※本稿は、青山誠『笠置シヅ子 昭和の日本を彩った「ブギの女王」一代記』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
シヅ子のタイプは上品で育ちが良さそうな貴公子
それは昭和18年(1943)6月28日のことだった。名古屋へ地方巡業にでかけたシズ子は、親交のある新国劇の辰巳柳太郎が同市内で公演していることを知る。挨拶をしようと彼の楽屋を訪れ、そこで偶然に出会った男性と恋に落ちてしまう。
シズ子が楽屋に案内された時、辰巳はファンの芸妓衆に囲まれて楽しそうにしていた。狭い室内は足の踏み場もない状況。あまり長居しては迷惑になりそうなので、挨拶だけすませて帰ることにした。楽屋入口の暖簾に手をかけた時、外の廊下を所在なげにウロついている青年の後ろ姿が目に入る。辰巳を訪ねて来たようだが、女性だらけの楽屋に入ることを躊躇していたのだろう。
青年に声をかけて、中に入るよう促そうとしたのだが……振り返った彼の顔を見て衝撃がはしる。声をだせずに、立ち尽くしてしまった。
眉目秀麗でアメリカの映画俳優のジェームズ・スチュアートに似た雰囲気。と、いうのがシズ子の青年の第一印象だった。上品で育ちが良さそうな貴公子タイプは、ストライクゾーンのど真ん中。彼女は大阪の松竹楽劇部時代に恋焦がれた男性がいたのだが、それも名家出身のイケメンだったという。
相手もシズ子に気がついたようで、チラリとこちらに視線を向けてきた。視線があわさってドキドキと胸が高鳴る。お互い黙ったまま会話することなく、しばらくすると青年は楽屋に入ることを諦めて立ち去った。それはほんの一瞬の時間だったと思うのだが、残像が目の奥に焼きついて消えない。
眉目秀麗な美男子・吉本穎右はシヅ子のファンだった
あのときのシーンを思いだせば、ウキウキときめいて踊りたくなるような気分、ステージでは忘れていた感覚を思いだす。
それから数日後、シズ子が舞台を終えて楽屋に戻ると、吉本興業の名古屋会計主任が彼女に面会を求めて訪ねてきた。吉本興業は戦前からすでに松竹や東宝とならぶ大手資本だが、興行は落語や漫才に特化されている。彼とは挨拶する程度の顔見知りではあるものの、お笑いの世界とは畑違いの彼女とは仕事で関係することはなかった。
それが何の用事でわざわざ楽屋まで訪ねて来るのか? 不思議に思ったのだが、とりあえず話を聞こうと楽屋に案内させる。と、心にまた衝撃が走った。彼に伴われて昨日の青年が入ってきたのである。
「じつは、ぼんに頼まれて来ましたんや。ぼんは笠置はんのファンだんねん」
彼はそう言って青年を紹介する。青年の名前は吉本穎右。吉本興業の総帥である吉本せいの一人息子だった。
早稲田の学生だった穎右はシヅ子より9歳下だった
いかにも御曹司らしく、穎右は仕立ての良い高級な背広をお洒落に着こなしていた。
が、帽子を取って挨拶すると、その服装には似合わぬ坊主頭。早稲田大学の学生だという。当時の大学生は坊主頭が大半だった。6月に政府が学徒動員に関する決定をした関係で大学の夏休みが早まり、大阪に帰省する道中で名古屋に立ち寄り遊んでいたと言う。
あのときは気がつかなかったのだが、よくよく見れば、その顔には少年っぽいところが残っている。
29歳のシズ子とは9歳の年齢差があった。それに気がつくと、ときめいて浮かれていたことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
当時のカップルや夫婦は、女性が年上というのはかなり稀。10歳近い年の差ともなれば、恋愛関係が成立することはまずありえない。相手の年齢を知って冷静になれた。
緊張がほぐれ心に余裕ができてくると、
「じつは数日前にもお会いしてましてん。知ってまっか?」
いつもの調子で軽口が叩たたけるようになる。
「知ってますよ。辰巳さんの楽屋ですよね。会釈したんですけど、なんや知らん顔してはりましたね」
「あのときは、ボウとしてましてん」
「よう言わんわ」
「年の離れた姉と弟」として、つきあい始めたふたり
さすがに吉本興業の跡取り息子、漫才師のようにテンポ良く切り返してくる。大阪弁でボケたりツッこんだりしながら語るうち、距離はぐっと近くなり親近感が湧いてきた。楽しく会話ができている。波長があう。恋人同士にはなれずとも、年の離れた姉と弟。そんな感じで楽しくつきあえれば……と、期待も湧いてくる。シズ子は弟の八郎を溺愛していた。多少ブラザーコンプレックスの傾向はあったか?
