「好き」を仕事にしたはずが……。自己嫌悪と逃避を繰り返した10年間
自分が好きなこと、得意なこと、社会のニーズ。この3つの輪が重なり合う部分にあなたの適職がある――。学生時代にリクルート社の雑誌などでこんな言説をよく目にした。その通りだけど、自分が実行できるかは別問題だ。
筆者は就職活動で「自分の好きなこと」すら見失い、製品は好きになれず体育会系の社風にもまったく合わない製造小売業に入ってしまった。店舗業務は得意どころか完全に足手まといで、1年ほどで逃げ出すように退職。その会社は現在では巨大なグローバル企業へと成長したので「社会のニーズ」はあったのだろう。就職するのではなく株でも買っておけばよかったと今では思う。
愛知県にある環境コンサルティング会社の正社員として3年目の加藤正人さん(仮名、35歳)の場合は、大学卒業後すぐに「好きを仕事にする」ことをかなえた。しかも、乗り物好きという点では当時と今の仕事が直結している。新卒入社ではバイク販売会社の店員で、現在は再生燃料用の廃食油運搬を専門とする大型車ドライバーなのだ。
しかし、3年前に現在の会社に入るまでは、自己嫌悪と逃避と再挑戦の繰り返しだった。無力感と孤独感が募り、職場の片隅で泣いてしまったこともあるらしい。加藤さんが生まれ育った愛知県三河地方にある居酒屋に誘い、10年ほどの苦しい時期を過ごした彼の「転職ロマン」を聞き取ることにした。
「地元がすべてだった」。大学4年間で毎日100キロ運転した男の原点
インタビュー場所に現れた加藤さんは身長180センチ近い長身で、体は引き締まってしなやかそうだ。休日はテニスやマラソン、釣りなどのスポーツに親しんでいるという。
物腰は柔らかく、筆者の妻にとコーヒー豆とチョコレートを手渡してくれた。いかついイメージがある大型車のドライバーにはとても見えないが、車の運転は学生時代から好きで得意だったと語る。
「地元を離れたくないので、県内でも遠くにある大学には車で片道1時間半かけて実家から通学していました。毎日100キロの道のりを4年間。無事故です」
そんなに車好きならば愛知県民の順当コースであるトヨタ系の企業を選べばいい気がするが、加藤さんには車よりも好きなものがあった。バイクだ。
「安く買えた中古の250ccを乗り回していました。ちょうど地元に本社があるバイク販売店が急成長をしていた頃です。地元で好きな仕事ができるならと思って就職しました」
加藤さんの口からは「地元」という言葉が頻出する。この場合、愛知県などの広い行政範囲ではなく、中学校の学区ぐらいの狭くて慣れ親しんだ地域を指している。
「小中学校時代からの友だちとは今でもよく会っています。高校卒業後はトヨタ系の工場で働いている人が多いですね。実家の近くに家を建てて、子育て中の人も少なくありません。僕も大学なんて行かずに友だちと同じように地元にいるべきだった、と後悔したことは何度もあります」
「勤務先併設の社宅」から逃げ出したあの日。社会を信じられなくなった
入社直後に埼玉県の店舗に配属された加藤さん。採用試験での社長面談では「地元で働けるよ」と言われたけれど嘘だった、と憤る。全国展開中の会社を率いる社長としては「いずれは地元に戻れる。正社員なんだから若いうちは外で修業しろ」ぐらいの気持ちだったのかもしれない。
しかし、地元を出たことも一人暮らしをしたこともない加藤さんには、「勤務先店舗の上にある4畳の社宅」という生活環境は過酷すぎたようだ。業務内容や人間関係には不満はなかったが、2カ月で見切りをつけて退職し、実家に逃げ帰った。
「情けないですけど、半年間は何もしませんでした。社長から嘘をつかれて社会を信じられなくなったんです。今考えると、地元と親に甘えていましたね……」
半年後、ハローワークに紹介された自動車関連工場に再就職を決めた加藤さん。実家から車で15分で通えて転勤もない。
「1年で辞めてしまった理由は人間関係です。20人ほどもいた外国人はいい人たちだったけれど言葉の壁がありました。3人しかいない日本人の先輩たちはかなり年上で、『見りゃわかるだろ』と仕事を教えてくれません。何もできないのが辛くて、人のいないところで泣いてしまったこともあります」
何もできないだけでなく、自分が何をやりたいのかもわからない。そんな絶望感を抱えたまま加藤さんは再び失業した。24歳のときだ。
