30代半ばから、薄毛や加齢臭など年齢相応のおじさん化が進んできた41歳の「夫」が、誰にも言わず女性ホルモン剤を服用していた。20代後半で結婚し、ともに年齢を重ねてきたはずの夫に「残りの人生は女性として生きていきたい」といわれたとき、「妻」はどう向き合ったのか――。

※本稿は、みかた著、大谷伸久監修『そして夫は、完全な女性になった』(すばる舎)の一部を再編集したものです。

はじめてのジェンダークリニック

夫はこれから新しい一歩を踏み出せることへの嬉しさ半分、自己判断でホルモン剤の服用をフライングしてしまっていることを怒られないかの不安が半分、といった感じで、自分がどのクリニックに通院するかを検討し始めました。

元々ジェンダーを専門としたクリニックは少なく、正式にGID(性同一性障害)学会(※)認定医に診てもらえるところとなるとさらに絞られます。

※現在は、日本GI(性別不合)学会

夫の希望は

・大きな病院の中にある精神科は嫌
・家からそれほど遠くない
・評判がある程度良いところ

の3点。となると候補は2つに絞られました。さらに「男性の医師は怖くて嫌だから、女性の医師がいるクリニックがいい」と言います。

まだ女性ホルモン剤が体内に入り始めて間もなかったこの頃、夫は自分のことをまるで10代前半の少女のように思い込んでいるフシがありました。

「自分は(少女だから)恥じらいがあるし、おじさんの男性医師なんて怖くて気持ち悪い」と言うのです。

私には正直、この男性医師も夫も同じ中年男性にしか見えないのですが、本人は本気でそう言っています。どうも女性ホルモン剤を服用し始めた最初の時期に、このような精神的症状が出ることはままあるらしいのです。

「女性としての1年生」である少女の年齢まで一旦精神年齢の一部分が退行し、そこからまた急激に本来の実年齢に精神状態が戻っていく人たちを、私も後にSNS上で何人も見かけました。

リハビリセッション中にノートを書くセラピスト
写真=iStock.com/Prostock-Studio
※写真はイメージです

おじさんに見えるけど心は少女

とにかくおじさんは怖いということで、女性医師がいるクリニックへ通院することに決まりました。「何をされるんだろう、怒られないかな、どうしようどうしよう」と怯える、心は少女の夫を励ましながら、私は夫をジェンダークリニックに送り出しました。

私には、このまま自己判断で錠剤を飲み続けるのは夫の体への負担が心配なので、診察に行ってほしいという気持ちもありましたが、何よりジェンダーの専門医ならば、この自己流で投薬を始めてしまった状態を何とかしてくれるのではないか、一旦思い留まらせてカウンセリング治療からやり直してくれるのではないか、という期待も抱いていました。

しかしジェンダークリニックが示した治療方針は「自己判断で既にホルモン剤を服用してしまっている患者なので、カウンセリング治療とホルモン治療は同時に行なっていく。錠剤の服用は体への負担が大きいので、定期的にクリニックで注射による投与をしていく」というものでした。

私の期待は見事に打ち砕かれてしまったのです。

「既婚のトランスジェンダー」が生まれる理由

そもそも「なんで性別に違和感があるのに、自分は男性ではなくて女性だと自認しているのに、女性と結婚するんだろう?」と考える方も多いのではないでしょうか。

「普通の男性」として女性と結婚し、その後配偶者に「実は自分はトランスジェンダーである」とカミングアウトした、という「既婚トランスジェンダー」は、意外と多く存在しています。

そこには時代性が大きく関係していると考えられます。

ここ数年で驚くほどにLGBTQへの関心が高まっていますが、それまでは決して表立って自分自身の性別への違和感を話せるような雰囲気など、社会にはありませんでした。

性別に違和を感じる人は、ひっそりと誰にも知られずに生きていくか、自分の違和を売りにして、新宿二丁目や歌舞伎町のような夜の街で生きていくか、美容関係の世界で働くくらいしか選択肢がありませんでした。

テレビなどのメディアでタレントとして活躍する人もいますが、それはほんのひと握り。そして、そういった道に進んだ人たちも、決して自ら望んで性別の違和を売り物にする人ばかりではないでしょう。

