現職の小池百合子氏が3回目の当選を果たした東京都知事選から1カ月。メディアもSNSも、落選した石丸伸二氏の話題で持ち切りだった。コラムニストの河崎環さんは「石丸伸二氏は、都知事選には敗北したが、選挙の“感想戦”では勝利した。報道番組やバラエティに招かれ、まるでM-1グランプリの王者のようにひと通り“テレビを一周”した」という――。
東京都知事選で落選が決まった石丸伸二氏。2024年7月7日深夜、東京都新宿区で
写真提供=共同通信社
東京都知事選で落選が決まった石丸伸二氏。2024年7月7日深夜、東京都新宿区で

敗北したのに大勝ちした

都知事選後、首都東京は石丸伸二氏の登場に動揺していた。勝った(当選した)のは小池百合子氏だ。なのにテレビもネット記事も人々も、小池百合子氏や蓮舫氏をわきに置き、ましてN党の存在など「ああ、そういえばそういうのもありましたねぇ」くらいの忘れっぽさで、みんなが、いや正確にはメディアとネットが一緒になって、えらく熱心に石丸氏の話をしていた。

話題の中心は都知事選そのものではない。なぜなら、石丸氏はもちろん彼自身の全力を投入して選挙戦を戦っていたはずだが、「力及ばず」敗北しているのである。だが敗北のはずが、彼はメディアの評価的には大勝ちしたも同然だった。

彼が勝ったのは選挙の“感想戦”――誰もが、彼の持つ数字と、それを叩き出した手法に「何が起きたのか」と大慌てしたのだ。

ぶっちぎりで関心を奪っていった

ネット戦略を駆使し、老若問わず既成政党への不信感を持つ有権者に働きかけて無党派層を大量に動かし、大方の予想を見事に覆して得票数2位にまでつけるという結果を出した。そんな「石丸旋風」「石丸ショック」を目の当たりにして世間に戦慄せんりつが走ったところに、頭のいい石丸伸二氏は、ここぞとばかりに地上波の各局選挙特番で露骨な“イヤ汁”を出し、一筋縄ではいかない、“世間のご期待に素直にお応えするいい人(バカ)なんかじゃない”人物像を演出してみせた。

その姿に「あれはなんだ」と、選挙前は石丸伸二という人物に全く関心もなかったような人々までが、がぜん強く興味を惹かれた。いや、彼はあの都知事選後ほぼ1カ月、ぶっちぎりでメディア的関心を根こそぎ奪っていったのだ。

「続きはウェブで」と10分やそこらでスマートに切り上げ、1日十数回、約240会場に及んだ炎天下の街頭演説。陣営自ら公開するYouTube動画に加え、街頭演説にスマホを向けて録画する聴衆に「SNSで拡散してください」と呼びかけ、ネット露出を上げる。YouTubeの配信とスパチャ(投げ銭)でも派手に動き、彼の動画が回ることにいち早く気づいたYouTuberやいわゆる“配信業”のユーザが収益目的にその波に乗ったところで、ドライブがかかった。彼がスパッと気持ちよく言い放つ「勝つ姿」を切り取った動画を大量投入して、いわゆる地上戦でも空中戦でもない、ハイブリッド戦でネットユーザに浴びせかけたのである。

若年層を投票所へ連れていった石丸手法

石丸手法が、もともとTikTokなどのショート動画をエンドレスに見続ける習性のある若年層にリーチするのは時間の問題だった。

ネットでその姿をやたらと目にする。なんだか祭りが起きている。政治に興味はないけれど、具体的な政策とかはよくわからないけれど、「若くてスマートそうなおじさんがスパッと言い放って勝つ姿」を見るうちに、“石丸推し”に参加するのはポジティブなチョイスであると感じるようになる。素直でちゃんとした賢い子ほど、そういう気持ちになる。

スマホアプリをいじる指先の延長で、社会参加というよりもイベントやフェス参加のような気軽さで、街頭演説に行く。動画を撮影して、自分も「行ってみた」となんらかハッシュタグをつけて、ちょっと賢そうで社会貢献っぽいムーブメントに参加する。(初めての)投票だってちゃんとして、投票の証拠画像にハッシュタグをつけて投稿する。

