シリコンバレーのITの最先端で働く親たちは、なぜ子どものスマホ使用を厳しく制限するのか。3人の娘をハーバードに合格させたシム・ファルギョンさんは「彼らは子どもたちに対するスマホの有害性を知っているため、自分の子どもたちが家でスマホを使うのを厳しく制限する場合がある」という――。

※本稿は、シム・ファルギョン著『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)の一部を再編集したものです。

中学卒業までスマホを与えないキャンペーン

「8年生まで待とう(Wait until 8th)」

2019年11月25日付の『米州中央日報』の記事に、私は目を見開いた。何を待つのだろうか? よく読んでみると、子どもが8年生(アメリカで高校入学を準備する学年)になるまではスマートフォンを買うのを待とうと、親に訴えるキャンペーンだった。

これに同意する親はキャンペーンサイトでスマホ購入を待つという署名をするようになっていた。さらに面白いことに、同じ学校の親が10人以上署名したら、お互いに署名者が誰だかわかるようになっていた。同じ決心をした親たちがお互いに知り合い、この問題について一緒に考えようという試みだった。

当時、末っ子がすでに大学に入学したあとだったため私自身は署名する必要はなかったが、一瞬、過去の出来事が脳内をかすめた。私は3人の娘に対して、大学に入るまではスマホを買ってあげないと決めていた。そして、孤独な戦いを続けてきたからだ。この記事を読んで、遅ればせながらも同志に出会ったようで、胸がいっぱいになった。

ただちにキャンペーンの代表にメールして、私の経験談を伝え、スマホを与えなかったおかげでわが子たちが得たポジティブな効果を教えてあげたくなった。

南京錠と鎖でロックされたスマートフォン
写真=iStock.com/Eshma
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幼い子にナイフを渡す親はいない

わが子たちが小学生だった頃、テレビとゲームに続いて子どもたちが立ち向かった挑戦は「ノー・スマホ」だった。当時は「ノー・パソコン」の原則の下、学校の宿題や学習に必要な場合を除き、好きに使えないようにしていた。

この話をすると誰もが口をそろえて、どうすればそんなことができるのかと聞く。私は、親の意識さえ変えればもちろん可能なことだと答えてきた。なぜなら、この問題は子どもの問題ではなく、親の問題だからだ。

例えば、幼い子がナイフを貸してと言ったとき、快くナイフを渡す親はいない。では、渡さない理由は何だろうか。それは、幼い子がナイフを持てば危ないというのが常識だからだ。子どもが成長するに従い、どうすればナイフを安全に、正しく使えるのかを教えてから与えるはずだ。このように、子どもにとってスマホはナイフのような危険物だと考えれば、どこの親が子どもにスマホを与えるだろうか。

2万2千人余りの親が参加した

このキャンペーンを始めた人たちは、ほとんどが子を持つ親だった。このような姿勢は、典型的なアメリカ人の育児スタイルとはかなり違う。

アメリカの親は、子どもが幼くてもその意思と自由を尊重するため、何かを強要することはあまりない。だから、このキャンペーンに参加した親たちは、子どもにスマホを与えることの危険性を認識した人々だということだ。

彼らはキャンペーンを始めた当初、多くの人の賛同を得るのは不可能だと思ったそうだ。しかし予想とは裏腹に、2019年11月末まででアメリカ全域の2万2千人余りの親が自発的に参加したそうだ。これは驚くべき事実である。

署名をする夫婦
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子供にデジタルゼロで学習させるシリコンバレーの人々

では、アメリカでスマホの危険性を認識した人は、他に誰がいるだろうか。それは、シリコンバレーのIT企業で先端テクノロジーの開発をリードしている人々だ。

彼らはすでに子どもたちに対するスマホの有害性を知っているため、自分の子どもたちが家でスマホを使うのを厳しく制限することがある。パソコンなどのデジタル機器を一切使わないという「ゼロデジタル」を方針とする特別な学校に、子どもを入れたりもする。他の学校の子どもたちのほとんどがGoogleであらゆる情報を検索しながら楽をして勉強しているというのに、その学校の生徒たちはデジタル機器を使わず、わからないことは教室に備わった百科事典で調べながら勉強するという。

その学校は「ウォルドルフ・スクール(Waldorf School)」といい、2011年10月23日付の『ニューヨークタイムズ』で、「パソコンを使わないシリコンバレーの学校(A Silicon Valley School That Doesn’t Compute)」という見出しの記事で紹介された。クリエイティブな思考や人間的交流、注意力がパソコンによって削がれるという理由で、デジタル機器を使わない教育を行っている。

しばしば親は、子どもがパソコンの前に座っていると、勉強しているのだと安心する。しかし、パソコンを誰よりも理解しているシリコンバレーの人々は、そうでないことを知っているため、デジタル機器のない学校に惜しみなく大金を払うのだ。

