昨年12月に発売直前で発売中止になったトランスジェンダーの少女たちに関する翻訳書が、別の出版社から今年4月に発売された。武蔵大学社会学部教授の千田有紀さんは「著者はこの本で、思春期になってから性別違和を感じ始める少女が、SNSを媒介にして爆発的にアメリカで増加しているが、それは『男性になりたい』というよりも、『女性でいたくない』と考える、精神的に不安定な思春期の少女たちにすぎないと書いている。性別違和に悩む少女やその家族にとって、この本に書かれている情報は、まさに重要な、必要とされている情報なのではないか」という――。

別の出版社から出版された話題の翻訳書

KADOKAWAから出版予定であったが、「トランスヘイト(トランスジェンダー憎悪や差別)をあおる内容の本だ」として、KADOKAWA社屋の前での抗議活動予告を含む批判があり、出版停止となったアビゲイル・シュライアーの翻訳書『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』が、産経新聞出版から刊行された。

アビゲイル・シュライアー『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』(産経新聞出版)
アビゲイル・シュライアー『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』(産経新聞出版)

当初のKADOKAWA版では『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』というタイトルだったものだ。英語の原書のタイトルは『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing our Daughters』で、「回復不可能な損傷:トランスジェンダーの流行が、私たちの娘を誘惑している」といった意味だ。

やっと出版されたと思いきや、今度は販売する書店への放火予告や、販売停止を求める脅迫が入った。多くの書店が早々に発売停止を決定してしまい、ネットでの取り扱いもやめてしまった書店もある。結果としてインターネットサイトであるAmazonで、売り上げ1位となった。「注目を浴びてよかったじゃないか」という声もあるが、そもそも予約の時点でAmazonのランキングが26位だったことが確認されている。

こうした騒ぎとならなければ、本の内容自体に焦点があてられたのにと思うと非常に残念である。

帯には「ヘイトではありません」の言葉

発売された本には「ヘイトではありません」という帯がつけられた。実際、内容は、思春期に性別違和を訴えた少女たちの親へのインタビューを中心としたノンフィクションである。

従来日本でも、男性から女性へとトランス(性別移行)した当事者から、思春期にトランスする少女たちへの違和感を聞くことが多かった。曰く、「自分たちは物心がついたときから、性別違和を覚えていた。それなのに彼女らは、思春期になって突然目覚めてトランスだと言い出す。同じ性別違和だとはとても思えない」と。

また、思春期になってから性別違和を感じ始め、女性から男性へとトランスをした日本の当事者からも、「小さな頃に性別違和を感じたことはなかった。しかし、インターネットで『性同一性障害』という言葉を発見してから、自分はこれだと思った」「テレビドラマの『3年B組金八先生』で、俳優の上戸彩さんが演じていたトランスジェンダーの生徒のストーリーを見てから、自分もあてはまると思った」といった語りを聞くことが多かった。

「女性でいたくない」精神的に不安定な思春期の少女たち

アメリカでは、思春期になってから性別違和を訴えるようになった少女たちが、SNSを媒介にして爆発的に増加しており、シュライアーによれば、それは「男性になりたい」というよりも、「女性でいたくない」と考える、精神的に不安定な思春期の少女たちにすぎないというのだ。

となれば、少女たちの「性自認」をあくまでも肯定し、思春期ブロッカー(第二次性徴を抑制する薬剤)、異性ホルモン(テストステロン)、胸の除去手術、場合によっては男性器の形成という性別適合手術へと進んでいく「ジェンダー肯定医療」の、妥当性が揺らいでくる。

従来は、性別違和を訴えてトランスを希望する少女については、こうしたジェンダー肯定医療というプロセスにつなげなければ、少女たちは自殺してしまうと脅されたものだが、シュライアーの本を読めばそうとはいえないことがわかる。

スマートフォン中毒のティーンエイジャーたち
写真=iStock.com/ViewApart
※写真はイメージです

「ジェンダー肯定医療」の問題点を指摘する報告

この本が発売延期となっている間に、2つの事件があった。ひとつはWPATHファイルの流出であり、もうひとつはキャス博士の報告書の公開である。

WPATH(世界トランスジェンダーヘルス専門家協会)は、「ジェンダー肯定医療」を推し進めてきた団体だが、実際は医療関係者だけではなく、多くのトランスジェンダー活動家を含んでいた。

流出したWPATHファイルは、思春期ブロッカーによって、将来的な不妊や、永遠に性的なオーガズムを感じなくなることなどの重大な症状が引き起こされる可能性があり、またジェンダー肯定医療の有用性には疑問があることを示唆していた。WPATHはそのことを認識していたにもかかわらず、黙っていたのだ。それどころか、子どもたちがこれらの情報を理解しておらず、インフォームドコンセント(医師からの情報提供や説明が十分に行われ、患者から同意を得ること)が行われていなかったこともわかった。さらに、トランスを希望する子どもの中には、多くの精神疾患を抱えた子どもたちがいることを知っていながら、こうした「医療」を進めてきたのである。