そこまでが“石丸推し”のワンセットだ。石丸手法は、若年層を本当に投票所へ連れていった。

さらにYouTubeをこれまたエンドレスに見る生活習慣があり、特に社会のメインストリームに対してなんとなく反感やルサンチマンを抱く中高年も、ふと気になって動画を見続けるうちに典型的な「あなたのニーズに最適化した」情報のフィルターバブルに厚く囚われ、きれいに石丸推しへと巻き取られた。

石丸氏に“巻き取られた”中高年男性たち

そして散歩がてらイベント参加のように熱心に街頭演説へ足を運び、彼に期待し心酔し、石丸氏が敗北後のメディア対応で批判を浴びるようになると、批判者をネットで攻撃して忠誠心を示した。これは中高年男性に顕著だ。

行動心理や巻き取られるメカニズムは若年層と似ているところが、彼らがある種若いことの表れでもあるのだろう。

つまり、社会に出て20年や30年経ってなお「自分はメインストリーム側ではない」ところにアイデンティティーのある人々。すでに長らく社会人でありそれなりのポジションもある自分は、現在の社会を作ってきたメンバーのはずだが、「自分の側ではない人々」に対する不満や将来への漠然とした不安を表明したい、しかもそれを投票行動で表現する、素直で感受性の高い人々。

公園でスマートフォンを使用している男性
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“みんなの不定愁訴”をすくい上げてくれた

彼らには、石丸発言の具体性の不在は気にならない。なぜって石丸氏の主張の本質は、反自民で反共産で反政党政治・反老害・反既得権、なおかつ(女性活躍の下駄を履かされていると嫉妬の混じった批判の視線を受ける)女性に冷淡で、要するに「反現状」という漠然としたキブンを全部さらっていく、究極のカウンター路線なのだ。それは、肝心なところを曖昧にするがゆえに圧倒的な支持を得ることのできる勝ち筋。あまり具体性があると、支持者の間に利益相反が生じてまずいのである。

結論を詰めず「それはこれからみんなで話し合いましょう」と、結論はオープンなままにしておく。現状への批判精神や「いまの世の中おかしくね?」っていう不満不安なキブン、つまり“みんなの不定愁訴”をすべてすくい上げて持っていってくれる人、それが都知事選で石丸氏が果たした役割だった。

ネット選挙の実態に法律がボンヤリ顔でついていけない間隙を突くような、だけど“法的にはなんら問題のない”お手本のようなクレバーさ。汗だくの長尺応援演説に握手に、週刊誌への悪口お漏らしに……と、旧態依然の選挙手法で勝負していた他陣営には、逆立ちしても真似できない動きだったろう。

M-1王者に匹敵した「ひと通りテレビ一周」

石丸氏は、テレビ・ラジオ在京各局やインターネットテレビが生放送していた開票特番のインタビューに順番に応じ、先述のように戦略的な“イヤ汁”を出して見せることで視聴者やメディア関係者に強烈な印象を与え、次の話題のヤマとなるバックラッシュ(批判)フェーズを作り上げた。

そして今度は“いま大注目の批判される男”として、報道番組やバラエティに招かれ、結果としてM-1グランプリの王者みたいにひと通り“テレビを一周”した。都知事選という大舞台は、M-1に匹敵する国民的イベントだったのだ。

石丸氏の持つ数字に対してがぜん興味を持ったメディアは、彼の政治家としての評価というよりも、彼のPR手法の巧妙さや見事さを論じる方向になる。

「石丸さんは何がやりたいんですか?」と繰り返される(石丸氏的にはきっと凡庸な)質問に、石丸氏は何度も素直に「政治のエンタメ化です」と答えている。都知事選のスローガンだって「東京を動かそう」だ。

この件について、彼は一つも嘘をついていない。実際に、都知事選という政治のエンタメ化と彼自身のタレント化に大成功し、東京を動かしたのだから。

そして筆者はふと思い出した。安芸高田市長時代、議会に対して「恥を知れ!」と一喝する石丸氏の、彼自身のブランドを決定した象徴的なモーメント。

彼にはまず、「恥を知れ」と議会に向けて冷徹に発言している自分の姿という絵が見えていたのではないか、それを実現してみせたのではないか。何をテーマに、何をきっかけに議会へ「恥を知れ」と言い放つかは問題ではなかったのじゃないか。言い放つ姿のインパクトやエンタメ性、その目的が手段の前に来ていたのではなかったか……。彼自身がそう自覚しているかは別として、石丸氏にはそういうカリスマ性の演出を感じる。