3度目の失業で見つけた唯一の特技。食品配達での「ありがとう」が自信に
失業保険をもらいながら通えるスクールでパソコンの基礎的な資格を取った加藤さん。今度は事務職を希望して工作機械製造の中小企業に入ったが、実際に任されたのは部品製作の設計業務だった。パソコンに向かう仕事とはいっても専門知識が必要で、事務職とはいえない。
「素人なりに頑張ろうと思いましたが、先輩方はみんな忙しいので片手間でしか教えてもらえません。半年後に社長に呼び出されて、『ダメそうなら辞めてもらおうかな』と言われてしまいました」
ひどい経営者もいるものだが、加藤さんにも営業時間外で設計を独学するほどの覚悟と適性はなかったともいえる。3度目の失業。後がないと感じた加藤さんは今度こそ冷静に自分を見つめた。
「3回も続けて短期で辞めてしまい、自分は何もできないのだと思い知りました。せめて人よりも得意なことは何だろうと考えて見つけたのが食品配達の仕事です。車の運転ならば自分にもできますから」
働き始めてみると、自分の性に合った仕事なのだと感じた。基本的に一人でマイペースに働けて、届け先の学校や会社では「ありがとうね」と声をかけてもらえたりする。
「喜んでもらいたいので、単に届けるだけじゃなくて『冷蔵庫に入れておきましょうか?』などと声をかけるようにしていました。自分の都合じゃなくて、向こうの都合で動くことが大事です。だんだんと仲良くなり、評価してもらえることも増えました」
「三河の住民」ゆえの選択と失敗。やりがいを求めて再びハンドルを握る
車の運転、気遣い、感謝。加藤さんはようやく適職の軸を見つけて6年間を過ごしたが、30歳を過ぎてからは給料の低さが気になり始めた。
「食品業界は単価が安い商品を扱っているので仕方ないのですが、自分はこのままでいいのかと悩みました」
転職サイトに登録した加藤さん。今度は働きながら転職先を探す余裕があった。しかし、自己評価が低めの加藤さんはせっかく手にした適職の軸を忘れて、「自分でもできそうで給料も高い仕事は自動車関連の工場にしかない」と決めつけてしまった。三河地方は自動車産業が盛んなので、自身の適性よりも、身近で条件の良い自動車関連職を短絡的に選択しがちなのだ。
今度の工場は大手の自動車部品メーカーから直で下請けをしており、従業員も50人ほどと規模も大きめ。給料もアップするので加藤さんは一人暮らしを再開した。その場所は「三河寄りの尾張地方」なので地元とはいえない。加藤さんの成長がうかがえるが、工場現場は想像以上に自分に合わなかった。
「常に納期に追われつつ、作業は同じことの繰り返し。シフトで動かされてお客さんにも会えません。作っているのは自動車部品のそのまた部品。やりがいも見つけにくかったです」
加藤さんはわずか3カ月で見切りをつける。5回目の退職だが、以前のような自己嫌悪には陥らなかった。「食品配送の仕事ならやりがいを持ってやれる」という実績と自信があったからだ。
「前の会社に戻ったわけではありませんが、学校給食を届ける仕事に就きました。給料が低いことは覚悟の上です。人から感謝される仕事だし、学校相手なので土日祝休みで友だちと会えるのも魅力でした」
適職に戻って水を得た魚のように働き始めた1年後、アカウントを解除し忘れていた転職サイトから1通のメールが届く。これが加藤さんの職業人生を大きく好転させた。
放置していた1通のスカウトメール。「努力の跡」を証明してくれた宅建資格
「今の勤め先からのスカウトメールだったのですが、1通目は放置していました。環境コンサルティングなんて自分は畑違いだし、上場企業の子会社で200人も従業員がいる会社に入るなんて自分には無理だと思ったからです。でも、部長さんから2通目をもらったときに内容をちゃんと読んで、廃食油を運搬するドライバー職だと知りました。僕は無事故無違反を続けているゴールド免許証保持者なので、試しに入社試験を受けてみようと思ったんです」
試験の際は、加藤さんがかつて取得していた宅建(宅地建物取引士)の資格が役に立った。実際の業務に使えるわけではないが、「座学でも努力ができる人間」として管理職になる将来性も評価されたのだ。上場企業の子会社らしい判断基準である。
