相手に対して自分の立場が上であることを誇示する「マウンティング」から逃れるのは難しい。マウンティングを研究しているマウンティングポリスさんは「人間の行動の大半はマウンティング欲求によって支配されており、マウンティングから完全に逃れることはほとんど不可能。だとしたら、マウンティングを一方的に否定するのではなく、現代社会を生き抜くうえで必須の教養だと考えるほうが得策なのではないか」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、マウンティングポリス『人生が整うマウンティング大全』(技術評論社)の一部を再編集したものです。

東京大学
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「マウンティング」からは逃れられない

「マウンティング」という言葉を耳にする機会が増えている。マウンティングとは「マウント」とも略称され、相手に対して自身が優位な立場であることを誇示する意味合いで用いられる言葉だ。「マウンティングおじさん」「タワマンマウンティング」「駐妻マウンティング」……このような具合で複合語として用いられるケースも最近では増えてきた。

SNSなどの一般化によって、個人からさまざまな情報が発信されるようになった結果、私たちはほかの人がどんな人生を送っているのかをリアルタイムで知ることができるようになった。しかし、それによって弊害も生まれてきている。

自身の充実した生活をSNS上でアピールする「マウンティング合戦」が絶え間なく繰り広げられ、マウンティングによって精神を疲弊させる「マウンティング疲れ」が増加した結果、深刻な社会問題となりつつあるのだ。

自分らしく満ち足りた人生を送るうえで、不毛なマウンティング競争はできる限り回避すべきである。一方で、人間の行動の大半はマウンティング欲求によって支配されており、マウンティングから完全に逃れることはほとんど不可能である。

だとしたら、マウンティングを一方的に否定するのではなく、「マウンティングは現代社会を生き抜くうえで必須の教養である」と肯定的に捉え、マウンティングを人生を切り拓くためのツールと考えるほうが得策なのではないだろうか。

人生はマウンティングで攻略できる

私はビジネスパーソンとして日々の実務に取り組む中で、人間社会におけるマウンティングの重要性に気づいて以来、我が国における「マウンティングリテラシー」の向上に努めるべく、マウンティング研究家として発信活動に取り組んできた。

自分らしく豊かな人生を送るうえで大切なことは、人間自身に内在するマウンティング欲求を理解し、それをうまく味方につけることだ。

マウンティングとの正しい付き合い方を知らなければ、人生は地獄になる。

逆に、「マウンティングリテラシー」を高め、マウンティングを適切に活用することによって、人生は天国にもなりうる。

人生は、マウンティングで攻略できるのだ。

本書では、「マウンティング地獄」から脱出し、「マウントフルネス」を謳歌おうかするためのノウハウを余すところなくお伝えしていきたい。

学歴を使ったマウンティング「学歴マウント」

ここからは、直近5年間のマウント事例を独自の方法で収集・分析し、頻出パターンを分類した5つのカテゴリーの中から、「学歴マウント」の一部をご紹介する。

自分が高学歴であることを自慢したり、反対に相手の学歴が低いことをけなしたりする行為を「学歴マウント」と呼ぶ。一般的に、学歴マウントの材料としては出身大学が用いられることが多いが、一部の名門高校出身者の場合、出身高校がマウントの材料となる場合がある。また、出身校ではなく、博士号の有無で学歴の上下を区別しようとするケースも見られる。

「私は学歴を気にしない」「学歴主義は好きではない」と強調する人がいるが、そういう人ほどじつは学歴を気にしていて、自分の子どもの学歴にこだわる傾向があったり、当の本人もかなりの高学歴だったりする。

仕方なく東大マウント

「もともと音大志望でしたが、親に言われて仕方なく東大を受験することにしたんです」
➡東大に合格する能力を持っているだけでなく、芸術などの分野においても優れた才能を持っていることをアピールする
「京大インド哲学科が第一志望だったのですが、担任に脅迫されて、仕方なしに東大文一へ入学することになりました」
➡周囲の期待から自分が本当に興味があった分野への進学を断念せざるをえず、仕方なく東大進学を決めたことを一方的に語る
「ハーバードかイェールに行くつもりだったのですが、親の介護のこともあったので、仕方なく東大進学を選びました」
➡海外の名門大学への進学が実力的に可能だったことを示し、自分にとって東大は唯一の選択肢ではなかったことを強調する
東大生の中でのマウントの取り合い

