2023年、大塚製薬の佐賀栄養製品研究所にはじめての女性所長が誕生した。微生物愛が高じて研究者の道を歩み、「女性の健康」をサポートする「エクエル」を世に送り出した、上野友美さんがその人。しかし、商品を生み出すまでの道のりは、決して順風満帆ではなかったという――。
研究者
写真=iStock.com/gorodenkoff
※写真はイメージです

研究成果が出ず全社挙げての事業計画が中止に

上野さんは新人時代から研究者として独自性を磨く努力を重ねていた。

「入社してすぐ、最初の上司に“専門を持て、○○なら上野と言われる研究者になれ”と指導されていたこともあり、自分にしかできない研究テーマを追い求めていました。入社当初は、運動をテーマとする研究所で、“運動と栄養”をテーマに研究を進めていました。ですが、女性研究者としての強みを生かしたいと考え、女子大を回るなどして月経前の体調変化について調査を始めていました。所属部署の案件ではなかったのですが、私が運動よりも女性の健康に興味を持っていることが上司にはひしひしと伝わっていたらしく、理解を得まして、独自にリサーチや実験をさせてもらっていました」

入社して2年目、上野さんのアピールが認められ、「女性の健康」を研究するチームに転属になった。そこは大豆イソフラボン研究の第一人者である内山成人さん率いるチームだ。女性の健康課題としては関心が低かった更年期症状やPMSなど女性特有の課題に関心を寄せ、女性ホルモンに似た構造をもつ大豆イソフラボンの成分研究を進めていた。

希望に燃えた研究生活が始まったが、6年後、背水の陣に追い込まれてしまう。内山さんと共に進めていた大豆イソフラボンの研究で目標としていた「女性の健康のサポートに有効」という成果を出せず、プロジェクトは一時中止を余儀なくされたのだ。

実は、大塚製薬では、当時研究者の間でその有用性が注目されていたものの、科学的根拠が明らかではない大豆イソフラボンに、将来性がある素材として大きな期待を寄せていた。そのため研究所だけの事業ではなく、全社的なプロジェクトとして製品化に向けてさまざまな部署で準備を進めていたという背景がある。大塚製薬では、科学的根拠をもつ食品の開発に長い期間を費やすことや、安全性に万全を期すため、開発プロジェクトが長期に及び、莫大な費用をかけることは珍しくない。もし科学的根拠が証明されなければ、進捗にかかわらず製品化が中止になることもあるとはいえ、全社から期待を集める研究で、明確な成果が出せなかった当事者にとっては重い現実だった。

体調の変化に悩む女性のため「あきらめない」

「会社の期待を裏切り、大きな損害を与えてしまったことに責任を感じて、直属の上司の内山は辞職を覚悟していました。しかし当時の役員に“会社に与えたダメージに対して、辞めることでは責任を取ることにならない、もっと良い製品を開発して利益を上げるべきだ”と諭され、一緒に動いていた私自身も辞めるつもりでいましたが、あきらめてはいけないと、俄然やる気がわきました」

以来、6年間苦楽をともにしてきた上司と部下は、役員の言葉に奮起し、大豆イソフラボンに関連する別の成分での再起を申し出た。

その成分とは、「エクオール」という大豆イソフラボンの代謝物で、女性の健康に密接な関わりがあることがそれまでの研究をとおしてわかっていた。エクオールは豆腐などの大豆製品を摂ると腸内細菌により体内で産出される女性のパワーの源である。だが、エクオールを産出する腸内細菌を持っている人は日本女性では約5割。半分の人が大豆イソフラボンを摂取してもつくれないため、その成分を補えるとされるサプリメントへの潜在ニーズは高いと踏んだ。

「私はこの研究をあきらめたくなかった。その当時、世間ではまだライフステージにおける女性の心身の変化に注目が集まらず、がまんすることがあたり前となっていました。しかし女性特有の健康課題で悩む女性は少なくありません。

健康だからこそ起こる身体、体調の変化があり、月ごとの変化のほか、さまざまなライフステージごとの変化を経験します。しかし誰にも相談できなかったり、がまんをしたり、対処をあきらめてしまっているケースも多いのです」

