※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第6章「『少年A』の両親との20年」の一部を再編集したものです。
真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた
一人の少年の犯罪が、社会にこれほどの衝撃を与えた例はないだろう。
第一の犯行は2月10日だった。小学校6年生の女児を、ショックレスハンマーで殴打し、加療一週間のケガを負わせる。同じ日。別の小学校六年生の女児を、またしてもショックレスハンマーで殴打。
3月16日。小学校4年生の山下彩花さんを、八角玄翁(鉄のハンマー)で2回殴打。彩花さんは一週間後に死亡する。
同日。小学校3年生の女児の腹部に、刃渡り13センチのくり小刀を突き刺し、加療約14日間のケガを負わせる。
被害者はいずれも、通りすがりの女子小学生だった。3月の犯行後につけ始めた「犯行ノート」に、少年Aはこう書いた。
〈朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。新聞を読むと、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。〉
この翌月には、「懲役13年」と題する長い作文を書いている。「13年」とは、自分がそれまで生きてきた年月を指すのだろう。その最後の段落に、Aはこう書いている。
〈人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
俺は真っ直ぐな道を見失い、
暗い森に迷い込んでいた。〉
「さあ、ゲームの始まりです」
犯行は、さらにエスカレートしていく。
5月24日、弟の同級生で顔見知りだった、小学校六年生の土師淳君を、通称「タンク山」の頂上に誘って絞殺する。翌25日の昼間、金ノコで頭部を切断し、自宅へ持ち帰った。
26日深夜、自分が通っていた中学校の正門前に、頭部を遺棄。自筆の声明文を、口にくわえさせていた。今も記憶に残る、あの声明文だ。
〈さあ ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOLL KILLER
学校殺死の酒鬼薔薇〉
6月4日には、神戸新聞社に犯行声明文を送りつける。そこには、こんな一文があった。
〈透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない〉
〈しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。〉