東大受験生の中でも最上位層の学生にとっては、合格すること自体はあたりまえであり、「いかにたいした対策もせずに合格したか」を示すことが重要となる場合がある。ガリ勉して東大に合格したところで周囲からそれほどリスペクトされず、「高3夏から受験勉強を始めて現役で東大合格」などのスタイルがマウントの文脈では最も望ましいとされる。

東大出身の起業家がメディアのインタビューなどで「学生時代はバンド活動に明け暮れた」「受験勉強は基本的にしたことがない。そもそも高3の秋までE判定だった」と述べたがることにも、同様の背景があるのではないかと思われる。

海外名門大学進学のトレンド

ここ数年、東大を飛び越えていきなりハーバードやイェール、スタンフォードといった海外の名門大学に進学するトレンドが、開成や灘といった超進学校の生徒を中心に生まれつつある。「学費の観点から東大ではなくハーバードを選ぶしか選択肢がなかった」といった新たなマウントのパターンも生まれてきており、注目すべき動きと言えるだろう。

ちなみに、学力的に東大に届かず東大を目指すことを断念した親には、自分の子どもを使った「リベンジ狙い」目的で、海外の名門大学に進学させるために英語教育に躍起になる傾向があると言われている。

大学ではなく高校を強調する「名門高校出身マウント」

「灘で同級生だった○○君は本当に凄かった。彼のおかげで数学者の道を潔く諦めることができました」
➡同級生の優秀な人物を引き合いに出すことで、自分が彼らと肩を並べるレベルの集団に属していたことをほのめかす
「高校では高3の夏までバカばっかやってました。それでも現役で東大に入れたことは、開成の七不思議と言われています」
➡高校時代に勉強していなかったことを強調しつつ、それでも東大に現役合格した実績をさりげなく見せつける
「先日、高校時代の友人たちと飲み会があったのですが、皆それぞれの道で活躍していて、刺激になりました。筑駒出身者って、本当にいろいろな分野で優れた人材が育っているんですよね」
➡名門高校の同窓生を誇りに思っていると語ることで、優れた集団の中で教育を受けてきたことを一方的にアピールする
高校の偏差値レベルが問われる

学歴と言えば大学や大学院などの最終学歴を指すことが多いものだが、超上位層になると、高校の偏差値レベルがより重要になることがある。そのため、東大よりも難易度が高いとされる開成や筑駒、灘、麻布などの卒業生の一部は、しきりに自分たちが名門高校の出身であることを会話の中に忍ばせる傾向がある。

「母校の開成高校で授業をさせていただきました。みなさん真剣に聞いてくれて、質問もたくさんしてくれたので、とてもうれしかったです」
「灘の同級生で東大理三に行ったみんなは本当に賢かった。理三に行った全員がコンピューターサイエンスに進んでいたら、日本の失われた30年はなかったのではと思う」

本人だけでなく親もマウント

これらの名門高校のブランドを使ってマウントを取りたがるのは、本人だけではない。親としても、偏差値の高い大学に子どもが合格したことを示すことで、「自分の子どもの知能レベルが高いこと」「自分の教育方針が優れていること」を周囲に対して見せつけることができる。要は、自分が叶わなかった夢を子どもに託しているわけだ。

なぜ、港区の専業主婦や高卒の叩き上げ系経営者の一部が子どもの中学受験に夢中になるのか──それは、純粋に子供の将来のためではなく「子どもを使ってマウントを取りたい」という欲求が少なからず含まれているのだ。

大学の偏差値が高校の偏差値を大きく下回る経歴の持ち主の一部は、「出身大学」ではなく「出身高校」を自らのアイデンティティの拠り所とする傾向がある。実際、「開成→早稲田」の人物は「開成卒」であることを強調し、「筑駒→鳥取大(医学部)」の人物は「筑駒卒」をアピールしようとする場合がある。彼らと接する際には、できるだけ高校時代のエピソードを聞くように心がけることで、良好な人間関係を構築することができるだろう。

卒業のイメージ
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東大を否定し自身の優位性を見せつける「東大卒否定マウント」