彼らは、百科事典と本で学んだ自分の子どもが、考え、討論し、書くというプロセスを通じて、クリエイティブなアイデアを世界に発信することを期待していることだろう。

あえて不便なガラケーを渡すという選択

私は、長女ヘミンが中学を卒業するまで携帯電話を買ってあげなかった。わが家では高校入学まで携帯は使わないというルールがあったからだ。そんなヘミンが持っていた唯一の電子機器は、学校のイベントの景品でもらったMP3プレイヤーだった。

次女のヘウンも、姉と同じ道筋を辿った。しかし、末っ子のヘソンは違った。当時はすでに世の中が大きく変わっており、誰もがスマホを使っていて、携帯会社の競争が激しくなっていた。回線契約をするだけでも、家族全員が無料でスマホをもらえたのだ。

だから仕方なく中学のときに買ってあげることになったが、当時はもう珍しくなったガラケーだった。携帯ショップの店員たちは、ガラケーを探す私を見て呆れていた。無料で手に入るスマホを拒み、注文しないと手に入らない時代遅れの製品を、お金を払ってまでなぜ欲しがるのか、不思議そうな顔をしていた。

もちろん、子どもたちは不便だと文句を言った。それでも私は曲げずに、ルールを貫いた。今考えても、これは実に正しい選択だった。

今子どもにスマホを与えないという決断をすれば、将来は子どもから感謝されるはずだ。他の子どもたちと違う道を行くのは不便で嫌だったかもしれないが、親の確固たる考えを子どもと話し合って共有し、十分に説得すれば、結局は子どもも受け入れてくれる。わが子たちも私の考えとルールに納得してからは、不平を口にしなくなった。

ピンクの折り畳み式携帯電話を使用する子ども
写真=iStock.com/Wiphop Sathawirawong
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子供より先に寝ない

中学生になっても、子どもが自分で自分をコントロールするにはまだ早い。やりたいことを我慢するには、訓練が必要だ。つまり、親の助けがいる。私は、絶対に子ども1人でパソコンの前に座らせなかった。私の目が届くように、パソコンは部屋ではなくリビングに置いた。

ときどき学校からパソコンで読む電子教科書が配布されることもあったが、その都度必ず学校に申請して、紙の本でもらうようにした。

付け加えて助言したいのは、子どもが眠るまでは親が先に寝ないということだ。子どもが勉強をしたり宿題をすませて眠りに就くまで一緒に起きていてあげると、子どもは親と一緒にいるという安心感もある。

これもまた、親の根気が必要だ。これらを習慣化すれば、自己コントロール能力のある子どもに育つだろう。

高校生になったら抑えつけてはいけない

ただ、親が精いっぱいの努力を傾け、子どもがある程度まで自己コントロール能力を備えても、子ども自身が固い意志を持たない限り、スマホなしでは生きていけない。親が強制して物理的に持たせまいと思っても、そこにはおのずと限界がある。

子どもが高校生になって、どうしてもスマホを持ちたいと言うのなら、もう買ってあげたほうがいい。子どもが自分からスマホは持たないという選択をするのならともかく、高校生にもなった子どもを高圧的に抑えつけることは、親子の関係を悪化させるだけだ。子どもを一方的に抑圧してスマホから遠ざけても、得るものより失うもののほうが多くなるだろう。

スマートフォンを操作する女子高生
写真=iStock.com/koumaru
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小・中学生のあいだにすべきこと

親は子どもが小・中学生のあいだに、自らの道を選択できるような哲学と価値観を持てるよう導いてあげることが大切だ。

先に紹介した「8年生まで待とう」キャンペーンに参加したある母親は、娘への手紙に「スマホを渡した瞬間、あなたを失うかもしれないということが一番怖い」と書いた。親が子に与えられる一番のプレゼントは、幼い頃に親と一緒に過ごした温かい思い出だ。このように、子どもに対してどう思っているのか、親の気持ちを伝えるのもよい方法だ。

シム・ファルギョン『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)
シム・ファルギョン『3人の娘をハーバードに合格させた 子どもが自ら学びだす育て方』(かんき出版)

ある母親は中学卒業を前にした息子を連れて、アイビー・リーグ(米国北東部にある名門8大学)のツアーに行ってきたそうだ。大学のキャンパスを自分の目で見て夢を膨らませた息子は、自らスマホを持たない決断をしたという。よく話し合おうとする親の不断の努力と真心が、子どもを自ら決断できるように導いたのだ。

スマホが日常化された世界で、人とは違った方法で育ち大変だったであろう末っ子のヘソンは、ハーバード大学に願書を送るとき、スマホなしで過ごした頃の話をエッセイに書いて提出した。のちに受け取った合格通知書には、エッセイで読んだスマホの話が深く心に残ったという、入学所長直筆のお祝いのカードが入っていた。