授業やランチで別々になる日本の男女
数年前のことです。勤務先の大学で、赴任したばかりのあるドイツ人の大学講師の方からこんなことを訊かれました。
「日本では今でも、男女同席しないのが普通なのですか?」
彼は、何クラスかドイツ語の授業をもっているのですが、そこでは全て、男女が別々に座っているというのです。大学の授業は、基本自由席。あるクラスでは、左側の並びの机に全男子学生が座り、右側の並びの机に全女子学生が座っていて、毎週ほとんど同じ席に座る。ドイツではこんなことはない。まさか、イスラム教の教えが広がっているわけではないよね、と冗談を言われました。
そう言われてみれば、私の授業でも、隣り合って座っているのはほとんど同性同士、たまに男女が同じ机に並んで座っていると「珍しい」と思ってしまいます。
また、シンガポールに長く住んでいた帰国子女が、日本の会社に就職したとき、お昼のランチが男女別であることに驚いたそうです。社員食堂でも、外にランチを食べに行くときでも、男性同士もしくは女性同士で固まっていて、カップルどころか男女混じって食事をする姿はみかけないと言うのです。
もちろん、学校や会社によって違いはあるでしょう。ですが、授業を受けるときやランチを一緒に食べるときに、自然に男女別々になるというのも日本の一つの特徴と言えます。
「友人として交際している異性」とは…
特別の用事がなくて、二人の男女が一緒にいると、本人たちにその気がなくても、何か「特別の関係」にあると周りから思われてしまう。これが、他人の目を気にする日本人の特性かもしれません。
前回述べた「恋人ではないが交際している異性」というカテゴリーも、このあたりと関係しています。
国立社会保障・人口問題研究所が、ほぼ5年ごとに「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」を行っています。
そこでは、独身者に対し、「交際相手の有無」を訊いています。その質問は「あなたには交際している異性がいますか」という質問で、答えの選択肢は、①交際している異性はいない、②友人として交際している異性がいる、③恋人として交際している異性がいる、④婚約者がいる、の4択です。
そこにあるのが、「友人として交際している異性」という二番目の選択肢です。
さて、このカテゴリーをどう解釈するか――。
みなさんも、ふと疑問に感じませんでしたか。
私は以前、当研究所の研究員の方に、「これは研究所ではどういう意味で選択肢に入れているのですか」と訊ねたことがあります。彼女は、「昔からこの選択肢があったので比較のために同じ選択肢を入れざるを得ない」「最初にこの設問を作った人がどのような意味を込めたのかは今となってはわからない」。そう答えてくれました(また、「同性の恋人は入らないの」と訊くと、これも「継続性の観点から同じ質問文にせざるを得ない」という回答でしたが)。周りの学生たちにこの設問について話してみても、「意味わからない」と答える人が多かったです。
男女交際の変化を判断する分岐点
回答分布の推移を見てみましょう(図表1)。出生動向基本調査は、1940年開始ですが、独身者調査は1982年が初回で、おおむね5年おきに行われています。
この「友人として交際している人がいる」をどう解釈するかによって、ここ40年間の若者の男女交際の変化の判断が分かれます。
「交際している異性がいない」と回答した人は、1982年では、男性36.8%、女性30.1%です。つまり、約3分の2の未婚者に「交際している異性」が存在していたことになります。その後、「交際している異性がいない人」はほぼ一貫して増え続け、それが2021年には、男性は72.2%、女性は64.2%までになります。この数字のみでは、男女交際はこの40年の間、不活発化の一途をたどっていると判断されます。
一方、「恋人として交際している異性」を基準にすると、見方は変わってきます。
1982年には、恋人として交際している独身者は、男性17.1%、女性18.2%と、男女とも2割に達しません。そして、バブル景気(1986~1992年)が始まっていた1987年には、男性19.4%ですが、女性は26.2%にまでジャンプします。
男性も1992年には、23.1%となります。おおむね1990年代から2010年ごろまで、恋人がいる独身者の割合は、男性22~23%、女性30~33%とたいへん安定しています。
