※本稿は、龍たまこ・中川瑛『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
事態はどんどん悪化していった
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パワハラとDVの関係
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加害者は本当に変わるのか
よく、加害者は本当に変わるのか、特に離婚が決まった場合には、モチベーションも続かず、変わるのは難しいのではないかと聞かれることがあります。
僕が運営する、「変わりたい」と願うモラハラ・DV加害者のための当事者団体GADHA(ガドハ)は「パートナーとの関係を取り戻す」ことを目的としていません。それは人の意思を変えることを意図していて、他者を道具として扱うことです。
GADHAではパートナーシップに限らず「自他共に、持続可能な形で、美徳を発揮して、ケアしあえる関係を作ることができる人」になることが目的です。
とはいえ、多くの場合は別居や離婚の危機を背景にGADHAに参加される方がほとんどです。そのため、「パートナーとの関係を修復したい」という動機から参加を決めるのは自然なことです。
実際、離婚調停の結果が振るわず、プログラムを途中でやめてしまう方もいます。関係性が改善されず、GADHAの活動に参加しなくなる人もたくさんいます。
しかし、離婚の危機をきっかけに、自分がいかに相手を傷つけていたのかを理解し、深く反省し、それをどう変えていけるのかを考える人たちもいます。
もちろん、その過程で離婚が決まってしまう人もいます。被害者からすれば、「今更、遅すぎる」「執着されていて怖い」と感じるのは当然です。
変容を信じないこと、加害者を許さないことは、決して誰にも非難できません。
加害者は何のために変わるのか
GADHAで学びを深めていくと、とても大切なことに気づきます。それは、「加害者変容とは結局のところ、加害者自身の幸福のためにするのだ」ということです。これは、被害者の方からしたら認め難いことかもしれませんが、僕はそうだと思います。
誰も、誰かのために生きてはいけない。そして、誰も誰かを道具として使ってはいけない。これが、加害者変容では鍵になります。
この考えを徹底すると「被害者のために変わる」が危険だと理解できます。その考え方は、自分自身を道具や手段として見ています。ただ立場を入れ替えただけで、加害的な思考の枠組み自体は残ってしまっているのです。更には「こんなに頑張っているのになぜ許さないのか」と怒りが湧いてくる危険性さえあります。
つまり「被害者に許されるために加害者変容をしようとする人」は、それをもって、加害者変容ができないのです。そういう人は、離婚が決まったら努力をやめてしまいます。
そうすると「相手との相性が悪かった」とか「お互い様だ」とか、なんなら「相手の方が悪かった、相手の方が加害者だ」と思う方が楽です。それで離婚して次の人と関係を持っても、うまくいくことは少ないでしょう。GADHAには、1度目の離婚では学べず、2度目の離婚の危機に直面してようやく問題を自覚できたという人もたくさん参加します。
許されないとしても自分にできることをする
誰かのせいにし続けたり、相性のせいにし続けることは、よく言われる「いつか白馬の王子様が現れる」というマインドに似ています。
お互いの意見をすり合わせること、時には折れて相手を尊重すること、お互いに「ほどほど」を見つけることなどの能力を身につける機会を失っています。
許されないとしても、自分にできることをする、自分も周りも生きやすくできるような人間になろうとすることが加害者変容の本質です。そして、それによって幸せになることが可能だと思います。
自分自身のために変容の努力をする
自分は加害をやめる。そしてケアを始めてみる。それでもどうしてもケアが返ってこないなら関係を終了してもいいのです。実際GADHAには、自分の変容を経て、相手との関係を望まなくなった加害者もいます。それはそれで、いいのです。結局、自分を大切にすることができる関係以外は、終了していいのです。
「どんな理由があっても、自分がやったことは加害であり、自分は加害者である」ということを認めた上で「それでも学び変わって、償うことを通じて幸福になっていい」と思えた時、初めて加害者は変わっていけます。そういう人は、たとえ離婚が決まったとしても、変容の努力を続けていくはずです。それは誰のためでもなく、自分自身のためだからです。
最後に、被害者は加害者のことを許す必要はなく、変容を支援する義務も責任もなく、そして、それでも幸せになれるということを付言させてください。