ドラマ「ふてほど」のセクハラ基準や性表現にツッコミ噴出
通称「ふてほど」こと金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系)は可燃性の高いドラマだ。脚本はかつて朝ドラ「あまちゃん」や大河ドラマも務めた宮藤官九郎。日本を代表する脚本家の一人であり、SNSでは「さすがクドカン」「やっぱり面白い」と称賛する声も多い。
しかし、第3話(2月9日)ではセクハラガイドラインが時代遅れだと話題になり、第4話(2月16日)放送後には、批評家の鈴木みのりさん、インティマシーコーディネーターの浅田智穂さんや西山ももこさん、ハリウッド俳優の松崎悠希さん、お笑い芸人のせやろがいおじさんといった識者らから、SNS上でこれは「笑いにできない不適切さ」なのでは? との疑問も呈された。
この回はインティマシーコーディネーター(以下、IC)という、まだ日本ではなじみの薄い職業がサブテーマ。ICはドラマや映画のセックスやヌードシーンなどの撮影に際し、俳優が嫌な思いをせず演技できるようコーディネートする専門家だ。その役を、いかにも「ハーフ」らしい容姿のトリンドル玲奈に演じさせ、「intimacy coordinator」と英語的発音で発話させるなど、あたかも「舶来物の珍奇な概念」のように印象づけようとする演出が見られた。
女性差別や不正義も「笑って許して」というスタンス
ICは2017年の#MeToo運動で知名度が上がり、ハリウッドではすでに一般的な存在だ。日本ではまだ導入が始まったばかりだが、いずれ、俳優が健全な環境で仕事をするために必須の役割になっていくのではないか。その、まだ普及もしていない大切な概念を「ふてほど」は半ばやゆするスタンスで、雑に紹介したのである。
第5回からは阪神淡路大震災での主人公と娘の死を連想させる描写が入り、「面白くなってきた」「やはりクドカン、人情を描かせると上手い」と感じた視聴者も多かったようだ。確かに会話劇はテンポがよく、秀逸だ。
その一方で、ディスコで黒服が女性の顔に酒をかけて暴言を吐いたり、フェミニズム研究者のサカエが、胸の大きさをからかわれた友人をかばう過去の自分を「PTA」と自嘲したりと、女性蔑視や不正義の受容をなしくずしに認めさせたがるドラマの基本スタンスがますますはっきりした。
第6回では「You、出ちゃいなよ」というセリフが登場。性暴力被害者の半数以上がPTSDの症状で苦しむともいわれる。故・ジャニー喜多川による性加害事件が未解決の現時点で、彼の口癖だった「You、~ちゃいなよ」を無批判に引用し、ギャグとして成り立つのだろうか。
また終盤、主人公の娘に「若いほうばっかひいきして、人の親父、バカにして。謝んなよ、失礼じゃん」といわせる。女子高校生に「おじさん」がいわれたい言葉をいわせる、見事にこのドラマのズルさが凝縮された場面だった。
「セクシー田中さん」を制作した日テレは「詳細な契約書なし」
また、原作者である漫画家・芦原妃名子さんの死という不幸な結末をもたらしたドラマ「セクシー田中さん」の余波も大きい。日本テレビの福田博之専務は、2024年2月26日、「できあがった作品の二次利用などについては契約を結ぶが、ドラマ制作の詳細について契約書は存在しない」と明らかにした。
では、芦原さんが死の直前にSNSにつづっていた、映像化の条件だったという「ドラマ化するなら『必ず漫画に忠実に』。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく」は単なる口約束だったのか?
