経団連の政府提言の裏には、改姓によるビジネスへの不利益
婚姻時に夫婦で同姓か別姓にするかを選べる「選択的夫婦別姓」への関心が高まっている。6月10日、経団連の十倉雅和会長が、選択的夫婦別姓制度の導入を政府に求める初の提言を公表。さらなる追い風になるのでは、と注目されている。
これまでの経緯としては、1996年に法制審議会が導入を答申している。法務省は96年および2010年に民法改正法案を準備したが、いずれの法案も政府与党内でのさまざまな議論があり、国会提出には至っていない。
一方、ビジネスの現場では旧姓の通称使用が進んできたが、弊害も多く出ている実情がある。経団連では、「女性活躍の着実な進展に伴い、企業にとっても、ビジネス上のリスクとなり得る事象であり、企業経営の視点からも無視できない重大な課題である」と指摘。この課題を解消するためには、「政府が一刻も早く改正法案を提出し、スピーディーに対応していただきたい」(十倉会長)と述べた。
今、なぜ経団連はこうした提言を打ち出したのか――。
その前提として、まず日本特有の夫婦の姓の在り方がある。日本の婚姻制度は、明治期に法制化された民法の家制度に由来する。明治民法では「妻は婚姻によって夫の家に入る」と明記され、「妻が夫の姓を称すること」がルール化された。
現在放送中のNHKの朝ドラ「虎に翼」では、まさに日本の家制度に翻弄される女性たちが描かれ、その問題に立ち向かって奮闘する主人公・寅子の姿が話題になっている。戦後、日本国憲法では男女平等を掲げ、民法が改正される。民法第750条では、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と定められた。つまり、結婚した夫婦は、夫の姓もしくは妻の姓のいずれを名乗ってもいいのだが、いまだに改姓するのは女性が圧倒的に多い。2022年の内閣府の調査によると、全体の約95%を占めている。
旧姓通称が使える企業が増えても多くの不都合が残る
「夫婦同氏制」を採用しているのは、世界でも日本だけだ。儒教の影響が強いアジア圏で、中国、韓国、台湾は夫婦別姓の伝統がある。欧米では、1970年代以降、選択的夫婦別姓が順次導入されてきた。国際社会の潮流の中、日本でも夫婦同氏制を見直す議論が行われてきたが、現状は変わらぬまま今日に至っている。
さらに夫婦の姓の在り方が問われてきた背景には、女性の社会進出がある。働く女性たちの間では「旧姓の通称使用」が浸透しているが、旧姓と新姓を使い分けることで煩雑な手続きが生じ、さまざまな不利益を被ることも指摘される。改姓がハードルになって結婚を諦める人、名字を変えたくないと「事実婚」を選択するカップルもいる。
実際にビジネスの現場では何が起きているのか。経団連の審議員会副議長兼ダイバーシティ推進委員長で、サニーサイドアップグループ代表取締役社長の次原悦子さんはこう語る。
「経団連の会員企業調査では、9割の企業が社員の(旧姓)通称使用を認めていますが、88%の女性役員が旧姓の通称利用が可能でも『何かしらの不便さや不都合、不利益が生じると思う』と回答。二つの名前を持って働く女性たちはこれまで大変な経験をしてきました。通称使用は法律上の姓ではないため、旧姓併記を拡大するだけでは解決できない課題も多い。ビジネスの現場では、女性活躍が進めば進むほど、通称使用による弊害も顕在化しているのです」
例えば、多くの金融機関では、ビジネスネームで口座を開くことやクレジットカードをつくることができない。通称では不動産登記ができず、契約書のサインも認められないことがある。次原さん自身も、会社を上場する際に通称では申請を認められずに苦労した経験があった。中には起業時に「ペーパー離婚」をする人もいるという。
さらに海外出張の際、通称は日本独自の制度なのでなかなか理解されない。現地のメンバーが通称でホテルの予約を取ってくれた場合、チェックイン時にパスポートの姓名と異なるという理由で宿泊を断られたケース。公的施設への入館時に身分証明書を求められ、ビジネスネームが記載された名簿と提示した公的IDの名前が違うことからトラブルになることも。
今年2月、経団連加盟企業の女性役員ら13人で米国を訪れた際、ホワイトハウス、国際機関、大手企業など十数カ所を訪問した。その際、8割ほどのメンバーが通称を使っていたため、ビル入口のセキュリティーチェックで足止めされたこともしばしばあったという。
こうした声を受けて、経団連はいよいよ「選択的夫婦別姓」導入を政府に求める提言の公表に踏み切った。
「女性が社会進出するときに不利益を被る現実があるならば、せめて夫婦別姓を選択できるような環境になればと。今ようやく社会の情勢も変わろうとしているところで、ここがアクセルの踏みどころと思っています」(次原さん)
選べる自由がない、日本人夫婦の「姓」
選択的夫婦別姓に関心ある人たちはどのような思いを抱えているのか。
プレジデントウーマン編集部でアンケート調査を行ったところ、20代から60歳以上の男女、約4300名から回答(※)があった。
※実施期間2024年3月21日〜28日。「プレジデント」と「プレジデントウーマン」のメルマガに登録する男女へオンラインアンケートを実施(有効回答数:4227。回答者の年代=20~60代以上。男64.3%、女35.2%、その他0.4%)
選択的夫婦別姓への関心が「大いにある」「まあまあある」と答えた人が全体で68.8%。うち、男性で60.3%、女性で84.4%の人が感心あると回答した。その理由には、「多様性に配慮すべきだから」(男性:40代)、「特に女性の社会参画を左右する」(女性:40代)、「共働きの場合などでは、女性にかかる負担が大きい」(女性:50代)、「この時代に、なぜ同姓を強制されるのか理解しがたい」(男性:30代)など、男女それぞれからさまざまな声が。また、「少子化に危機感を覚えているから」(男性:60代)という声も上がった。
経団連の提言は自分の姓について考えるきっかけに
法律上の婚姻経験者で、婚姻時に姓を変えた人の半数以上が改姓によるさまざまな不都合を感じていることも判明した。
「身分証明書、金融機関、運転免許、印鑑、これらを変更するコスト(時間、お金等)、相手は何もしなくてもいいのに、不平等しか感じない」(女性:40代)
また、ビジネス上、旧姓を使用できてもいろいろな問題があるという。
「現在も仕事では旧姓を使用。業務上、旧姓のままだと都合が良いということもあるが、『自分自身』を表す名前を変えるということに、とても違和感がある」(女性:30代)
「過去の業績(名前)が問われる業界で働いている。今も旧姓で仕事をしているが、旧姓の自分は法的には存在しない人間であるため、特に海外で働く場合、さまざまな問題に直面する。感情論や信条論ではなく、シンプルに不便。業績的に不利になることも多い」(女性:40代)と切実だ。
経団連の提言では、主にビジネス上のリスクが挙げられているが、夫婦別姓への関心の背景には、家族の在り方や結婚観、さらにはアイデンティティーの問題までさまざまな理由が見えてくる。その解消策として「選択的夫婦別姓」があり、それは決して強制的ではなく、選択的=自由に選べることにもかかわらず、なぜここまで法制化が進まなかったのかとますます疑問が募る。
この問題をとおして、自分の名前について考えるきっかけになったという人もいることだろう。次回からは、実際に「選択的夫婦別姓」の実現に向けて、さまざまな形で動き出した人たちを追っていく。