。でもその言葉は、僕に向けての中傷である以上に、大阪の有権者をとことん愚弄する発言だと感じていました。「大阪府民・大阪市民は見る目がない」「バカだ」と断じているようなものですから。

同時に思うのは、このようなメディアの姿勢こそが、新聞やテレビなどマスメディアを衰退させている一番の原因ではないかということです。既存の政治、組織、体制、制度に「NO!」を突き付ける人々が政治に何を求めているのか、その背景を丁寧に探れば、社会の一端が見えてくるのにそれをせず、ありきたりのレッテル貼り批判をすることによって既存の秩序を守ることに必死になってしまっている。