そして、男女とも2010年以降、減少傾向に転じます。
2021年には、男性19.8%、女性26.0%となり、今に至ります。バブル期から恋愛が盛んになり、リーマンショック後に衰退した、という実感ともこの見方は一致しています。
この両者の見方を合わせると、どうも、この40年の間に「結婚前の男女交際の仕方」が、質的に変わってきたのではないか。そのように考えられます。
異性の友人と同性の友人が違うものだった時代
それは、「異性の友人」というカテゴリーの意味の変化です。
この調査が開始された1982年には、「友人として交際している異性」が、一つのカテゴリーとして自立していたのではないかと推察されます。
告白していないから恋人ではないけれど、「単なる友達ではない特別な関係」と認識されていたのではないでしょうか。
つまり、当時は、異性の友人と同性の友人は、それぞれ“違うもの”として考えられていた。
もちろん戦前のように中学以降、男女別学という時代ではありません。しかし、同性の友人と同じように異性の友人と一対一で付き合う、つまりはいろいろな話をしたり、遊んだりする習慣は、まだできあがっていなかったと思われます。
私の大学入学年は1976年ですが、男女共学とはいえ、まだ女子学生は少ない時代。遊びといえば、男性同士で飲みに行ったり、麻雀したりというように、プライベートでも男女の領域の区分が大きかった時代です。もちろん、クラスコンパや合コン、サークルなどで女子学生と話したりする機会はありましたが、そこで男性の友人と同じように友情関係を育む、もしくは気軽に二人で一緒に行動するという機会は少なかったように思えます。
そんな中、二人で一緒に並んで授業を受けたり、わざわざ食事をしたり、さらには遊びに行ったりする仲になれば、そこには「特別な関係」であるとお互いに認識せざるを得ない状況になります。
異性の友人は「交際している」人ただ一人
多分、当時の職場も同じような状況ではなかったかと思われます。
雇用機会均等法以前は、男女が対等に仕事で一緒になる機会は少なかったはず。そんな中で、二人だけでデートするという状況が生まれれば、「特別」な関係と本人たちも、周りの人たちも意識したはずです。
しかし、「好きです」「恋人になりたい」という告白をしていないから、恋人ではない。だから「交際している異性の友人」なのです。
前回述べたように、松田聖子の「赤いスイートピー」がヒットしたのは、ちょうど1982年です。当時は、恋人がいる割合より「友人として交際している異性」がいる割合の方が高かったのです。
つまり当時は、単なる異性の知り合いは何人もいたとしても、異性の友人は「交際している」人一人であり、デートする異性の友人が複数いる人は、今では何人もの恋人が同時にいる人と同じように「遊び人」と見られてしまったのではないでしょうか。
そのような時代に、結婚前の人が、愛情の分散投資をするのは難しい。
「話をしたい」「一緒に遊びたい」、さらには「性関係をもちたい」といったさまざまな愛情欲求を一人の異性に求めるしかないといった時代であるからこそ、告白を経て「異性の友人」を「恋人」へと昇格させ、プロポーズを経て「婚約者」、「配偶者」へと地位を上げていくことに腐心した。もちろん、途中で関係が終わることはあったとしても、です。
愛情が分散化されて消えたカテゴリー
一方、男女雇用機会均等法が成立し(1985年)、バブル期(1986~1992年)を経て、男女が一緒になって行動する場が増えてくる。近年の若者にとって、異性の友人は特別の存在ではなく、同性の友人と同じような関係として認識されるようになってきた。男友達と同じように、二人で食事や遊びに行くことも自然に容認されるようになってきた。
となると、ある異性とは楽しく食事して、別の異性とは趣味を楽しみ、別の異性とは性的関係をもつなどという“分散”が可能になってきた。
とすると、「友人として交際している異性」というカテゴリーは、だんだん意味をなさなくなってきたので、交際している異性の友人がいるという回答が減少してきたのです。
この変化が、現在の生涯未婚率の増加にも影響を及ぼしている、というのが私の見立てです。
次回は、戦後の恋愛結婚の流れを振り返りながら、「愛の分散投資」を検証していきます。