※本稿は、柯隆『中国不動産バブル』(文春新書)の一部を再編集したものです。
北京市内の団地は介護難民になった独居老人ばかり
中国が世界一の人口大国とされていたのはすでに過去のことだ。今や、世界一の人口大国はインドになっている。中国にとって一番深刻なのは人口の減少ではない。急速に進む高齢化が、深刻な社会問題になりつつあるのだ。
約10年前、筆者は中国の介護制度を調査するために、北京のある「社区」(コミュニティ)を見学させてもらった。北京市内の古い団地だが、いわゆる独居老人が多く、子供はみんな独立しているといわれた。公的な介護保険が整備されていない中国で、独居老人の多くは介護難民になっている。
「一人っ子政策」を進める計画出産委員会が撤回を遅らせた
高齢化問題と少子化問題は、コインの表と裏の関係にある。中国の人口が減少したのは出生率が急速に低下しているからである。その一番の原因は、約40年間も続いた一人っ子政策の解除が遅れたことだ。中国政府は「計画出産委員会」を設立し、長年にわたり一人っ子政策の実施を徹底してきた。実は、一人っ子政策の解除に抵抗していたのは、まさにこの「計画出産委員会」だった。委員会は全国組織で約650万人の職員がいるが、一人っ子政策が撤廃されたらこれらの職員は失業してしまう、という本末転倒の主張がされていたのだった。仮に2010年ごろに一人っ子政策が撤廃されていれば、人口の減少をもう少し緩やかにできた可能性があった。
出生率を押し下げるもう一つの要因は、子育てのコストが年々高くなっていることである。中国社会、とりわけ都市部では、子供の教育熱が高く、小学校に入る前からピアノなどの習い事をさせたりするのは一般的になっている。小学校に入ってからは下校後、進学塾に通う子供が多い。名門小中学校のエリアのマンションやアパートは「学区房」と呼ばれ、普通の物件よりも数倍以上高くなっている。親にとって子育てコストは想像以上の経済的負担になっていて、結果的に子供を産まない若者は増えている。
不動産バブルで「マイホームがないと結婚できない」状況に
さらに出生率の低下に拍車をかけたのが、不動産価格の高騰、すなわち、不動産バブルである。中国の若者は結婚の条件としてマイホームの購入を挙げる。まるでマイホームすら購入できない人は結婚する資格などないといわんばかりである。むろん、今の20代や30代には、マイホームを買うほどの経済力はほとんどない。中国では、一般的にマイホームを購入する際に住宅ローンを借りるが、頭金は購入代金の30%となっている。
2023年8月に20%に引き下げられたが、それでも多くの人は頭金を用意することができず、親の支援を受けて頭金を払う。親は我が子が結婚できないのを見て見ぬふりをすることができなくて、老後の資金の一部ないし全部を我が子に渡す。代わりに、自分の老後は我が子に面倒をみてもらおうと夢を見る。
しかし、我が子を支援する経済力のある親はまだいいほうだが、経済力のない親も少なくない。その子供はマイホームを買うことができないので、結婚を断念せざるを得ない。こうして結婚したくても結婚できない若者が増えていき、出生率はさらに低下してしまっているとみられている。
中国経済の高成長は長らく、若くて教育された豊富な労働力、すなわち人口ボーナスによって支えられてきた。ところが2013年3月の習近平政権誕生以降、その人口ボーナスがオーナスとなっている。李克強前首相は都市化ボーナスに期待を寄せていたが、都市化が中国経済を牽引する力は思ったよりも強くなかった。
大都市の不動産価格は下がったが、若者はそれでも買えない
現実問題として、出生率が低下し、人口動態の少子高齢化が急速に進んでいることから、中国経済はこれから需要不足に直面することになる。不動産需要もなかなか上向きにならない可能性が高い。中国国内の専門家のコンセンサスでは、約2000万戸が供給過剰になっているとされる。この数字は現実味のあるものと思われる。
出生率が低下するなかで、当面は在庫の物件を値下げして売るしかなく、新規の開発プロジェクトへの着手は難しいと思われる。北京や上海などの大都市を中心に、中古物件を含めて不動産の価格はすでに3割下落したといわれている。若者の失業率は高止まりしており、また失業していなくても、賃下げが実施されているため、不動産の買い控えが目立つ。中国の不動産市場は需要不足が長期化する可能性があり、サプライサイドの調整も必要であると考えられている。
