※本稿は、村中直人『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
すばらしい親でも「叱らずにいられない」
「怒るのはダメだが、叱ることは必要」
「叱られたことがない人は、打たれ弱い人になってしまう」
「ちゃんと叱らないと、伝わらないし学ばない」
皆さんは、こういった言説についてどのように思われますか?
これらのセリフは、日本中至る所で言われているので、耳にしたことがない方はおそらくいないでしょう。もしかしたらご自身が日常的に口にしている、という方も少なくないかもしれません。
私自身もかつては、これらの言葉を「まあ、そういうものだろう」くらいに思っていました。しかし、さまざまな経験をするなかで、「叱る」にまつわるこれらの言説に疑問をもつようになりました。
私は以前、「あすはな先生」と名づけた学習支援事業で、コーディネーターとして保護者との面談や家庭教師のアテンドを行っていました(ちなみにこの事業は、そのときの後輩が事業責任者となり、教室型の支援も加えていまも継続しています)。
そのなかで「叱る」という行為について、深く考えさせられることになりました。
私が幸運だったのは、「家庭教師事業」という枠組みのなかでこの問題に関われたことです。私たちは事業として、授業料を保護者の方々にお支払いいただくことで運営をしています。当時は、まったく無名の若手心理士が何の後ろ盾もなく始めた新しい事業です。つまり、私たちのところに来てくださる保護者は、情報感度のとても高い勉強家の方たちで、子どものためになんとかよい環境を整えようとする深い愛情と行動力の持ち主ばかりだったのです。サービス提供開始前には必ず保護者の方と面談をするのですが、なんてすばらしい保護者だろうと感嘆したことが何度もあったことを覚えています。
けれど、そんな保護者でも「叱らずにはいられない」のです。
自分の意志ではもう、過度な叱責が止まらなくなっているように思える事例に、私はそこで何度も出合いました。子どもが泣き出して明らかに混乱状態になっていても叱りつづけ、それでも「状況が好転しない」とずっとため息をついておられる。そんな状況が珍しくなかったのです。
この問題は、保護者の能力の問題ではないし、知性の問題でも、ましてや愛情の問題でもありません。なぜならそれらをすべて兼ね備えた、本当にすばらしい保護者の方でも陥ってしまう場合があるからです。
子どもたちの側に目を転じると、子どもたちは家庭内だけでなく、あらゆる場面で叱られ続けていました。学校では先生に叱られ、塾では講師に、福祉施設では職員に叱られます。それだけ叱られても、「叱る」という行為は何も問題解決に役に立っていませんでした。
問題はそのままに、そこにはただただ「叱らずにはいられない」大人たちと、「叱られつづける」子どもたちがいるように私には思えたのです。
叱られつづけることに効果はあるのか?
そんな状況のなかで私は、叱ることの効果について疑問をもち始めていました。
もし叱ることに現実的な効果があるのならば、これだけ叱られつづけている子どもたちの状況がよくならないはずはありません。けれども、子どもたちの学びや成長が促進されている様子はありませんでした。ずっと同じことが繰り返されていて、むしろ状況は悪化することが多かったのです。
最も心配だったのは、叱られつづける子どもたちから自尊感情が根こそぎ奪われてしまうことです。自分に自信が持てなくなって、「どうせ僕なんて」「私には無理だ」などの言葉が、口癖になってしまっている子どもがたくさんいました。
そんな悩みを抱えていたころ、その後の私に大きな影響を与えた出来事がありました。それは、ニューロダイバーシティとの出会いです。
ニューロダイバーシティは、ニューロ(脳・神経)とダイバーシティ(多様性)を組み合わせた造語で、脳や神経の働き方の違いを多様性の視点で捉えて尊重しようというメッセージを含んだ言葉です。この言葉は、1990年代後半に、発達障害の一つとされる自閉スペクトラム症の成人当事者が、セルフアドボカシー(自己権利擁護)のために用いた歴史的経緯があります。