ゆえに性別に違和を抱えている多くの人は「自分は男性だ、自分は男性なんだ」と思い込んで生きていく道を選ばざるをえなかったのです。

「結婚すればもしかしたらこの違和感が消えるかもしれない」

そう期待して、完全な偽りではなく、相手の女性を好きになって結婚をします。

「自分は女性を好きだから、きっと自分は男性なのだ。男性として生きていくんだ」と決意して。

庭で女の子と遊んでいる若い両親
写真=iStock.com/EKIN KIZILKAYA
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結婚当初は夫として平和に日常を送っていても、子どもの誕生、仕事の変化、自分自身の加齢による中年化などのきっかけにより、再び「自分はこのまま男性として生きていていいのだろうか」と違和や不安に襲われるようになります。

そうして年月が経った今、幼い頃には普及していなかったSNSが目覚ましく発達しました。

検索すれば性別違和を感じている人は自分以外にもたくさん存在していることや、年齢を重ねていても性別移行に踏み切っている人が数多くいることを知ります。

時代的にも徐々にLGBTQが知られるようになってきました。テレビや新聞、政治の世界でも取り上げられることが増え、「性の多様化」という新しい世界が訪れたのです。

「自分だけがおかしいのではないか」という悩みから、一気に世の中に認められる世界へと変貌しました。

既婚トランスジェンダーとは、一旦は生まれた時の性別で生きようと決心して結婚し、責任を持って結婚生活を送っていたものの、「性の多様化を尊重する時代」と「結婚生活を送るにつれて再び高まった違和感」が同時に訪れてしまった結果なのだと思います。

配偶者にジェンダー移行を打ち明けるかどうか

とはいえ、配偶者である妻にとっては、今まで夫が「男性」であることは大前提の当たり前だったわけで、まさしく青天の霹靂です。

みかた著、大谷伸久監修『そして夫は、完全な女性になった』(すばる舎)
みかた著、大谷伸久監修『そして夫は、完全な女性になった』(すばる舎)

男性だと思っていた夫に「これからは女性として生きていきたい」とカミングアウトされた時、その状況次第で今後の夫婦の先行きは大きく左右されるのです。

既婚トランスジェンダーが、配偶者にどうやって自身がトランスジェンダーであると打ち明けるかには、いくつかパターンがあります。人それぞれではありますが、大きく分けると、

・まず配偶者に打ち明けてからジェンダークリニックを訪ねる(もしくは自己判断でフライングホルモン)
・誰にも言わずにジェンダークリニックを訪ねる(もしくは自己判断でフライングホルモン)

のどちらかに分かれます。

要するに「性別移行(女性ホルモン剤を体内に入れる)をする前に配偶者に打ち明けるか、打ち明けないか」の違いです。

これは非常に大きな違いで、この最初のきっかけである「配偶者にどう打ち明けたか」で、既婚のトランスジェンダーがその後も離婚することなく配偶者と共に歩んでいけるかどうかに大きく関わってきます。

私が同じ境遇の方と交流してきた経験上、「まず配偶者に打ち明ける」ことをした夫婦のほうが、その後も共に歩むことを選んでいる確率が高いと実感しています。

「夫がトランスジェンダーであると配偶者が知った時には、既に女性ホルモン剤を投薬していた」となると、それは相談とは言えませんからね。

ホルモン剤摂取を始めてしまったら賛成も反対もない

一度ホルモン剤を摂取してしまったら、間違いなくそれまでの状態ではなくなります。配偶者が意見を言いたくても既に事態は動いていて、賛成も反対も口に出しづらい段階になってしまっているのです。

なんでこんな大事なことを配偶者に言わずに始めてしまうのか? と思いますが、当事者にとっては「これは配偶者にも関わってくる大事な問題である」と考えて打ち明ける人と、「大事なことだからこそ、誰にも言えない」とフライングする人とに分かれるわけです。

そして「一事が万事」とも言うように、最初に配偶者に打ち明けなかった当事者は、その後も配偶者の心情を待つこともなく、強引に女性化を進めていく人が多い印象です。

配偶者の心情がついていけるように待つこと、なるべくゆっくりと性別移行を進めていくことが夫婦仲を存続させていくカギなのですが、フライングをしてしまう当事者は、妻の心情を待つことよりも、「一日でも早く女性化したい」思いのほうが勝ってしまいます。

脱毛を心配するアジア人男性
写真=iStock.com/Boyloso
※写真はイメージです

でもそれは当事者側だけが悪いとは限りません。

当事者が事前に配偶者に打ち明けるかどうかは、それまでの夫婦の関係性にかかっているとも言えるからです。

心から信頼し合っている関係を築いていれば、おそらく事前に打ち明ける可能性のほうが高いでしょう。

「夫婦間で起こったことに、どちらか一方だけが悪いということはない」とも言います。

今までの自分たちの夫婦の在り方を、嫌でも振り返らざるをえない環境に置かれることになるのです。