またイギリスでは、トランスジェンダーになったことを後悔し、「ジェンダー肯定医療」を受けるのをやめた子どもたち(「脱トランス」した子どもたち)が、じゅうぶんな情報提供が行われないまま、それこそ本のタイトルそのままに「回復不可能な損傷」を負ったことを、裁判所に訴え始めた。

イギリスの公的医療保険サービス、NHS(国民保健サービス)は、小児科医のキャス博士に対し、18歳未満の子どもに施されるジェンダー肯定医療についての調査を依頼した。今年4月に公表されたその報告書には、ジェンダー肯定医療の有効性にはエビデンスがないこと、思春期ブロッカーやホルモン治療が重大な副作用をもたらす可能性があること、さらに調査が必要であることなどが書かれている。

「対岸の火事」でいいのか

本が刊行されてから、この翻訳書に対する批判のロジックは、「トランスヘイト」から「データに多くの間違いがある」へと移った。さらにその批判点への再批判もなされている。しかし海外では、WPATHファイルやキャス博士の報告書によって、さらに論点は、ジェンダー肯定医療の問題点をどのように把握し、転換するかに移っている。

日本は、これを対岸の火事と言っていいのだろうか。

すでに日本でも、学校現場で生理に対する違和感を表明した女子生徒に、学校側が「それはあなたがトランスジェンダーだからかもしれない」と、トランスジェンダー支援団体へとつなぎ、思春期ブロッカーを投与することになったという事例を聞いている。しかしいまのところは、このような事例はアメリカほど多くはないだろう。

アメリカやイギリスの“先進的な”性教育

根底にあるのは、アメリカやイギリスの学校現場で選挙区ごとに進められてきた“先進的な”性教育だ。そこでは「あなたの性自認や身体は自由に選ぶことができる」「女の子なのに電車で遊ぶのが好きなら、トランスジェンダーかもしれない」「間違った身体に生まれてきた子はいないだろうか?」と教えられる。

シュライアーの指摘によれば、思春期に性別違和を持ち始めてトランスジェンダーを表明する少女は、裕福な中産階級の白人のリベラルな家庭の子が多いという。こうした「リベラル」な動きが、意図せざる効果として、不安定な思春期の少女たちをトランスジェンダーへと押し出している。

また、近年とみに盛んになったSNS、とくにYouTubeなどの動画では、かっこいいおしゃれなトランスジェンダーのインフルエンサーが、「勇気を出して、あなたもトランスジェンダーになって」とティーンの少女たちの心をつかんできたという。シュライアーは、子どもたちからスマートフォンを取りあげるべきだとまで言うが(さすがにそれには賛同できない)、若者たちがネットにロールモデルを見いだすのは、どの国でもあり得ることだろう。本では、アメリカでオバマ大統領(当時)が、医療における性自認の差別を禁止したことが、安価で容易な若者の「ホルモン治療」を可能にしたことが指摘されている。

性別違和に悩む少女や家族に必要な本

昨年10月、日本の性同一性障害特例法で、戸籍上の性別を変えるために必要とされてきた、生殖機能を失わせるための性腺摘出手術は、「心身に侵襲的(負担を与える)」として違憲であると最高裁が判断した。

テストステロン(いわゆる男性ホルモン)を摂取している場合は、きちんと継続的に摂取をしないと、卵巣が子宮内膜を増殖させるように刺激して細胞が変質し、子宮内膜がんの危険性が高くなるという。したがって5年も経過すれば予防措置として、子宮と卵巣の摘出手術が勧められるのだという。

日本社会に住む私たちはどうすればいいのだろうか。性別違和に悩んでいる少女たちやその家族にとって、この本に書かれている情報は、まさに重要な、必要とされている情報なのではないだろうか。

出版後も続く批判

ところが、この本が出版されたことに対する批判はまだ続けられている。

Xの投稿によると、産経新聞出版の元々の帯が見えないように、上から手製らしい帯をつける書店が現れたという。その帯にはぎっしりと文章が書き連ねられている。曰く、「内容についてはアメリカでも賛否両論で、科学的根拠を疑う批判もある」

そして以下の言葉が引用されている。

「読んでから判断したかった」との声も多いが、日本の社会にはトランスに関する正しい情報が不足し、差別をあおる言説や虚偽の情報が広がる。社会にリテラシーが蓄積されていない現状では、残念ながら「公平な議論」は容易ではない。

日本社会にはリテラシーがないので、賛否両論がある本を読むことは控えるべきだという主張に読める。さらに「論争の的になっていることもあり、他の関連書を合わせ読んだり、批判的な見解にも注意しながら、慎重に読むことが期待される」

また、Xではほかにも、「この本を見るだけで傷つき脅威を感じるトランスジェンダーがいるのだ」と店頭で書店員に詰め寄り、書店を経営する会社にも書店員を名指しで抗議のメールをしたと告白したあとで、「ここから俺の戦いが始まる」というポストをしている人がいるのも見た。

海外の教訓から、私たちが何を受け取っていくのかが問われている。

写真提供=千田有紀
出版社の帯が見えないように、書店側で作成されたらしい帯がかけられた書籍