本はどのように読めばよいか。多摩大学大学院経営情報学研究科教授の堀内勉さんは「一冊の本の中にもさほど重要ではない部分が存在する。自分がよく知っていることについて記述している部分やさほど重要でない部分は読み飛ばしてしまってもよい」という――。(第4回/全4回)

※本稿は、堀内勉『人生を変える読書 人類三千年の叡智を力に変える』(Gakken)の一部を再編集したものです。

多読を目標にする必要はない

私が普段どのように本を読んでいるのかを、ひとつの参考材料として述べていきます。

まず、私がいろいろな場面で必ず聞かれる質問に、「これまで何冊くらいの本を読んだのですか?」「どうすればたくさん本が読めますか?」「速読法をマスターしているのですか?」というものがあります。

でも、私としては、なぜみなさんがそれほど多読にこだわるのかが理解できないので、いつも「多読すればよいというわけではないですよ」とお答えしています。

これまで申し上げてきたように、読書とはあくまで自分の問題であって、「何冊読まなくてはいけない」とか、「あの人は何冊読んでいるのだろう?」などと、人と比べる必要はまったくないからです。

本を積み上げたイメージ
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読んだ本から何かを得られればよい

これについて思い出すエピソードがあります。

私は小学生のときから本を読むのが好きで、ある夏休みに小学校の図書館へ毎日通って本をたくさん読みました。そして、よくある話ですが、「今日は○冊読んだよ!」と母に自慢したのです。読んだ本の内容が身についたかどうかはさておき、たくさんの本を読んだことを褒めてもらいたかったわけですね。

でも、「いっぱい読んで偉いね」と褒められると思っていたのに、母は意外にクールで、「そんなに読んでどうするの?」と言ったのです。

そのときはがっかりしましたが、いま思えば確かに母の言うとおりです。一冊読めば図書館から丸いスタンプをひとつ押してもらえたので、それが読書をする動機づけになっていたのです。子どもの学習を餌でつるということはよくやられていますが、母が言ったとおり、大切なのは読んだ本の数ではありません。

そうしていまも、「『読書大全』の200冊はすべて読んだのですか?」「私は一生かけても読めそうにありません」などと聞いてくる方がたくさんいます。

でも、私からすれば、全部読まなくてもまったく問題ないのです。というか、なぜそれほど最初の一文字から最後の一文字までをきちんと読んだのかと、そうしたことが話の俎上そじょうに載せられるのかが理解できないのです。自分が読んだ本から何かを得られればよいだけのことであって、何冊読んだとか全部読んだとかいうのは、枝葉末節にすぎません。

これは、SNSで友達が何人いるとか何人と名刺交換したなどと自慢するのに似ています。たんに面識があるだけの人の数を増やすよりも、少数の人との深い関係を構築できたほうが、よほどお互いのためになるはずです。

読書も同様で、読んだ本の数など気にせずに、一冊の本を通して著者と深い対話ができればそれでよいのです。

つまり、私たちは自分がより善く生きるために本を読むのであって、その結果、一冊を繰り返し読んで大切にする人もいれば、何千冊も読破する人もいるだけのことです。

本は読み飛ばしてもよい

一冊の本を「最初から最後まですべて読まなければならない」と思い込んでいる人が多いことにも驚かされます。そのような読書の定義や決まりなど、どこにもありません。

「読み飛ばすと内容や流れがわからなくなる」「読み飛ばしたところに大事なことが書いてあるかもしれない」そう思う人もいるようですが、本というものは最初から最後まで「すべて等しく重要」ということはなく、一冊の本の中にもさほど重要ではない部分が存在します。つまり、同じ本の中にも濃淡の差があるということです。

そもそも重要であるかないかということも、人によって変わってきます。たとえば、すでに自分がよく知っていることについて記述している部分は読み飛ばしてしまっても、その本の理解には影響しないはずです。

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私のノンフィクションの読み方

そこで、ひとつの例として、私のノンフィクションの読み方をご紹介したいと思います。

私の場合、冒頭からいきなり読み出すのではなく、まず、著者の経歴を読む、あるいはネットでくわしく調べることから始めます(この理由は後述)。それから「まえがき(序章)」「あとがき」「目次」の順に読んでいきます。そうすることで、本の内容を大雑把に理解するのです。