※朝日新聞デジタル「『セクシー田中さん』原作改変巡る契約書を交わさず 日テレと小学館」
※ビジネスジャーナル「小学館、過去にもドラマ原作改変で問題『漫画家に許諾を取る、が守られない』」
芦原さんが痛切に願った「漫画に忠実に」という約束は、いったい制作体制の中のどこで止められていたのか。芦原さんの実質的な代理人であった小学館の中か? 日本テレビ内か? それとも制作チーム内か? はたまた出版社とテレビ局の間に「なあなあ」にする暗黙の了解があったのか。日本テレビは契約書が存在しなかったとしながらも、「脚本そのものは芦原さんの許諾を得ており問題ない」と主張する。
制作現場には原作者や脚本家をケアする人がいなかったのか
ドラマ9話・10話では脚本家が自身の台本が使われなかったことについてSNSに不満を投稿していた。これを芦原さんご本人が目にしていた可能性も十分にある。これが問題の主要因だというつもりは全くないが、チームでの仕事において、いびつな形で不満が噴出するのは健全ではない。こういった点をケアする人間が制作チームにいなかったことも問題の一つだろう。同局の福田専務は「(ドラマは)枠も増えている。本案件についてコミュニケーション不足、人員不足だったのでは、ということは想像できる」とも話す。
日本テレビは「ドラマ制作部門から独立した社内特別調査チームを設置する」と発表しており、著作権に通じた早稲田祐美子弁護士や、コンテンツ制作の契約法務に詳しい国松崇弁護士を外部から招く予定だ。しかし第三者委員会ではなく社内調査にとどめるこの対応は、不十分なのではという指摘もある。
※日本テレビ プレスリリース「ドラマ『セクシー田中さん』について」
同じ小学館の漫画が原作のドラマ「たーたん」は制作中止に
すでに影響は大きく、日本テレビは4月開始予定だったドラマ「たーたん」の制作中止を決めた。「たーたん」の原作は、「セクシー田中さん」と同じく小学館が発行する西炯子氏のマンガだ。主演はムロツヨシ、そのほかに吉岡里帆、ディーン・フジオカらを迎えた豪華俳優陣が売りで、すでに脚本も完成、あとはクランクインを待つばかりだった。
しかし今回の件を受けて原作と脚本とを付き合わせたところ、改変箇所が見つかり、制作は断念された。出演予定だった吉岡里帆は、自身のインスタグラムで「大事な決定だと思います」と冷静にコメント。「セクシー田中さん」では人命が失われる結果となり、テレビ局にも出版社にも苦情が殺到しているとみられ、現状では制作中止が妥当な判断なのだろう。
日本テレビはあと1カ月余りで、どのような代作を用意するのだろう。どのテレビ局も近年はオリジナルのドラマ脚本を書き下ろすギャンブルを避けて、すでに評価の安定している人気漫画を原作とするケースが多かった。今回の改変問題を重く受け止めて、その流れは変わるのか。今後も漫画原作ドラマをつくっていくのなら、原作者との契約、脚本確認、制作のフローに抜本的な見直しが必要だろう。
※日刊ゲンダイDIGITAL「日テレ 春ドラ『たーたん』制作中止で小学館との“蜜月関係”崩壊へ…尾を引く『セクシー田中さん』問題の深刻度」
うまくいかないのは「人権意識」が足かせになっているから?
問題の続く日本のテレビ、はたしてどこに向かっているのだろう。2024年1月のフジテレビの番組審議会レポートを読むと、うっすらと上層部の考えが透けて見えるようだ。この回のテーマは「テレビと人権」。
「人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなく(……)番組がつまらなく」「テレビが行儀の良いことを目指しすぎる動きの中で、テレビ以外の媒体の方が真実だったり、面白いと思われないか、危険」まるで、人権こそがテレビをつまらなくしている元凶だ、とでもいいたげな意見が並ぶ。
おそらく「テレビ以外の媒体」とはYouTubeやTikTok、有料配信チャンネルを指すのだろう。テレビは公器だからヤンチャができない、自由な他媒体がうらやましい――というような口ぶりだ。だが、本当にそうだろうか?
