500年後には「佐藤さん」だけになるというおもしろくも衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った、2024年のエイプリルフール。自身の「姓」を改めて考えた人もいるかもしれない。連載「『姓』を考える」の第2回は、婚姻時に女性が改姓することが圧倒的に多い中、わずか5%の少数派に自ら飛び込んだ男性たちに話を聞いた。社会学者の中井治郎さんは、「日本で夫が妻の姓を選ぶことへの偏見も見えてきた」という――。
結婚したカップルの書類記入
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夫婦同氏制で遠い未来は「佐藤さん」だけの日本に

今から約500年後の2531年には、日本人全員が「佐藤さん」だけになる――。

そんなことあり得ないと思うだろうが、日本人の名字の未来を予測すると、全国いたるところ「佐藤さん」だらけなるというのだ。

こんな驚くべき結果が発表されたのは、去る4月1日。まさにエイプリルフールに始動した「#2531佐藤さん問題」だ。一般社団法人「あすには」が企画した「Think Name Project」の一環として行われた、日本の名字の未来シミュレーションである。

なぜ、そうなってしまうのか。

その背景には、日本が世界で唯一、「夫婦同氏制」を採用している国であること。つまり、この国で結婚した夫婦は、夫または妻のどちらかの姓を名乗ることが義務づけられている現状がある。

日本でもっとも多い名字は「佐藤」であり、佐藤姓は国民全体の1.529%(2023年時点)という。一年間に結婚するカップルは約50万組とすると、夫婦同姓によって毎年50万の名字が消えていくことになる。同プロジェクトでは、ひとつの仮説を打ち出した。

「佐藤姓と婚姻するケースが多くなり、これを繰り返していくと佐藤姓だけになるのではないか?」と。

この仮説にもとづき、東北大学経済学研究科/高齢経済社会研究センターの吉田浩教授に独自調査を依頼。公表データをもとに分析が行われた。国内の推計人口における佐藤姓の占有率は、2022年から23年までの1年間で0.83増加。毎年この伸び率で佐藤姓が増えていくと仮定すると、「約500年後の2531年には、佐藤姓が100%に達する」という結果が導き出されたという。

500年後というあまりにも遠い未来のため実感が湧きづらいが、「佐藤さん問題」として大いに話題になったので、記憶に新しい人もいるのではないだろうか。

改姓してわかった手続きの煩雑さと理不尽さ

「あなたの名前が無くなるかもしれないとしたら……」

この「佐藤さん問題」が自分の姓について考えるきっかけになればと語るのは、「あすには」代表理事の井田奈穂さんだ。井田さんは「あすには」の前身団体、「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」の発起人でもある。活動のきっかけになったのは、再婚に伴う2度目の改姓だったという。

最初の結婚は大学1年生の時。名字が変わることに抵抗はあったが、夫や親族に反対されて「井田」に改姓した。2人の子どもを授かり、19年後に離婚。「井田」の姓はそのまま使い続け、新たなパートナーとは改姓を避けるため事実婚を選択した。

だが、夫が手術を受けることになり、状況は一転する。病院では家族と見なされず、病状の説明も単独では受けられない。「あなたでは同意書にサインができないから」と、本当の家族を呼ぶようにと言われた。ならば法律婚をしようと話し合うが、姓をどうするかで悩んだ。

「私が改姓しないと、今の夫が前夫の姓を名乗ることになるのでそれは酷だからできない。子どもたちは結婚は喜んでくれたものの『姓を変えたくない』と言い、母子の戸籍から私が抜ける形で夫と再婚しました。40代で再び改姓。大量の名義変更をこなす度に、穴を掘って自分を埋めるような感覚があって苦痛でしたね」

勤務先では旧姓の「井田」を使っていても、給与振込の口座や社会保険など戸籍姓に変えなければならない。海外出張の際には旧姓併記のパスポートを取ったが、現地の入管でいちいち説明するのも大変だった。さらに、学校関連や塾、奨学金の保護者名義も口座もすべて変更しなければならなかった。

「突然、娘の口座が凍結され、戸籍謄本を取って親権者の改姓を証明してほしいといわれたことも。ものすごい数の手続きがあって2年経っても終わらない。ほとほと嫌になりました」

井田さんにはカナダで国際結婚している姉がいて、彼女が住むケベック州は夫婦別姓なのだと聞く。調べてみると、日本だけが夫婦同氏制なのだと知って衝撃を受けた。SNSで改姓の問題を発信していくと、同じ思いを抱える人たちとどんどんつながっていく。