「普通の人なんですよ、本当に普通」

都知事選後、開票特番での石丸氏の不機嫌なやり取りが波紋を呼んでいたさなかのことだ。とある朝のニュース番組で元知事のコメンテーター氏と同席したので、そっと尋ねてみた。「開票特番で、実際にお話しされていましたよね。石丸伸二という人に対して、どういう感想をお持ちですか? 彼はどういう人間であるとご覧になっていますか?」

すると元知事氏は静かに考え込み、ゆっくりと言葉を選ぶように、だがとても誠実に、忘れられない回答を聞かせてくれた。「彼はね、普通の人なんですよ、本当に普通。なぜあんなに豹変するのか……(考え込む)。演じているのかな、どうしてあんなことするんだろうって、僕にはまだよくわからない」

繰り返される「普通の人」。百戦錬磨の元政治家が発した普通という言葉の中に「(政治家としては)平凡」というニュアンスを感じ取ったのは私の先入観ゆえだろうか。

「今の日本には大谷が必要」

都知事選の石丸陣営、そこになんと無報酬「ボランティアで」選挙プランナーとして関わっていたのが、選挙の神様と呼ばれる藤川晋之助氏だった。

選挙は科学である、として現代の究極の兵法を企てるのが選挙プランナーの仕事だが、その藤川氏がBSフジ「プライムニュース」に出演した際、都知事選を振り返って「石丸という虚像を積み上げた」と発言したことに、私は藤川氏の“科学のプロ”としての優秀さを痛感した。

「この時代の政治に、大谷翔平や藤井聡太が必要だと思ったんですよ。石丸伸二は大谷かな? と思った。だけど私は1カ月しか付き合いがないですからね。実像はまだわかりません」

「石丸伸二」とは誰なのか

石丸氏が次に何をするのか、みな知りたくて仕方がない。「岸田総理の選挙区ですよね」として広島1区を口にした途端、すわ衆院選出馬か、とメディアが沸く。現在はテレビのコメンテーターやタレントとして活躍するような首長経験者を集めた「石丸新党」への期待を口にする人も少なくない。

その一方で、彼のこれまでの発言から人の痛みがわからないのではないかと人間性に疑問を持ったり、政治家としての適性や温かな人間力、包容力に欠けているのではと直感的に指摘する声も根強い。

「いまの日本には大谷が必要」と日本の政界の人材不足を憂う藤川氏は、「一回ガラガラポンが起きないと」と、なんらかの革命に対して期待を隠さない。石丸伸二氏は今がピークであって、もうピークアウトするのではという懸念に対しても、「言動の不安定さはあるものの、極めて可能性に富んだ存在ではある」と断言する。

石丸伸二。彼は、誰なのだろう。何をしてみせるのだろう。だけどそれはこれからわかることだ。41歳、まだまだ若い。まずはやらせてみよう、という意見がメディアの中にもある。

M-1王者みたいに、一通りの報道番組に出た。本人不在でも、とにかく話したくて仕方ない、といった雰囲気で、石丸現象を分析し語る番組も少なくなかった。日本中が、メディアの凋落を可視化しながらメディアを巧みに利用する石丸伸二の登場に動揺していた。

「やらせてみよう」。7月31日、ABEMAの報道番組「ABEMA Prime」にコメンテーターとして初出演した石丸伸二氏は、MCであるひろゆき氏や進行の平石直行アナが「これからコメンテーターとしてもぜひ活躍してほしい」と促すと、「荷が重いです」と謙遜しながらも「使っていただけるなら、ぜひ」と意欲を隠さなかった。

彼の2周目が始まる。石丸伸二氏は、視聴者に、メディアに、政財界関係者に、彼の演説動画に魅せられて本当に一票を投じた有権者に、あの都知事選のような高揚感を提供し続けていくことができるのか、それとも……。彼の次の一手を、日本中が注視している。