インド独自の問題解決法
「インド人もびっくり」――Z世代にはさすがにピンとこないかもしれないが、昭和生まれなら知っているフレーズだろう。
元ネタは、1964年のヱスビー食品によるカレー粉のCMである。スパイスを何種類も用意することなく、これひとつで簡単に美味しいカレーができることに本場インドの人も驚き、というわけだ。
したがって、当のインドでこういう言い方があるわけではない。だが、このフレーズは逆説的なかたちでインド人の一側面をよく表しているように思える。ちょっとやそっとのことでは慌てない。トラブルやピンチに直面しても諦めず、むしろそれを乗り越えることでチャンスにしさえもする。そんな「びっくりしない」インド人を驚かせるのはよほどのことだ、と。
では、なぜインド人はびっくりしないのか。
そのカギとなるのが、インド独自の問題解決法「ジュガール」である。インドに対する関心が高まる中で、主にビジネス界隈で使われることもあるので、耳にしたことがある読者もいるだろう。「リソースが限られた中でも柔軟な発想でソリューションを見出してイノベーションを実現する方法」などと紹介されることが多い。
その通りなのだが、ジュガールは何もビジネスに限った話ではない。むしろ日々の生活から企業活動まで、インドならではの特徴をよく表すコンセプトとして捉えられる。そればかりではない。自分の直観に従うすべとして、誰もが身につけるべき工夫でもある。正解至上主義に陥ってしまった日本社会に、今、最も足りなくなってしまった発想だ。
“手作りの車”がジュガールの起源
実は、ジュガール(Jugaad 「ジュガード」というカナ表記もあるが末尾は「ル」が正しい)という言葉が用いられるようになったのは、そう遠い昔ではない。
語源は何か。インド北部パンジャーブ州で、寄せ集めの部品で作った荷台付きの四輪車が「ジュガール」と呼ばれたのが起源との見方が有力だ(別の名称も他の地方にある)。
フロント部分は、一度は廃車になったであろう軽トラックかSUVタイプの車のものを用いているが、フロントガラスやルーフなど覆うものはない。面白いのは動力で、農業の灌漑用ポンプをエンジンとして代用していることだ。スピードは時速50〜60kmがせいぜいだが、大型だと10人以上荷台に乗せることができるという。まさに手作りの車だ。
新車はもちろん、中古車でもそう簡単に完成車が入手できるわけではない農村ならではの発想と言えるだろう。現代を生きるための工夫である。
もちろんこうした発想はもともとインド各地に以前からあったはずで、時間が経つにつれて、それをジュガールという言葉で総称するようになったと考えられる。
私服のテクニシャンが現れた…
筆者自身もジュガールに直面した経験がある。デリーに住んでいたときのことだ。インド都市部では、水回りはやや複雑な経路をとる。公共の水道管から建物の地下タンクに決まった時間に給水が行われ、それを今度は屋上にある各世帯のタンクにモーターで吸い上げ、それを蛇口やシャワー等で利用するという具合だ。
ある日、蛇口をひねっても水がまったく出ないことがあった。水が使えなくてはたまらないので、家主に相談すると、「テクニシャン」を家に向かわせるという。数時間後、簡単な工具が入ったカバンを携えただけの私服のインド人男性が現れた。
点検した彼いわく、「屋上タンク内の浮球の部品が壊れている」とのことだったが、替えの部品を用意してきたわけではないという。水が使えるのはいったいいつのことやら――そう暗い気持ちになりかけた矢先、彼は何やらワイヤーのようなものを使って問題の部分をいじりはじめた。ほどなくして給水が始まり、事なきを得たのだった。
「電気を使わない冷蔵庫」の誕生
これぞジュガール、という例をいくつか紹介しよう。
まずは何と言っても電気を使わない冷蔵庫、「ミティクール」だ。
ミティクールは、インド西部グジャラート州の農村在住陶芸職人、マンスクバイ・プラジャパティという男性によって2005年に開発された。堂々たる21世紀の産物である。
粘土を使った筐体で、上には注水口が付いている。そこから水が箱の中に浸透していくのだが、その水が蒸発する際に庫内の熱を吸収することで冷却できるというメカニズムだという。これで野菜なら5日間は鮮度を保つことができるというから驚きだ。
電気が当たり前にあることを前提に考えたら、このような手作りの冷蔵庫という発想はまずなかっただろう。だが、インドでは電化されていない農村も少なくない。都市部でも、減ってきたとはいえ停電もまだまだある。まさに「リソースがない」という不利な状況でも諦めずに、いやむしろそうした状況だからこそ生まれたのがミティクールだと言える。その後「ミティクール」ブランドはフライパンや鍋、水用のボトルなど、粘土を使った調理用品を多数開発している。
「自作生理用ナプキン」の成功
次のケースもかなり独創的だ。
インド南部タミル・ナードゥ州コインバトールに住むアルナーチャラム・ムルガナンタムという男性は、1990年代末に妻が生理の経血処理にぼろ布や新聞紙を使っていることを知り、ショックを受ける。当時のインドにも生理用ナプキンはあるにはあったが外国製で、とても常用できる値段ではなかったのだ。