医薬品ではなく、サプリメントとして提供することで、通信販売や薬局、医療機関などさまざまなところで手に入れられるようになる。安全を大前提に、体調管理のために女性自身が選びうる新たな選択肢として、安心して毎日摂取できるサプリメントができれば、人びとの健康に貢献するだけでなく、ビジネスとしても強みになると信じていた。

上野さん
写真提供=大塚製薬

「私は女性たちにただ受け身でいてほしくなかったし、解決策はあると示したかった。女性たちが自分たちの困りごとを能動的に解決していく手助けをすることで、女性の社会進出を後押ししたいと思っていたのです。世の女性たちの声なき声に応えるには結果を出すしかない。それにはなんとしてもエクオールでプロジェクトを継続したかったのです」

期限は3カ月。追い詰められる中で起きた奇跡

提案がとおって、研究中止から一転、エクオールを産生する菌を特定する計画にゴーサインが出た。ただし、菌を探し出すのに許された期限はたったの3カ月。上野さんたちはさらなる逆境に立つことになった。

上野さん
写真提供=大塚製薬

「エクオールを代謝する安全な菌が見つかれば、世界初の大発見(大塚製薬調べ)でもあります。不安はありましたがきっと見つかると信じ、ひたすらに取り組むしかない。6年で予算が底をつき試験管を買う資金もないなか、内山と私、助っ人で来てくれた当時研修生だった新人のたった3人で1300株近い菌を培養し続けました。結論から言うと期限内に目当ての菌は見つからなかったのです。いよいよこれまでかとあきらめかけたところに奇跡が起こりました。期限の翌朝“ラクトコッカス20-92”という乳酸菌がエクオールを代謝していることが確認でき、土壇場で発見できたのです」

皮一枚でつながっていたエクオール研究は、ある乳酸菌との出合いで見事続行が決まった。この乳酸菌発見から12年後、通算18年の月日をかけて、2014年にエクオール含有食品「エクエル」を発売。主成分であるエクオールは、女性の健康や美容に役立てるために1日あたり10mgの摂取が目安になるが、そのための大豆イソフラボンを大豆食品から摂取しようとすれば、豆腐なら3分の2丁(200g)、納豆なら1パック(50g)、豆乳ならコップ1杯(200g)を毎日摂る必要がある。しかしサプリメント4粒で同量のエクオールを摂ることができることから、大塚製薬の通販サイトや、婦人科をはじめとする医療機関でも販売され、大評判となった。さらにエクエルの研究成果は、上野さんが新人時代から継続していた研究ともつながり、2021年には、月経前の健やかな女性をサポートするサプリメント「トコエル」にも結実した。

失敗さえ肥やしにする研究者魂

上野さんは「研究の中止」という大事件を振り返りながらも屈託がない。それには研究職ならではのマインドの持ち方があるようだ。

「実験で結果が出ないことはよくあること。失敗だと後悔するよりは、あくまでも前向きに結果は結果として捉えることにしています。うまくいかなくても終わりではない、ほかに方法があるかもしれないと考えます。あきらめが悪いんです(笑)。しかし検証は必要で、イソフラボン研究のケースでは臨床試験の知識や経験が少なかったこと、専門家を交えて内容を練ってから実証実験を実施すればよかった、など反省は多々ありました。むしろ苦い経験があってこそ、後に十分な成果が得られるようになったとも思います」

ピペットからペトリ皿に液体を滴下する科学者
写真=iStock.com/Liudmila Chernetska
※写真はイメージです

不屈の研究者精神は理学部で微生物を研究していた学生時代に培われた。あてもなく海や山を歩き回り、目的の微生物を採取しては培養するという根気のいる作業を繰り返していたそうだ。将来は研究者として一本立ちしたかった上野さんは、医薬品メーカーでありながら食品や飲料の独立した研究施設を構え、基礎データをもっていることに魅力を感じ、大塚製薬に就職した。