書類
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「苦痛を感じている人が多いのであれば、やっぱり変えるべきじゃないかと。地元の議員に会いに行って、陳情活動をしていく中で、これは政治の問題なんだと気づいたのです」

井田さんは「全国陳情アクション」を発足。全国の地方議会に働きかけて「選択的夫婦別姓」の法制化を推進する意見書を可決し、国会に提出する活動を始めた。それに対して誹謗中傷も受けたが、経済界からの声も追い風になり、可決数は約400件にのぼるという。

選択的夫婦別姓への関心度は男女ともに高い

プレジデント ウーマン編集部が独自に行った夫婦別姓に関するアンケート調査では、男性64.3%、女性35.2%と、男性からの回答が半数以上を占めた。

※実施期間2024年3月21日〜28日。「プレジデントオンライン」と「プレジデント ウーマンオンライン」のメルマガに登録する男女へオンラインアンケートを実施(有効回答数:4227。回答者の年代=20~60代以上。男64.3%、女35.2%、その他0.4%)

夫婦別姓への関心度は意外にも男女ともに高く、「大いにある」「まあまあある」人は全体で、68.8%。「まったくない」「あまりない」という人は28.0%だった。

【図表1】Q.あなたは選択的夫婦別姓に関心がありますか?

フリーアンサーにおいても選択的夫婦別姓には賛否両論、さまざまな意見が寄せられた。以下は、男性からの声の一部。

「私の妻は結婚した時に『姓を変えた時、結婚した実感があって嬉しかった』と言う。女性が配偶者と同じ姓にしたいという思いは本来強いものだと感じる。選択的夫婦別姓が合法化されても実際に別姓を選択する人は殆どいないのでは」(50代男性)

こうした意見もあれば、

「柔軟性に欠ける大変問題のある制度。結婚時に女性が変えるのが当たり前という風潮もおかしい。法的に別姓を可能にするのは至極当たり前だと思う。選択権は本人たちにあるべき」(40代男性)

といった声もある。

日本では婚姻時に自分の名字を変えるのは女性が95%。男性はわずか5%しかいない(2022年内閣府調査)。前述のプレジデント ウーマン編集部が行ったアンケート調査でも、婚姻時に自身が姓を変えたと回答した男性は8.2%、女性は92.1%に上る。

【図表2】Q.あなたは、(法律上の)婚姻時、姓を変えましたか?

アンケート結果でもわかるように日本においては、婚姻時に姓を変えるのは女性のほうが圧倒的に多い状況の中、“少数派”と呼ばれる自身の改姓を選択した男性たちはどのような思いを抱えているのだろうか。

妻氏婚の男性が実体験してわかったこと

社会学者の中井治郎さんは、妻の姓を選ぶ「妻氏婚」をした。その経験を綴った著書『日本のふしぎな夫婦同姓』にはこんな一文がある。

「結婚する際に妻の姓を選んだ男性は口をそろえてこう言う。『苗字を変えるのがこんなに大変なことだとは知らなかった』。そうそう、僕も……」

社会学者としては結婚改姓が面倒であることは耳学問で知ってはいたが、自身も妻の姓を選んだことでその大変さを思い知らされたと振り返る。

妻となる女性に出会ったのは2019年、41歳の時だった。2人で結婚の話をし始めた頃、彼女からこう言われた。「うちは3人とも女だから、私が結婚したらうちの苗字はなくなっちゃうんだよね」と。姉と妹はすでに嫁いで姓が変わり、彼女自身も夫婦同姓を望んでいたが、中井さんはその言葉を聞いて愕然としたという。

「彼女は、僕に対してあきらめているんじゃないかと思ったんです。どうせ男の人は変えてくれないからと。僕も自分の姓を変えることは想定してなかったけれど、その瞬間、『いや、俺が変えるよ!』と言っちゃったんですね」

衝動的な思いつきだったが、後々、あちこちで面倒が生じていく。中井さんが最初に考えたのは、自分の親族をいかに説得するかということ。まず父に話すと驚いていたが、次男ということもあってか割とすんなり受け容れてくれた。だが、母や女性の親族たちは自分の息子を嫁の家に取られるような思いがあるのか、「寂しい」と言った。

家族でダイニングテーブル
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一方、妻の両親は喜んでくれたが、中井家に対して遠慮もあるようだった。中井さんとしては「婿養子」の重荷も感じてしまう。