「僕は大学では法学を学びました。何も生かせていないのは親に申し訳ないので、せめて法律に関わる資格を取っておこうと思ったんです」
幸運にも恵まれ、加藤さんはついに腰を落ち着けられる働き場所を得た。毎朝出勤して、廃食油を提供してくれる食品工場や飲食店、それを届ける先のルートを確認する。無事に帰社したら日報作成などの事務仕事を少し。大型自動車とフォークリフトの運転免許、危険物取扱者資格などは会社が取らせてくれて、給料はほぼ倍増した。
「捨てられていた油を燃料に変える仕事なので、人類だけでなく地球の役にも立っているんです」
インタビューの間、ずっと謙虚な姿勢だった加藤さんが初めて胸を張った。その目は笑っているところに愛嬌がある。
自動運転には代替できない「気遣い」。廃食油の回収は、地球を動かす仕事だ
仕事で自信を取り戻し、一人暮らしにもすっかり慣れた加藤さん。「地元と実家にずっと甘えていたけれど考え方が変わった」と自己分析し、今の勤務先のためならば愛知県外に転勤になっても構わないと明言する。これほどに加藤さんを変えた運転のプロという仕事はどういうものなのだろうか。
「技術以上に性格的なところが重要だと僕は思います。道路上にはあらゆる人がいるので、他人のことを考えられないと安全運転の継続はできません。僕は気遣いすることが好きなので、『かもしれない運転』は当たり前になっています」
現在、バイオディーゼル燃料の原料となる廃食油は業者間で取り合いにもなっている。だからこそ、気遣いと感謝ができる加藤さんのような人材が現場に出ることには意味がある。
「この油が何に使われるの?という質問をいただくこともあります。ディーゼル車や船を動かせるんですと説明すると喜ばれますよ。みなさんの協力なしには成り立たない仕事です」
廃食油を提供してくれる飲食店を開拓すれば報奨金をもらえる制度も社内にあるという。加藤さんたちはドライバーと営業マンを兼ねているのだ。幸せそうな加藤さんにちょっと水を向けてみた。商用車の自動運転化の進展がプロドライバーを消滅させることはないのだろうか、と。
「高速道路をただ走るだけならば自動運転でも構いません。でも、回収や配達をする現地に着いたときに、それぞれの場所の暗黙のルールを守らなければなりませんし、『今日はこうしてほしい』といった要望もあります。結局のところ、気遣いができないと仕事にならないんです」
「おにぎりよりパン」に宿る温もり。安全運転で描く30年後の未来
夏の暑い日。自宅に荷物を届けてくれた宅配便のドライバーに、「今日も暑いっすね。いつもありがとうございます」と冷たいお茶のペットボトルや菓子パンを渡すこともあるという加藤さん。自分がやってもらってうれしい行動をする姿勢が徹底している。
「ちなみにおにぎりとかクロワッサンとかはダメです。海苔が口についたり、下にボロボロと落ちたりするので。運転しながらでも簡単に食べられるようなパンが最適ですね」
AIは人間を装うことはできても人間そのものではないので、「自分がやってもらってうれしいこと」という発想も実行もできない。仕事が効率化されることはあっても、仕事そのものがなくなることは当面ない、と加藤さん。この肌感覚は運転以外のプロフェッショナル業務にも当てはまることだと筆者は思う。プロの真髄は人間的な温かみと責任感なのかもしれない。
大学卒業後の10年間で6回もの転職を経験した加藤さん。自分には何もできないと落ち込み、実家と地元に甘え続けた日々もあった。しかし、自暴自棄にはならず、「経済的にも精神的にも自立した大人になりたい」「人の役に立って感謝されたい」という姿勢を持ち続け、約30年後の定年まで前向きに働き続けられそうな勤務先にたどり着いた。
「将来的に管理職になったら仕事で運転はしなくなるかもしれません。でも、私生活ではずっと運転するでしょう。バイクもまだ持っていますよ。学生時代よりは大きくなって、今は950ccのヤマハです」
現実の社会は「3つの輪が重なり合う適職」がすぐに見つかるほど甘くない。でも、あきらめなければ希望はある。今日も加藤さんは仕事でもプライベートでも気遣いのある安全運転を続けている。
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