「研究職は多忙ですが、やりたかった仕事なので苦にならないですね。微生物が好きなんです。ゾウリムシやミドリムシなど、細胞一つしかないのに、食べたり光に反応したりして、意志をもって動くでしょう、それがおもしろくって。微生物を観察したり、実験したりするのが楽しくて仕方ありません」

女性活躍に欠かせない研究職の働き方改革

「趣味は仕事」と言い切るほど情熱をもって研究に邁進してきた上野さんは、研究姿勢や実績を評価され、2023年、大塚製薬 佐賀栄養製品研究所所長に就任した。この年、大塚製薬の研究施設では同時に2名の女性所長が誕生している。女性活用の機運が高まるなかでの抜擢だが、圧倒的な仕事量と成果を出してきたことはもちろん、何事にも論理的で、管理職として研究所員をニュートラルに評価できるマネジメント能力には定評があり、前々から所内で次期所長は上野さんしかないという空気があったという。これまでの昇進も女性初の連続だった。

「周囲が歓迎してくれて、私が研究所で女性初の課長になったときなど、元の職場の上司まで喜んでお祝いしてくれました。思えば若手のころから、重要な会議に呼んでいただいたり、発言する機会を与えてもらったりなど、そういった社風のなかで研究者としても、管理職としてもていねいに育てていただいたという実感があります」

一般的に企業の研究職は男性優位ではあるものの、佐賀栄養製品研究所では4割が女性。同期にも先輩にもあたり前に女性がいる環境があり、これまでも性別を理由に苦労したことはなかった。

「女性研究者だからと理不尽な思いをしたことはありません。外部の専門家も、男性の婦人科医などは女性と接しなれている人が多いこともあるかもしれません。社内でも、女性特有の課題について提案する場合であっても、上層部の男性役員は“われわれにはよくわからないが……”と言いながらも“ニーズがあるならやってみたらいい”と背中を押してくれるような対応でした」

ただ、組織の頂に立ってみて、上野さんはハタと思うことがあったという。所長として研究所全体の運営を考える立場になってみて、自身も専門性を追求するあまり他人の研究について表面的にしか知識がないことに改めて気付いたそうだ。

「現場の研究員としては専門性を深めることが第一と思っていましたが、今はそうとは限らない。メイン分野を持ち、人から信頼される専門性はあるべきですが、サブ分野で広くいろいろなチームに関わることも大事、情報を占有しないことが肝要です。メインとサブで情報共有ができれば、働き方にも余裕が生まれて、休暇も普通に取りやすくなるはずです」

男女問わず研究職が長く仕事を続けるための策として、情報共有の徹底は、ライフイベントなどで仕事を休める体制には必須だと感じている。

「休みやすくなるうえにメリットもあるんです。ほかの人の研究について話す機会があると、視野が広がるし、自分の研究にもプラスになります。お互いの仕事を知ることで、話す機会が増えて、ますます情報共有が進むでしょう。続けていけば、社内人脈のネットワークが強化されて、全社的な相乗効果があるはずだと考えています。まずは日ごろの雑談からですね」

こまめなコミュニケーションからネットワークをつくっていくことで、知識だけではなく、社内外の人脈も共有されれば、適切な相手に相談したり、新しいアイデアが生まれたりする土壌が生まれ、組織の強みになるはずだと期待しているのだ。

大塚製薬 佐賀栄養製品研究所 所長 上野友美さん
写真提供=大塚製薬
大塚製薬 佐賀栄養製品研究所 所長 上野友美さん。研究開発に携わった「エクエル」「トコエル」を前に

すでに発売された「エクエル」「トコエル」だが、実は研究開発は発売以降も続けられている。世に出したらおしまいではなく、顧客ニーズや、新しい機能性などを付加して、時代に合った製品に更新していくのが、研究所の使命だと考えている。

「日本の女性は体の不調に対してガマン強いと感じます。だからこそ、解決への選択肢を提示してあげられるように、この仕事をとおしてもっともっと女性の力になりたいと思っています」

終始淡々と穏やかな笑顔で語る上野さんは、熱い研究者魂を内に秘め、今日も静かに奮闘している。