このような状況下で、中国の若者たちは大きな絶望に直面している。
中国ではなぜ賃貸マンションが敬遠されるのか
日本では、若者は大学を卒業して就職したら、自宅から通う人は別として、多くの人は賃貸のアパートを借りて住む。日本の賃金体系は今でも年功序列であるため、ある程度年数が経って給料が徐々に上がれば、結婚に向けてマンションを買う人が多い。なかには、結婚してからも賃貸マンションやアパートに住む人も少なくない。
賃貸で家を借りるメリットには気楽さがあるだろう。とくに財産形成を考えないのであれば、気楽に生活したい人にとって賃貸で家を借りるのは決して悪い選択ではない。また、低所得層の人々は家賃の安い公営住宅に申し込むこともできる。日本では、各々の所得層の多様化した需要に応える形で住宅の供給も多様化しているのだ。
中国の低所得者は住む家がなく、一部はスラム街化
それに対して、中国では不動産バブルの崩壊以降も、賃貸に乗り換える人が少なく、公営住宅も整備されていない。低所得層は住む家がなく、大都市の一角がスラム化している。数年前に北京市政府は街の景観をよくするため、「低端人口」(低所得層の人々)を本籍地に強制送還する措置を講じた。当時の北京市長は習政権常務委員の一人である蔡奇だ。
都市部にスラム街が出現すると、治安が悪くなるのは確かだが、だからといって住民を本籍地に強制送還するやり方は、明らかに乱暴すぎるといわざるを得ない。北京市の経済力であれば、日本の公営住宅のような住宅を整備して、抽選で入居者を受け入れることができるはずである。これらの「低端人口」と呼ばれる低所得層の人々は、大体が市内で飲食や宅配などのサービス業に従事していた。彼らが本籍地に強制送還されてから、北京市民の生活に支障が出るようになったと報道されている。
中国の都市部では公営住宅が整備されていないだけでなく、民間の賃貸マーケットも大きく育っていない。賃貸マーケットが育つには、貸すほうと借りるほうがいずれも契約をきちんと守らなければならない。しかし中国では、法律の整備は進んでいるものの、法の執行がきちんと行われていない。契約を一方的に破棄しても罪に問われないため、賃貸契約の文化が根付かないのだ。トラブルになって自分だけが損をすることを恐れ、部屋を貸そうとする人も借りようとする人もなかなか現れない。
「資産形成ができないから」賃貸は避け、マイホームを買う
中国人が賃貸を忌避するもう一つの理由は、資産形成ができないということである。仮に10年間、賃貸で家を借りた場合、せっせと毎月家賃を払っても、退去時には手元になんの財産も残らない。中国人は日本人に比べて財産形成に関心が高く、さらにマイホームはステータスシンボルであるため、なんとか家を購入しようとする。ただし、ビジネスを行う人、とりわけ、店を経営する人たちは例外である。彼らはたいてい不動産を買わずに、賃貸で店舗を借りる。ビジネスは失敗のリスクもあり、家賃は店の経費として計上できるからであろう。
総じていえば、中国人は自分が住む家としてマイホームを買う志向が強い。人口の多い国であるため、みんながいっせいにマイホームを購入しようとして、不動産ブームが一気に巻き起こった。実需と潜在需要を考えて、投資家も中国の不動産市況を楽観的に見通すようになった。
不動産バブルで中国の経済格差はさらに広がった
一方で、経済発展とともに、所得格差は急速に拡大した。富裕層はマイホームを所有するだけではなく、投資目的で2戸目、3戸目の物件を買っていった。不動産ブームが過熱しすぎたため、中国政府は銀行に通達を出して、2戸目以上の物件を購入する個人に対して、頭金を引き上げたり、住宅ローンの金利優遇を引き下げたり、さまざまな措置を講じるよう命じた。ただ、もっとも重要な固定資産税はいまだに導入していない。
富裕層は投資目的で2戸目や3戸目の物件を購入するが、ほとんどの人はその物件を賃貸に出すことはない。物件の値上がりを待って転売し、キャピタルゲインを狙うのだ。一般的にマイホームの購入は実需であり、不動産バブルにはなりにくい。投資と投機が盛んになることで、バブルは大きく膨らむようになるのだ。
日本も中国も貯蓄率の高い国であるが、両者には異なる面がある。日本人はお金をためても、無理にリターンを求めず、多くの人は金利がゼロでもせっせと銀行に預金する。それに対して、中国人はリターンを求める傾向が強い。個人の金融資産は直接的ないし間接的に不動産市場に流れていき、不動産バブルを拡大させたといえる。