どんなに疲れていても、現場に来ると元気になる
店の中に一歩足を踏み入れると「いらっしゃいませ!」と、明るい声が響くのは、「カレーハウスCoCo壱番屋 秋葉原昭和通り口店」。午後7時ごろの入店だったがすでに満席。入り口には入店を待つ人々の行列もあった。
冒頭のとおり、温かく筆者を迎えてくれたのは諸沢莉乃さん(22)。一見すると普通のスタッフのようだが、実は「カレーハウスCoCo壱番屋(以下ココイチ)」FC本部とフランチャイズ契約する企業「スカイスクレイパー」の代表取締役社長だ。同社の昨年度の売上は、20億円。ココイチFC25店、ほかラーメン店2店を運営、従業員430名(パート・アルバイト含む)を率いる企業のトップだ。創業社長の西牧大輔氏(現会長)から2024年5月1日にバトンを受け取ったばかり、新米ほやほやの1年生社長だ。
取材日も昼は社長としての打ち合わせなどをこなし、夜になってから秋葉原の店舗に駆けつけた。
「私、お店というか現場が大好きなんです。ここに来るとどんなに疲れていても、元気になれるんですよ」と笑う。
しかし当然ながら、夕飯どきの店舗スタッフは忙しい。
そんな中、諸沢さんは料理をつくり、スタッフの教育をし、接客サービスを行い、とまさに八面六臂の活躍ぶり。常に周囲への目配りを怠らないのだ。
彼女は15歳から、スカイスクレイパーが運営するココイチFC店でバイトを始め、社長になる直前まで身分はアルバイトだった。16歳で、ココイチ本部が主催する「西関東営業部接客コンテスト」で最年少優勝を果たしている。そして、全国にある本部直営店、FC企業が運営する「ココイチ」全店舗スタッフ約2万人中30人しかいない、接客のスペシャリスト「スター」に、16人目しかも最年少の20歳で認定された。その証しの金のバッジが胸に光る。
はじめはカレーに興味なしもバイトにはまる
そもそも諸沢さんはココイチのカレーが大好きでバイトを始めたわけではない。高校1年の時、自宅の郵便ポストに「店舗スタッフ募集」のチラシが入っていたのがきっかけで、スタート時は時給940円。以来7年間、前社長の西牧大輔氏の薫陶を全身で受け止め、ココイチFCでの接客と店舗運営を何よりも優先して生きてきたのだ。学校が終われば毎日店に直行し、バイトをこなし、仕事が終われば仲間とカレーを食べる。遊びたい盛りのティーンエイジャーがココイチ店でのバイトにどっぷりハマるとは変わっている。いい意味での“変態”だ。
しかもアイドル顔負けの容姿で、天使のような笑顔がまぶしい。だから社内外に大勢ファンがいるし、接客の点でも前述のとおり申し分がない。だが、それだけで社長に抜擢されたわけではない。西牧前社長は何故、諸沢さんを社長に選んだのか。
離職率の高さを解決する方法とは?
「とにかく、諸沢の素直さ、明るさ、ポジティブさ、そして“人として優れていること”という経営理念を忠実に守る姿勢に惹かれました」と西牧さんは決断の理由を語る。
“人として”、という言葉が両者から何度となく聞かれる。挨拶、愛嬌、笑顔、優れた人間性が何よりも大事だというのが西牧さんの経営理念。諸沢さんは同じことを両親から教わった。
西牧さんは続ける。
「というのも、スタッフの離職率が高く、なんでいい人材が来てくれないんだろうと悩んだ時期があったからなんです。でも原因は単純です。いい人材はいい会社に行く、良くない会社には良くない人しか来ない。だとしたら、いい会社にするにはどうしたらいいかと考え、スタッフとしての技術より人間として学んでもらったらいいと思い立ちました。ハンディターミナル(注文を受け付ける機械)の操作や調理がいくら早くても、人間性が優れていないとダメ。いつかここから巣立っていく時に、それをしっかり学んで卒業してほしいんです」
このような経営理念を、入社後のパートやアルバイトに、時給を払ってじっくりとレクチャーする。その姿を「格好いい!」と感激した諸沢さんが、バイトにハマっていくのに時間はかからなかった。
西牧さんもまた、諸沢さん同様に現場が大好きな社長だったが、彼女の“人として”優れている点に脱帽した。
「忙しい時に私も各店を巡回して、テーブルについてカレーを食べるんです。その時スタッフに『ああしたほうがいい、こうしたほうがいい』と指示を出していたんです。もちろんお客様目線での指導ですから、ちゃんと意味があります。でも猫の手も借りたいくらいの時間帯なので、スタッフにとってはたまったもんじゃないですよね(笑)。その点、諸沢は違う。カレーを食べたあと、自分のシフトじゃなくても制服を着用して、スタッフのヘルプに入っていたんです。そのとき悟りました。自分がこの先社長をやっていても会社に未来はない。彼女ならば今より強い会社にできると実感しました」(西牧さん)
カレーをよそう手を震えさせたモンスターカスタマー
新人時代の諸沢さんは、西牧さんが店舗で会うと失敗をしてよく泣いていたそう。たとえば、
「お客様が食事を終わられたら、一旦お皿を下げるのですが、その時まだ残っていた飲み物も一緒に下げてしまって……。自分が情けなくておいおい泣いてしまいました」(諸沢さん)。
いくら接客現場が好きだと言っても、時にはモンスターカスタマーが店にやって来て、諸沢さんを怒鳴りつけることもある。彼女曰く「カレーをよそう手がしばらく震える」ほど、怖かったとか。