私はこの言葉の存在を知ったとき、とても感動し、同時に安心したことを覚えています。なぜなら、私が発達障害の子どもたちと関わるなかで感じていた、子どもたちを「障害」という枠組みのなかで捉えることへの違和感が言葉になっていると感じたからです。
このニューロダイバーシティとの出会いの後、私は脳・神経科学や認知科学を学び始めました。臨床心理士という立場でニューロダイバーシティを発信するためには、脳や神経の働き方やメカニズムについて知っておく必要があると考えたからです。
結果的には、この出会いと学びが「叱る」ことへの疑問に多くの答えをもたらしてくれることになりました。具体的には「叱られ続ける」子どもたちがどういう状態になるのかについて、多くの示唆があったのです。
ネガティブ感情を感じた瞬間、「防御モード」になる
叱られた子どもは、なぜ同じことを繰り返すのか。
その答えは、「防御システム」とも呼ばれる、脳の危機対応メカニズムにありました。脳の奥底に扁桃体と名づけられた小さな部位があります。この部位は人間の感情、とくにネガティブ感情について重要な役割を果たしていると考えられています。この扁桃体を中心とするネットワーク(防御システム)が活性化するとき、人は「闘争・逃走反応(Fight or Flight Response)」と呼ばれる状態になることが知られています。
この反応については、天敵に襲われた小動物をイメージするとわかりやすいでしょう。危機を感じたその瞬間に、戦うか逃げるかどちらかの行動をしないと命が奪われてしまいます。だから脳は強いネガティブ感情を感じた瞬間に、行動を引き起こすために「防御モード」に切り替わるのでしょう。
重要なことは、この防御システムが人の学びや成長とは真逆のシステムであることです。具体的には防御システムが活性化しているとき、脳の前頭前野の活動が押し下げられることがわかっています。前頭前野は知性や理性など人の知的な活動にとっての重要部位です。つまり、しっかり考え、検討するために必要な部位なのです。
危機的な状況においては、時間をかけて考えることが逆に命の危険を高めてしまいます。だから、防御システムは知性のシステムを停止させて、行動を早めさせるのでしょう。これらのことを整理したうえで、叱られた子どものことを考えてみましょう。
言うことを聞くのは、その場から逃避したいだけ
叱られた子どもは多くの場合、強いネガティブ感情を抱いて防御システムが活性化されます。もう少し厳密に言えば、「叱る」という行為はそのことを狙った関わりなのです。
もし、相手のネガティブ感情を引き起こしたくないなら、そもそも「言い聞かせる」「説明する」などの行為で十分なはずです。それではうまくいかないと感じるからこそ、強い言葉や態度で叱責するのです。
つまり「叱る」という行為の本質は、叱られる人のネガティブ感情による反応を利用することで、相手を思い通りにコントロールしようとする行為なのです。
叱られた子どもの防御システムが活性化されると、戦うか逃げるか、どちらかの行動が起こります。叱る人は権力者なので、逃げることが多くなるでしょう。戦ったところで、勝てないからです。
ただし、逃げるといっても人間は高度に社会化された生き物ですので、物理的に走って逃げるわけではありません。そんなことをしても、さらに叱られてしまうだけです。そのため子どもたちはその場を取り繕うために、「言うことを聞く」「謝罪の言葉を述べる」などの方法で逃げます。そしてこのことが、叱る側に「叱ることは有効である」という勘違いを引き起こすのです。
自分が強く叱責することで、目の前の人の行動が変わる。それが単なる逃避行動でしかないことを知らなければ、「叱れば人は学ぶ」と勘違いしても無理のないことでしょう。しかしながらそのとき、叱られた人の前頭前野は活動が低下しています。自分がなぜ叱られているのかを冷静に理解し、今後のために自らの行動を省みることができない状況です。
そのため、子どもたちはまた同じことを繰り返します。学んでいないのだから、当たり前です。そしてまた、叱られることが繰り返されていくのです。