※本稿は、NHK「新プロジェクトX」制作班『新プロジェクトX 挑戦者たち 1』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。
東日本大震災の約半年前、ツリーは地上500メートルに達した
2010(平成22)年10月23日、スカイツリーは塔体の最終地点である497メートルに到達した。
シャフトの内部では、すでにゲイン塔のリフトアップが始まっていた。長さ140メートルのゲイン塔は中空で垂直に伸び、重心が高くなればなるほど不安定になる。それを6方向から7段、42個の固定装置で支えながら、シャフトの壁にぶつからないようワイヤーで吊り上げる。ジャッキアップを9カ月間ひたすら繰り返し、北九州の皿倉山より高い634メートルの頂上を目指す。重さ3000トンもの“鉄のお化け”に山登りをさせるに等しい難工事、まさに山場である。
500メートルを超えたスカイツリーを見上げながら、施工計画を立てた大林組の田辺は祈る思いだった。
「この工事が無事に終われば、自分の身はどうなってもいい。工事の途中で自分が潰れてしまうこともあるかもしれない。それでも、誰の力を借りようとも、とにかくスカイツリーが完成してくれさえすればいいと思っていました」
難工事だが、高所を担当する職人もやりがいを感じていた
リフトアップを任されたのは、橋梁の建設現場でよく似た工法を経験している宮地チームである。リーダーの半田の顔つきには自信が満ちていた。
「上に行くにしたがって高さには慣れてきて、もう“怖い”という感覚はなくなっていました。もちろん気は抜けませんでしたが、地上500メートルでも平気で梁の上を歩けた。現場に行くのが楽しみでしたからね。作業が遅れていた頃は、他のチームに気づかれないように小さな声で『おはようございます』って言っていたのが、毎朝、現場中に聞こえる大声で気持ちよくあいさつできるようになっていました」
完成が近づくスカイツリーに対する世間の注目と期待も、日に日に高まっていた。墨田区の調査では、2011(平成23)年の正月をまたぐ年末年始の6日間で、スカイツリーを見学するために建設現場の周辺を訪れた人の数は日中(午前10時〜午後4時)だけで2万8000人。「スカイツリー詣」という言葉も生まれた。
雅やかなデザインを手掛けた日建設計の吉野も、週に一度は建設現場の事務所に足を運んでいた。
「現場事務所は仮設の塀に囲まれていて、ゲートから塀の外を見ると、いつも大勢の人が建設中のスカイツリーを見上げていた。そのゲートを通って鳶さんたちが作業現場に向かうんですけど、『これを建てているのは俺たちなんだ』という感じで、胸を張って威勢よく出て行く姿が凜々しかったですね」
地上619メートルまで到達した工事現場を震度5強が襲った
季節は冬。スカイツリーの足元は吹きさらしで寒風が舞った。が、上空の寒さは比較にならないほど過酷だったと、鈴木組の大熊は言う。
「天気には敏感になった。下は雨でも上は雪の日が結構あって、クレーンのフックが凍ってしまうんです。朝、そのままクレーンを動かすと、ワイヤーについている氷が飛んで下に落ちてしまうから、夜のうちに不凍液をかけたり、明け方に上まで氷を溶かしに行ったりして、寝不足になることも多かった」
冬場を乗り切り、春が訪れる頃には、スカイツリーは無事に634メートルに到達しているはず。現場には、ゴールを目前にした高揚感があった。
しかし、“無事”では済まなかった。巨大なタワーが横に5メートル揺れた――。
2011(平成23)年3月11日。その日、スカイツリーの高さは619メートルに達していた。ゲイン塔はすでに9割が塔体の上に引き揚げられ、残すは1割。根元を留める固定装置が、付け替えのために一部外されていた。
「2時だよ、リフトアップは2時に再開!」
昼休憩を取る鳶たちに、半田が呼びかける。2時7分。雪がちらつく中でリフトアップがスタート。
ほどなく、“あの瞬間”を迎えた。「地鳴りがした」と話すのは、地上にいた鉄骨班主任の小林である。
「1階部分から見上げると、タワークレーンが大きく揺れて、スカイツリーの塔体から見えたり、隠れたりしていた光景が今も鮮明に目に焼き付いています」
最上部にあるクレーンが「暴れて」倒壊の可能性も考えた
鈴木組の大熊は、4階部分からタワークレーンを見ていた。
「クレーンが暴れていた。その後を追うようにゲイン塔が揺れ始めて、そのまま落ちてくるんじゃないかと、まわりはみんなパニックになっていた」
「思い出すだけでも恐ろしい」と述べるのは、495メートル地点にいたリフトアップ班の籏持だ。
「とにかく急いで全員避難させなければならないと思いましたが、みんな手すりにしがみついたり、床に這っていたりして、立っていることもできない状況でした」
地震対策の切り札である心柱は、まだ建設途中だった。未曽有の被害をもたらした東日本大震災は、スカイツリー建設にとって最悪のタイミングで襲ってきたと田辺は言う。