「僕らは『家』を継ぐというつもりではなかったし、妻も名前を残せてちょっと親孝行できればという気持ちだった。でも、日本では名字が家族のつながりを象徴するものになっているので、家同士の付き合いの大変さも身に染みました」

仕事では旧姓を使い続けるため、煩雑な手続きに追われた。大学で非常勤講師を務め、雑誌や書籍の執筆、講演を受けるなど、フリーランスの立場では取引先からマイナンバーの提出を求められる。その都度「仕事の署名とマイナンバーに記載された戸籍名が違う」と問い合わせがきた。「中井治郎」の名前で提出した論文など、確認を求められる度に「いや、僕が名字を変えまして……」と報告すると、相手の微妙な反応が気になった。

「婿養子に対する勝手なイメージがあるのか、『大変だね、苦労するでしょう』とか、『それは肩身が狭いでしょう』となぜか同情されることも……。この社会で夫が妻の姓を選ぶことへの偏見も見えてきますね」と、中井さんは苦笑する。

選択的夫婦別姓の実現は女性だけの問題ではない

経済界では、2018年にサイボウズの青野慶久社長が「選択的夫婦別姓」を求める裁判の原告となり、話題を呼んだ。数多くのメディアで取り上げられ、夫婦別姓をめぐる関心が高まることになったのだ。

そもそも青野さんはどうして妻の姓に変えたのだろう。それは2001年にさかのぼる。

「理由はシンプルで、妻が名字を変えたくないと希望したからです。僕自身、当時は女性が変えるものと思っていたけれど、妻が嫌がっているのに無理やり変えさせるのは申し訳ないし、『じゃあ俺が変えるよ』とカッコつけたところもあって(笑)。前の職場では旧姓で働く女性たちをいっぱい見ていたので、大した問題はないだろうと思っていました」

だが、結婚して改姓したところで、「これはむちゃくちゃ大変やないか」と気づく。クレジットカード、キャッシュカード、運転免許証、飛行機のマイレージカードなど、改姓の手続きには膨大な作業が発生する。さらに厄介なのは、ビジネス上でも「青野」と戸籍名との使い分けが必要なこと。契約書にサインする際はどちらを使えばいいのかという確認を欠かせない。海外出張のときは現地のメンバーがホテルを取ってくれるが、「AONO」で予約されると、フロントではパスポート名と違うのでトラブルになることもあった。

「名前の使い分けが非常に面倒であるのはもちろん、人事部や経理部など社内でも2つの名前を管理することでコストがかかる。ましてグローバルに活躍する人たちの経済活動を阻害するリスクもあるわけです」

経営者としての気づきもあったという青野さん。さらなる転機は、2015年12月、男女5人を原告とした「夫婦同氏を強制する民法750条は憲法違反」との訴えが最高裁で棄却されたことだった。

「なぜ、日本ではこうも議論が進まないのかと疑問が膨らみ、自分なりに選択的夫婦別姓について調べ始めたんです。自民党の野田聖子さんに話を聞きに行くと、政治家の中でも一部の議員が強固に反対しているのだという。政界から制度を変える動きが進まないなら、まずは世論に訴える必要があるとわかりました」

その矢先、岡山の作花知志弁護士が夫婦別姓訴訟を起こそうと考えており、原告を募集していると声をかけられた。青野さんは即答し、4人の原告が国を相手に裁判を起こす。この裁判も1審、2審と敗訴を重ね、最高裁に上告したが、2021年6月に棄却された。

法廷
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だが、メディアで大きく取り上げられたことで世論の風向きが変わり、政界では賛成派の議員が増えていく。青野さんは「選択的夫婦別姓の早期実現を求めるビジネスリーダー有志の会」を立ち上げ、賛同者を集めてきた。

「女性の方たちが中心になって声をあげると、世の中ではどうしても『自分たちの権利のために主張している』というように矮小化した捉え方をされるのがすごくもったいないと思う。僕が声をあげることで、これは女性だけの問題ではないと。精神的な損失も大きいけれど、経済的にも損失を被っていることを訴えていかなければと取り組んできました」

経団連も大きく動き出し、今年6月には選択的夫婦別姓制度の早期導入を政府に求める提言を公表している。そして、東京、北海道、長野などの男女12人が国を相手取り、選択的夫婦別姓を求める第3次集団訴訟がいよいよ始動した。

次回はその弁護団と原告になった人たちの「姓」をめぐる歩みをたどる。