王冠を賭けた恋

国内外で絶大な人気と支持を集めるエリザベス女王は、トランプ大統領も称えるように偉大な王です。しかし、今後、将来にわたって、エリザベス女王のような偉大な王が続くとは限りません。暗愚な王が現れたときに、国民はどうするのでしょうか。それまでの称賛とは打って変わって、非難を浴びせて、暗愚な王を追放するのでしょうか。

実際に、イギリスではこんなことがありました。エリザベス女王の祖父ジョージ5世が死去し、長子のエドワード8世(エリザベス女王の叔父)が1936年に即位します。しかし、エドワード8世は離婚経験のあるアメリカ人女性のウォリス・シンプソンとの結婚を望み、世論の反感を買います。ウォリスは人妻で、エドワード8世はウォリスの夫に離婚を迫り、暴行事件まで起こしています。

国民の国王に対する非難も日に日に強まり、メディアも連日、王室のスキャンダルを書き立てました。

当時のスタンリー・ボールドウィン首相はエドワード8世に「王制が危機にさらされている」と警告し、退位を迫りました。エドワード8世は王位を捨て、ウォリスとの結婚を選びました。エドワード8世の行動は「王冠を賭けた恋」と言われます。

エドワード8世は暗愚な王と認定されて、事実上、追放されました。イギリス国民は、将来また暗愚な王が現れれば、追放するのでしょうか。

君主にどう向き合うのか

民主主義の国家において、王といえども、国民の意向を無視することはできません。しかし、国民の意向に左右され過ぎるのも問題です。国民の支持を失った王はいつでも国民が追放することができるとなれば、王の存在意義が問われます。

国民の支持があるうちは良いのです。しかし、それがひと度失われたときに、民主主義国家において、君主が存在することの矛盾が一気に吹き出してきます。「王などいらない」という極論が国民世論として形成され、君主制が廃絶されたことが歴史上、度々、ありました。

民主主義において、政治も最終的には世論に屈します。世論に過剰に左右される君主制というものが健全な姿かどうかは、よく考えなければならないところです。

エドワード8世の弟でエリザベス女王の父であるジョージ6世が即位します。ジョージ6世は非常に内気な国王で、生まれつき吃音に悩まされ、人前でまともに話すことができませんでした。アカデミー賞を受賞した映画「英国王のスピーチ」(2010年)は、ジョージ6世と王の吃音を治療した言語療法士との友情を、史実を基に描いた作品です。

ジョージ6世は最終的に吃音を克服し、第2次世界大戦の「開戦スピーチ」で堂々の演説を行い、国民を驚かせ、鼓舞しました。「国民と共にありたい」と願うジョージ6世が起こした奇跡です。

君主も人間である限り、国民に愛され、支持を得たいという思いを抱きます。君主と国民の関係がうまくいっているとき、君主制は国家統合の象徴として、広く受け入れられますが、それが崩れたとき、国民の国家や君主制に対する思慮が問われることになります。民主主義において、君主を戴(いただ)くということは、極めて困難な矛盾多き政治課題を含んでおり、これは絶妙なバランスの上に成り立つもので、何かをきっかけにすぐに壊れてしまう脆弱なものでもあるのです。

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宇山 卓栄(うやま・たくえい)
著作家

1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、著作家。テレビ、ラジオ、雑誌、ネットなど各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。近著に『朝鮮属国史――中国が支配した2000年』(扶桑社新書)、『「民族」で読み解く世界史』、『「王室」で読み解く世界史』(以上、日本実業出版社)など、その他著書多数。