「固定装置が一段外されていたゲイン塔は非常に不安定な状態で、施工の過程で一番の弱点を突かれたと思いました。かと言って、そのとき私は隣のビルの10階にいましたから、何もできないわけですよ。揺れの恐怖を感じながら、現場の無事を祈るしかなかった」
495メートル地点でリフトアップ作業中、死を覚悟した
495メートル地点でゲイン塔のリフトアップ作業中だった半田は、生まれて初めて「死」を身近に感じたと言う。
「足元は横に揺れているのに、ゲイン塔がポン、ポン、ポンと、縦に弾んでいるように私には見えたんです。塔体の鉄骨もギシギシと音を立ててきしんでいましたから、これはもう倒れる、スカイツリーそのものが倒れて、自分もこのまま死んじゃうんだって、本気で一瞬、思いました」
建物は倒れなかった。未完成のスカイツリーは、震度5強の揺れに耐えた。計算し尽くした計画で組み上げてきたノッポなタワーは、3本の脚で踏みとどまったのだ。
しかし、大惨事の危険はまだ喉元に突きつけられたままだった。
余震の中、ツリーの先端「ゲイン塔」を固定するというミッション
495メートル地点でメガホンを片手に避難の指示を出していたのは、大林組の特殊工法部からリフトアップ作業の応援に来ていた水島。退避は速やかに行われ、全員の無事が確認された。
いつまた余震に襲われるかわからない状況で、これ以上の作業は不可能に近い。だが、スカイツリーの“弱点”を知っている者は、誰もがジレンマに陥っていた。東日本大震災では東京タワーのアンテナ支柱が曲がった。固定装置が一段外れたままになっているスカイツリーのゲイン塔が、はたして持ちこたえられるか――。
そのとき、声を上げた者がいた。地上450メートル地点の第2展望台に避難していた宮地チームの半田だった。
「行けるか?」
半田がチームの職人たちに問う。
「行きます!」
即座に全員が応じた。ゲイン塔を固定するために、もう一度タワーのてっぺんに登るという半田の判断だった。余震が続く中で作業すれば、自分たちの身も危険に晒される。だが、逡巡はなかった。
塔の落下を防ぐため20人がもう一度頂点へ向かう
「怖かったですけど、あの揺れで死ぬかもしれないと感じた中で、もしもゲイン塔が倒れたら、いったいどれだけ大きな被害になるんだって思ったんですよね。ゲイン塔が安定するところまでリフトアップして、なにがなんでも固定しなければならないという意志でした」
半田を先頭に、20人が再び階段を上り始めた。その姿を見ながら「作業続行」のアナウンスをしたのは、数十分前に495メートル地点で半田とともに揺れを体感した籏持。頭が下がる思いだったと、籏持は振り返る。
「あの場面だったら、普通はひるんでしまうと思うんですけど、半田さんはまったくそういう素振りを見せず、迷うことなく行動した。とにかくやるんだという意気込みと、やらなければならないという使命感ですよね。本当に勇敢だった」
40分後、半田たちは全員無事に帰ってきた。ゲイン塔は固定された。天空の大工事は、最大の危機を乗り越えた。
震災を奇跡的に乗り越えて、目標の634メートルを達成
東京スカイツリーが634メートルに達したのは、それから1週間後のことだった。その頂に、一番に登ったのは半田。日本一の場所から眼下に広がる眺望を、半田は仲間たちと分かち合った苦労とともに噛みしめた。
「やったなーっていう感じでしたね。ウチの鳶さんたちも歯を食いしばって、本当に一生懸命やってくれた。達成感しかなかったです。スカイツリー建設に携わって、仕事との向き合い方も、鳶さんたちとの向き合い方も、他の業者さんとの向き合い方も、まるっきり変わったと言ってもいいと思います。この建物が、井の中の蛙だった自分を成長させてくれました」
タワーの点検に回っていた森川も、すぐにてっぺんに駆けつけた。
「今まで誰も見たことのない景色ですからね。仕事もやっていて楽しかったし、この景色をお金をもらって見られるんだから、鳶っていいなと思いましたよ。若い頃は鳶職だって言えないときもあったんです。だけど今は、スカイツリーをやった鳶職だって、自慢できますもんね」
「世界一」を作ったという誇りを手に入れた「現場の人々」
実は現場では、スカイツリーの完成前から「誰が最初にてっぺんに登るか」が、密かな話題になっていた。半田はこう話す。
「オレが先だって、ずっと思っていました。施工者を差し置いてって、後で大林組の社員さんから言われちゃいましたけど」
苦笑する半田を、森川がフォローする。
「オレたちの特権だよね(笑)」
スカイツリーの建設がスタートしたとき、現場で敵対し合っていた半田と森川。ゴールしたとき、半田は敬意を込めて森川を「哲さん」と呼び、森川は親しみを込めて半田を「半ちゃん」と呼ぶようになっていた。
スカイツリーのてっぺん――。地上との中心の誤差は、半径6センチ以内と設定されていた。完成後に測定した実際の誤差は、半径2センチ以内に収まっていた。