「東大卒とこれまでに何度も仕事をしたことがありますが、心の底から頭が良いと思える人はほとんどいなかったですね」
➡世間では優秀とされる東大出身者を「頭が良いと思えない」と否定することで、自分の優秀さをさりげなく見せつける
「これまでに何人も東大卒を雇って来たけれど、99%は使えなかった。というか、普通の人。学歴は関係ないよホント」
➡多くの経営者が採用したがる東大出身者のことを「99%は使えない」と否定しつつ、東大出身者を数多く採用してきたことを誇る
「東大出身の友達がいるんだけど、職場でけっこう苦労してて、しんどそう。学歴だけじゃ成功しないんだなって感じるよ」
➡自身の交友関係の広さを自慢しつつ、東大卒社員が仕事で苦労している様子に同情するフリをしながら、自身の優位性を見せつける
学歴コンプレックスの裏返し

東大に入りたかったけれど入れなかった「学歴コンプレックス」を抱えた一部の中高年男性がやりがちなマウント。彼らは「東大卒は大したことがない」「東大卒でも能力が高いとは限らない」といった持論を展開するケースが見られるが、これは因果関係が逆で、「大したことない東大卒だからその人物の近くで働いている」と考えたほうが自然であるとの意見がある。

一方で、彼らの中には「東大の○○くん、ゴールドマン・サックスとうちのインターンで迷った結果、うちに来てくれたんだよね」「外資金融の内定を蹴ってこんな零細企業に来てくれるなんて、コシが違うよね」などと語り、東大生が自社に興味を持ってくれたことに対してこの上ない喜びを感じてしまうケースも見られる。

受験システムを批判してマウント

大学受験で東大に合格できず、大学院から海外名門大学に進学した人の中には、東大を頂点とする日本の受験システムに批判的な意見をぶつけたがる人物が存在する。

一方で、彼らの中には、「東大生は世界水準ですよ。ハーバードで長らく研究していた私はそう思います」などと語り、東大生を評価していることを強調したがるケースも一部見られる。

海外の名門大学で優位に立つ「海外留学マウント」

「コンサルタントとして思うようなパフォーマンスが発揮できず、逃げるようにしてハーバード留学を決めました」
➡海外に留学した経験を「逃げた」と自虐的に語ることによって、名門大学に進学した自分の輝かしいキャリアを見せつける
「スタンフォード時代の友人と久しぶりに話をしたんですが、自分にとってMBA取得は本当に貴重な経験でした」
➡MBA留学時代の友人と久しぶりに会ったことをSNSで報告し、海外留学を通じて知り得た人脈の大切さをうれしそうに誇る
「ハーバード時代、現地の習慣に慣れるのに時間がかかったけど、それが自分の適応力を鍛えるきっかけになりました」
➡海外留学のメリットをしきりに語ることで、自身が海外の名門大学出身であることをさりげなくアピールする
リベンジ留学の場合も
マウンティングポリス『人生が整うマウンティング大全』(技術評論社)
マウンティングポリス『人生が整うマウンティング大全』(技術評論社)

海外の名門大学に留学し、その経験を上から目線で自慢する行為を「海外留学マウント」と呼ぶ。留学先としては、ハーバードやイェール、オックスフォード、ケンブリッジといった欧米のトップスクールが好んで用いられることが多い。

「海外留学マウント」を展開する人の一部は、短期留学しただけにもかかわらず、フェイスブックの出身大学欄に「University of ○○」などと記載し、留学先の大学をアピールする傾向がある。また、留学の目的として「自分自身を見つめ直す」「世界を変える」といった立派な内容を掲げることが多いが、実際は大学受験で志望大学に合格できずに学歴コンプレックスを抱えた人による「リベンジ目的」の留学であるケースも少なくないという指摘がある。

「読書マウント」「奥さんマウント」との親和性

「海外留学マウント」は「読書マウント」と相性が良く、「大学の図書館では本を1人3冊までしか借りられなかったけれど、ハーバードの図書館では1人100冊まで借りられるから、その分、読書量が格段に増えました」などと組み合わされて用いられることが多い。

「奥さんマウント」とも相性が良く、「MBA留学の是非がよく議論されますが、僕の場合、留学中に今の奥さんと出会うことができたので、役に立つ・役に立たないとかそういう次元の話ではないんですよね」などという形で用いられるケースもある。

ここ数年、海外留学の費用は高騰の一途をたどっており、留学中の貧乏生活を自虐気味にアピールするケースが見られる。一方で、「私の場合は奨学金をいただいているので、まだマシですが」などと述べ、自身の優秀さを垣間見せようとするケースも見られる。