ならばと彼が始めたのは、ナプキンを自作することだった。コットンで作った試作品は不評で、生理について男性が語ること自体がタブー視されていたこともあり、妻はじめ家族からもモニター役を拒まれてしまう。
それでも彼は諦めず、既製品に用いられているセルロースが、松の皮に含まれる繊維から抽出できることを突き止めた。さらにセルロース製造のための安価な機械の開発に成功したことで、品質的にも価格的にも納得のいくナプキン製造を軌道に乗せたのだった。この物語は『パッドマン』というタイトルで2018年に映画化され、人気俳優のアクシャイ・クマールが主演したこともあり大ヒットした(日本公開もされた)。愛妻家の工夫が世界のサクセスストーリーとなったのだ。
宇宙開発にもジュガール魂
身近な製品だけでなく、インドの宇宙開発に貢献したジュガールもある。
これも『ミッション・マンガル』(2019年/日本公開2021年)のタイトルで映画化されたのでご存じの読者もいると思うが、2013年の火星無人探査ミッション「マンガルヤーン」に関わるものだ。予算も人員も資材も限られた中で、“崖っぷちチーム”はどうやって探査機を火星まで送るかという難問に直面する。これは映画内のエピソードなので脚色もあるだろうが、スタッフのひとりが自宅で料理中に油の余熱を活用して揚げ物を作ることから、探査機でも少ない燃料で飛ばすことによって軽量化が実現できるというヒントを得たシーンがあった。生活の知恵が宇宙開発の突破口となったわけだ。
インドの宇宙開発といえば、2023年8月に無人探査機「チャンドラヤーン3」が月面着陸に成功したことも記憶に新しい。旧ソ連、アメリカ、中国に次いで4カ国め、月の南極に着陸したのは世界初という偉業だが、注目すべきは7500万ドルというコストの低さだ。当時、「ハリウッドで宇宙モノの映画を製作するときの費用より安い」とよく言われたものだ。宇宙開発と言えば巨額の予算が当然視されるが、簡素化を追求する「インドらしさ」が発揮されたケースと言えるだろう。
ジュガールの6つの原則
ジュガールが生活だけでなくビジネスの場でも活用されている例をいくつか挙げてきたが、それをグローバルなレベルで知らしめた本がある。
『Jugaad Innovation』というタイトルで、2012年に刊行された。『イノベーションは新興国に学べ!』(日本経済新聞出版社)のタイトルで邦訳が2013年に出ているので、存在を知っている読者もいるだろう。著者はケンブリッジ大学ビジネススクールの教授ら3人のインド人だ。彼らによると、ジュガールには以下の6つの原則があるという。
①逆境を利用する
②少ないものでより多くを実現する
③柔軟に考え、迅速に行動する
④シンプルにする
⑤末端層を取り込む
⑥自分の直観に従う
いかがだろうか。たしかに前節で挙げたケースにも当てはまるところが多いのだが、率直に言うと筆者は若干の物足りなさを感じた。ジュガールの特徴を捉えている反面、「インドらしさ」があまり伝わってこなかったからだ。おそらく一般化することに腐心した結果、ある意味「どこにでもあるメソッド」になってしまったと言えないだろうか。
本質を見いだす弱者の武器
そこで、①〜⑥を踏まえつつ、筆者なりにジュガールをさらに深掘りしてみたい。
ひとつめは、ジュガールは「弱者の武器」という点である。①の「逆境」や、②の「少ないもので」とも重なるが、リソースが限られている状況下ならではの発想という点である。電気が当たり前に使える状況ならミティクールは生まれなかっただろうし、NASA並に潤沢な予算があれば宇宙開発もコストを気にせず大々的にできただろう。インドが貧しかったときだからこその産物とは言えないだろうか。
ジュガールのもうひとつの特徴は、「物事を形式でなく本質で捉える」という点である。ジュガールの語源となった寄せ集めの部品から作った車であれば、「SUVのフロント部分」ではなく「自動車の前面に使える部分」であり、動力も元が灌漑用であれ何であれ、ポイントは「動かすこと」ができるかどうか、ということになる。③でも「柔軟性」が挙げられているが、深い洞察力や先入観に囚われず本質を見抜く力ゆえのものにちがいない。
こうして見るとジュガールは良いことずくめのようだが、実はそうとも言えない。「ありあわせのものから作る」という特徴によく表れているように、「その場しのぎ」という側面があることは否めない。
別の言い方をすると、最初から100点満点を狙う手法ではない。60点、場合によってはもっと低いかもしれないが、新品でなければだめ、交換品が入手できないからと諦めずに、0点を回避するための人知ということだ。
いわば人生60点主義から生まれるグラデーションの豊かな発想だ。だからこそ、インド人は「びっくりしない」。まずは目の前の問題をクリアすることに集中する。状況は不変ではないことを知っているがゆえに、その場その場で解決策を導き出せば良いという発想なのだ。