例えばYouTubeは、Googleの広告料分配のさじ加減ひとつで収入が激減するハイリスクな世界だ。参入障壁も高く、すでに数年前からレッドオーシャンである。動画編集も投資と技術が求められ、楽な商売ではない。
そのYouTuberの中で国内でトップをひた走り続けるのは、小学生から圧倒的な支持を得るHIKAKIN(ヒカキン)だ。彼の大きな特徴のひとつに、問題があればすぐ謝罪するという点が挙げられる。
ヒカキンを始めとするYouTuberの方が危機管理もうまい
それもいわゆる「ご不快な思いをさせたならおわびします」系のエモーショナルな謝罪ではなく、正装をして、即座に、自分で何が過ちだったと考えているのかを言語化して謝る。これこそスキャンダルが報じられても大炎上にまでは至らないヒカキンの強みの源泉だろうとわたしは見ている。
このクリーンさこそ、いまのテレビ局に欠けているものの一つではないか。「セクシー田中さん」事件でも即日、ひとごとのようなコメントを出し、世間の風化を待つ。逃げきれないとみると追加で謝罪文を出す。人命に関わる事態を招いているのに、遅きに失した対応だ。
松本人志の性加害疑惑が報じられた当初も、「ダウンタウンDX」を制作する読売テレビの大橋善光社長は「松本さんと被害に遭われたといわれる女性の方が対決していただけるというのであれば、今すぐにでも私は放送したらいいと思う」とコメントしていた(1月17日)。正真正銘のセカンドレイプ発言だが、ご本人にはその意識がないのだろう。
なんちゃってグローバルの「VIVANT」は海外に通用せず
テレビ局が「他媒体」として意識している有料配信チャンネルの代表格といえば、ネットフリックスだろう。有料会員数は全世界で2億6000万人を誇る。そのアジア・太平洋部門のトップが、世界的ヒット「イカゲーム」や「愛の不時着」などを手がけたキム・ミニョンだ。
彼女は意外にも最初からグローバルヒットを狙うことはしないのだという。「架空のグローバル顧客」向けビジネスはしないというのが信念であり、ローカル戦略を重視。ネットフリックス・ジャパンのテコ入れも、英語ではなく日本語での会話で行った。
※Business Insider「ヒット連発、Netflixアジアの制作トップは韓国人女性。成功の理由は『世界を目指さない』こと」
※日経クロストレンド「イカゲーム手がけたNetflixアジア責任者 『日本は想像力の楽園』」
一方で、昨年話題となった日曜劇場「VIVANT」(TBS系)は海外市場で大失敗したと報じられた。主演は堺雅人、他に阿部寛、二階堂ふみ、松坂桃李、役所広司、二宮和也と錚々たるキャストを迎え、国内での評判は上々。
しかし2023年12月から190以上の国・地域に向けて世界配信を開始するも、鳴かず飛ばずに終わる。海外進出も見越しての「1話あたり制作費が1億円」ともいわれる大型予算ドラマだったが、回収は厳しそうだ。続編の制作は未定だという。
「ハリウッドとかの巨大スケール作品ってこんな感じでしょ」という詰めの甘い世界観、異国の地の描写は曖昧で、当局としのぎを削るような場面もなく、主人公に「日本の公安は世界一、公正」といわせてしまう。上述したネットフリックス・アジア部門のグローカル戦略とは真逆のスタイルだった。
小さな世界を丁寧に描き、高評価の「おっパン」「つくたべ」
テレビ局は、過去のリトレース番組がウケないときに、「ポリコレ」や「コンプラ」を言い訳にするのはもうやめたほうがよい。
新たなトライアルも芽を出し、成功作も出てきている。前回、「不適切にもほどがある!」の記事を書いたところ、SNSで幾人もの方から「ドラマならそれより、おっパンを見てください」「つくたべ、いいですよ」とコメントをいただいた。
おっパンとは「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」(東海テレビ制作、フジテレビ系)、つくたべとは漫画原作の「作りたい女と食べたい女」(NHK)である。全く違う内容のドラマだが、どちらも、異なる他者に対して、真正面からコミュニケーションをとり、自分自身も少しずつ変わっていくという点で、共通する人物像を描いている。
既存の価値観に対する違和感は飲み下し、カラ元気を出していく平成スタイルを肯定するのが「ふてほど」なら、社会からこぼれ落ちてしまいそうな自分の戸惑いを、ゆっくり咀嚼してどう向き合うか考えるのが、令和にフィットする「おっパン」や「つくたべ」なのではないか。
「テレビは勝ち組の集まりだった」というフジテレビ審議会
フジ審議会の議事録には「テレビは勝ち組の集まりだった」ともある。局の上層部にはいまだ輝かしいバブル期の記憶がうっすらと残っているのかもしれない。ただ、そんな気分で生きている人はこの令和の世にはもう少ない。かつての成功体験にしがみついても視聴率は取れない。
コンプラやポリコレを息苦しい足かせと考えるのは強者の論理だ。むしろ、コンプラやポリコレのおかげで「やっと息がしやすくなった」「自分の居場所が少しだけできた」と生きやすくなった人だって大勢いるはずなのだ。そういった、ある意味「まじめ」な感覚に向き合えなければ、テレビはますます世間から「スベってる」「ズレてる」と思われていくのではないか。いまがアップデートのラストチャンスだろう。