「まえがき」には、その本のエッセンスが詰まっており、「目次」も時間をかけてじっと見ていけば、「この人は何を言いたいのか」「どのあたりに結論があるのか」といったことがだいたい理解できます。「あとがき」の長さは本によってまちまちなので、役に立つ場合とそうではない場合がありますが、「あとがき」がくわしく書かれている本の場合には、そこを読んだだけでほぼ全貌がつかめてしまうこともあります。

それから、最近は第三者による「解説」がずいぶんとくわしくなっていて、それを読むと、その本に書いてあること以上に全体を俯瞰ふかんした理解が得られることもあります。また、翻訳書の場合は、「訳者解説」もとても役に立ちます。その本を翻訳した方は、その本を穴が開くほど読んでいるので、内容についての理解度も格段に高いからです。

まずそれらの情報を先に頭に入れてから本文を読み始めるのと、いきなり冒頭から順番に読み始めるのとでは、内容の理解度に大きな差が出ます。

こうした「作業」をざっとすませたうえで、「この本は人類の知の全体像の中のどの部分を語っているのか?」「この本のテーマは何か?」「この本の結論は何か?」のあたりをつけてから読み始めるようにしています。

忙しい毎日の中でどのように本を読むか

なぜ、そのようなことをするのかと言えば、これは先にも述べましたが、「人生の時間には限りがあるから」です。

人生の時間が無限にあるのであれば、一字一句読んでもよいと思いますし、私でもそうするかもしれません(時間が無限にあったら生きる意味自体を失ってしまうかもしれないという哲学的な議論は別にすればですが……)。いずれにしても、そのような読み方をしていると、忙しい毎日の中でなかなか本を読む時間はつくれません。

会話をするとき、私たちは誰でも、自分なりにあたりをつけて話しているはずです。会話のやりとりのすべてを全力で行う人はまずいないでしょう。たいていの場合、人の話というのは半分くらいしか聞いていないものです。それでも、「この人は何を言いたいのか?」のあたりをつけながら情報を取捨選択し、うまくコミュニケーションを成り立たせているのです。ケイト・マーフィの『LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる』(日経BP)で指摘されているように、現代人は「聞く」ことが十分にできていないという問題はあるのですが。

これは、読書は著者との対話だということにも通じますが、本についても「この著者は何を言いたいのか?」のあたりをつけることを意識すると、もっと効率的に読めるようになると思います。

目覚まし時計のイメージ
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Amazonのレビューも活用する

いまの私の読書は、電子書籍でノンフィクションを読むことがほとんどです。小説や詩集などは、装丁や文字のレイアウトの美しさなどがとても重要なので紙の書籍を購入しますが、ノンフィクションについては情報としてとらえているので、気になったものはすぐにAmazonのKindleで購入して読みます。

一冊の本を読んでいるあいだに、その中で引用された別の本が気になったら、それもすぐに購入します。

Amazonのページには出版社による短い解説と作者紹介があるのでそれを読みますし、レビューも大いに活用します。もちろん、レビューにはかなり無責任な内容のものもあって玉石混淆ぎょくせきこんこうですから、注意が必要です。私の『読書大全』についても、「こんな恥ずかしいタイトルをよくつけられたものだ。こんな本は買う気もないし、読もうとも思わない」という星ひとつのレビューがありました。内容を読まないで、タイトルが気に食わないから星ひとつといわれても参考になりません。

でも、トップレビュアーや招待制プログラムAmazon Vineヴァインメンバーのレビューの中にはよく書けているものもたくさんあります。とりわけ、難解な本の場合には、信頼できるレビューを読むことで本の骨格をつかめることもあります。

買った本は自分の心のどこかに必ず残る

そうしてひととおり情報を集めてからおもしろそうだったら購入し、また元の本へ戻るという具合なので、一冊の本を読み終えるまでによけいな時間がかかる場合もあります。

堀内勉『人生を変える読書 人類三千年の叡智を力に変える』(Gakken)
堀内勉『人生を変える読書 人類三千年の叡智を力に変える』(Gakken)

また、興味が惹かれると、そのまま新しく購入した本を読み進めてしまうこともしばしばあります。

そのとき、もともと読んでいた本や、そのほかに途中で購入した本はどうするのかというと、しばらく放っておきます。そうして、あとで思い出して手に取ることもあるのですが、そもそも「どうしてこの本を買ったのだろうか?」と思い出せないこともあったりします。

ただ、それらの本は結局のところ、自分が関心を持って買ったものなので、自分の心のどこかに必ず残っています。そして時間が経つにつれて、その本を読まなくても、興味関心が自分の中でだんだんと熟成されていくことになるのです。