プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが10月1日、亡くなった。元外交官で作家の佐藤優さんは「国益に貢献したいという思いから、政府が信頼関係を構築していない国家に次々に飛び込んでいった。とりわけ北朝鮮については、日本政府は猪木氏の人脈と情報をもっと活用すべきだった」という――。

※本稿は、アントニオ猪木『闘魂外交』(プレジデント社)の解説「アントニオ猪木外交について」に、猪木氏の死去を受けて佐藤優氏が加筆したものです。

北朝鮮の平壌で開催された国際プロレス大会が閉幕し、あいさつを終えて気勢を上げるアントニオ猪木参議院議員(手前左、次世代の党)ら。
写真=時事通信フォト
北朝鮮の平壌で開催された国際プロレス大会が閉幕し、あいさつを終えて気勢を上げるアントニオ猪木参議院議員(手前左、次世代の党)ら。=2014年8月31日

ロシアの政治エリートはアントニオ猪木にあこがれていた

10月1日、元参議院議員でプロレスラーのアントニオ猪木(猪木寛至)氏が心不全で亡くなりました。ここで肩書を元プロレスラーとしなかったのは猪木氏が死ぬ瞬間まで現役だったと私が認識しているからです。

猪木氏には外交官時代にとてもお世話になりました。作家になってからも何度か一緒に食事をしました。

猪木氏はソ連時代末期から頻繁にモスクワを訪れるようになり、大使館ではいつも私がアテンド係でした。猪木氏には、人の魂をつかまえる特殊な才能がありました。

ソ連時代、プロレスは資本主義社会の腐敗した見せ物で、スポーツではないとされていました。

プロレスの興業が行われることはもとより、テレビ放映もありませんでした。ただし、ロシア人は格闘技好きです。

闇で流通している16ミリフィルムでプロレスが紹介されていました。だから、格闘技好きのロシア人は、アントニオ猪木×モハメッド・アリの異種格闘技戦を密かに見ていました。ロシアの政治エリートは、アントニオ猪木にあこがれていました。

頻繁にモスクワを訪れていた理由

猪木氏は、スポーツ平和党党首兼参議院議員としてモスクワをよく訪れました。

ソ連の国会議員や政府要人と話し合って、ソ連事情について貪欲に知ろうとすると同時に、有望なプロレスラーやプロボクシング選手を見いだすことも猪木氏の目的でした。

当時、ソ連では国営スポーツ・システムが崩壊し始めていたため、柔道、グレコローマンレスリング、アマチュアボクシングから優秀な選手をプロレスやプロボクシングに引き抜くことができました。

猪木氏は、「国家や企業に選手たちは使い捨てにされがちだ。それは日本でもアメリカでもソ連でも一緒だ。俺は苦しい状況に置かれているソ連の格闘技選手たちの生活を保障したいんだ」と言っていました。猪木氏の人間性に共感するソ連共産党の幹部が少なからずいました。