そんな頼りなげな諸沢さんへの印象が変わったのは、前述の接客コンテストだった。名物の「ココイチ本部主催接客コンテスト」とは、年に一回、全国各エリアの接客の猛者たちが集まり、舞台上で技を競うもの。プロの演者が客の役になり意地悪な質問や振る舞いをするが、それを当意即妙に返していくのだ。舞台に立つ先輩たちを憧れの眼差しで見つめる諸沢さん(当時バイトで入ったばかり)を見て、何気なく「来年は君も出場するよね?」と西牧さんが問いかけたところ、「はい、出ます!」と二つ返事で答えたそうだ。その躊躇のなさが西牧さんの胸を打つ。
20歳の時、二つ返事で社長の打診を快諾
そして諸沢さんが接客スペシャリストになった20歳の時「次期社長になってくれないか」と打診した。その時もまた、諸沢さんは二つ返事でOKする。「はい、私でよろしければ!」と――。それは、西牧さんが「来年は君も出場するよね?」という誘いを快諾した時と同じテンションだったそうだ。
「20歳の女の子だったら『ええー、社長だなんて私には無理です!』と答えるのが普通かなと思いましたが、諸沢はやっぱり躊躇がない。そこが気持ちいいのです」
西牧さんには“頑固は最悪、素直は最高”という座右の銘がある。年齢的に頑固になりつつある西牧さんにとって、自分の教えを素直に受け止め、素直に実践する諸沢さんが、次期社長に適任だと思った。
諸沢さんもまた「もちろん、考え方が違う時もあります。でも生きている年月が断然長いし、西牧は社長としての実績も素晴らしい。だから西牧の言うことでしたら、間違いないし、私を社長にと推すのでしたら、迷うことはありません」と、断るつもりは1mmもなかったそうだ。
言うなれば、西牧さんが学長のスカイスクレイパー大学を首席で卒業したようなもの。「私は大学にも行っていません……」と諸沢さんは謙遜するが、接客の現場は人生の大学。同級生の誰よりも多く、そして深く学んできた。
こんな諸沢新社長だからこそ、同社の古参社員も誰も反対しなかったそうだ。ちなみにスカイスクレイパーの株はすべて西牧さんが保有しているので、株主からの反対に遭うこともない。
3年後に真の社長として成長できているか?
もともとスカイスクレイパーのココイチFC店はアルバイトの高校生店長も存在するくらい、パートであろうとアルバイトであろうと、スタッフ全員が店を切り盛りする文化が根付いている。22歳の社長が誕生しても不思議ではないかもしれない。
それにしても、だ。
社長になれば接客だけでなく、財務や経営に関しても明るくないといけないのでは? 諸沢さんにそれができるのか? と意地悪な質問を投げかけてみた。実際に、西牧さんはカレーづくりから経営、財務面まですべてひとりで見ていたトップダウン型の社長だったのだから。
しかし諸沢さんがすべてひとりで背負うことはないと西牧さんは断言する。
「今、諸沢が社長として何が足りないのかを考えたのです。足りないスキル、たとえば財務、人事、広報などは、その分野のスペシャリストが周囲で支えればいいのです。もちろん、社長として最低限の修業は必要ですが」
その修業の一環として、コーチを社外から招いて、さまざまな勉強会をしている。諸沢さんだけなく、幹部たちも参加して、言葉遣いから目標設定、諸沢さんが不得意な財務諸表の勉強なども含まれる。
「数字の勉強は、もう全然ダメで……泣きたくなるくらい」
と、店舗でキリッと立働く姿とは違って、この時ばかりは少し弱音を吐いた。
そこで西牧さんは会長兼共同代表として3年間両輪で会社を経営して行く予定だという。その間に、西牧さんが諸沢さんに社長業のすべてを伝授していくそうだ。
「3年後には私は代表権から外れて退職する予定でいます。その頃、今現在会社が抱えている借金も完済しているでしょう。無借金で諸沢に渡せるので、経営で大変な時期は過ぎているはず。今はいい人材も集まっているので、彼らのサポートを受けながら、彼女が最終決定を出していくことになります」
世間では「社長は孤独」というが、諸沢さんは常にアルバイトやパート、社員から学ぶ姿勢を貫いている。そして何かトラブルがあっても彼女ひとりで抱え込まなくてもいいかもしれない。イヤなことは寝たらすぐ忘れるし、モンスターカスタマーが来店したら「出禁にします!」ときっぱり。意外に図太い。
ワーカホリックの意味はわからないが、仕事の虫
当初泣き虫だった諸沢さんは、いまだに泣く。しかし涙の質が違う。
「スタッフが成長しているのを感じると泣いてしまうんです」というように、嬉し泣きが増えた。とにかくココイチで働くのが好き、仲間が好き。趣味=ココイチと言っていいくらい。ココイチ以外の唯一の趣味が、映画鑑賞。大好きな『グレイテスト・ショーマン』を観て、またそこでも泣いている。作品で描かれる人間模様が、ココイチでの仲間たちとの交流にオーバーラップするからだが、もはや泣くのも趣味のうちか。
「もしかしてワーカホリックですか?」と問うと「うん? それは何ですか?」と小首をかしげ、22歳の女子の姿が垣間見える。
きっと、3年後からが諸沢社長の真髄となるのだろう。どんなふうに彼女は変わっているのか。もしかしたら今のままで変わらないのかをぜひ見てみたいし、話を聞いてみたい。そして相変わらず泣き虫なのかも確かめてみたい。