穎右はこの翌日に、和歌山県の海辺に行って海釣りを楽しんでから実家に帰ると言う。シズ子も翌日には次の公演先である兵庫県の相生へ向かう予定だった。
「それなら、大阪あたりまでご一緒に行きましょか?」
そう言って誘ってみる。街ではデートしているカップルの姿などめったに見かけない時代。戦時下の非常時、そういった行動がひんしゅくを買うことは多々ある。もしもマスコミに見られでもしたら「スヰングの女王と吉本興業の御曹司が逢引」なんてスキャンダラスな記事を書かれる危険もあった。そうなったら目もあてられない。
仕事にも響く。それは分かっていた。また、相手もそのあたりのことは理解して、誘いに乗ってこないだろうと思っている。つまりは社交辞令、軽い冗談のつもりだった。
「いゃ、それは……」
やはり、困惑した顔で言葉を濁している。その態度を見て、可愛いと思う。この後、しばらく歓談して穎右は帰っていった。一人で楽屋に取り残されると名残惜しさが湧きあがってくる。
ボケとツッコミの呼吸が合って、どんどん親しくなる
翌日、名古屋駅に行くと、今度はシズ子が困惑する番だった。改札口に穎右がいる。
「やっぱり道連れさせてもらおう思いまして、もう笠置さんの席も取ってあります」
そう言って彼女のスーツケースを抱えて列車へと先導する。レディー・ファーストが身についている。穎右の洗練された行動に心がまたときめいて、9歳の年齢差が意識からしだいに遠ざかってゆく。
道中の列車の中では話も弾んだ。シズ子が冗談を言えば、間髪容れずに気の利いたツッコミが返ってくる。やはり、波長があう。穎右はシズ子が列車を乗り換える神戸まで一緒について来て、荷物の上げ下ろしなど甲斐甲斐しく世話を焼いた。
神戸駅のホームで別れの挨拶をすると、名残惜しさがまた胸にあふれてくる。もっと一緒に居たい。立ち去ってゆく穎右の後ろ姿を見つめる。それは、もはや恋する乙女の目になっていた。
相生での興行を終えて東京の家に戻ると、穎右からの手紙が届いていた。名残惜しい気持ちは相手も同じだったようである。
夏休みが終わって穎右が東京に戻ってくると、シズ子は我慢しきれず一人暮らしの彼の家を訪問した。それを2回3回と繰り返すうち親交は深まってゆく。しかし、ふたりは恋人同士といった感じではなく、傍はたから見ても姉と弟のようにしか映らない。
最後の一線は越えず、親しい友達の間柄で止まっていた。
坊ちゃん気質なのだろうか、穎右はおっとりして優しい性格だったという。それをいいことにシズ子は、「あれを買こうてきといてな」と、横柄な態度で用事を頼んだりする。また、
「なんや、興行師の子せがれの癖に」
などと、小馬鹿にしたような口を聞くこともよくあった。まるで姉が弟をからかうような……それを意識しての言動だったのかもしれない。
恋仲になれば母親の吉本せいに猛反対されることは見えていた
ふたりが恋仲になっても、結婚は絶対に許されない。息子が9歳も年上の女性と交際していると知れば、普通の親でも猛反対する。吉本興業の跡取り息子となればなおのこと。周囲から祝福されることのない関係はいずれ破局する。不幸な結末が目に見えている。それなら姉弟のような親しい関係のままで、いつまでも楽しくつき合うほうがいい。深入りせぬよう予防線を張っていたのだろう。
穎右もシズ子にはファンや友人という粋を越えた恋愛感情を抱くようになっている。
が、自分の立場を考えると軽はずみな事はできない。沸き起こる恋愛感情を抑えて、擬似姉弟の関係がつづく。
友達以上恋人未満。そこから先になかなか進めない。恋愛ドラマではよくあるパターンで、観ている側にはじれったい。あれこれと理由をみつけて行動を起こさないとを正当化するのは、現実世界でもよく見られること。恋に奥手な者たちにはありがちだ。
おそらく穎右がはじめての男だったのではないか
舞台の上では奔放な恋多き女といった印象のあるシズ子だが、これまでの実生活で男の影はなかった。松竹楽劇部時代に恋していたという名家出身のイケメンにも、自分からアクションを起こすことができず遠目に眺めるだけ。やがて男性は他の女性と恋仲になってしまい、それを知った彼女はしばらく不機嫌に荒んでいたという。
おそらく、穎右がはじめての男だったのでは?
彼女を知る友人・知人にはそう考える者が多い。ふだんは気軽に話しかけて人との距離をずんずんと詰めてくるが、恋がからむと腰が引けてしまう。恋愛下手の奥手は、生真面目で潔癖な性格も災いしていたか。
家族や自分を頼る者たちの生活を守らねばならない。その責任感に心を支配されて、色恋のことを考える余裕がなかったという事情もある。その「責任」が穎右との関係を先に進めないことの理由のひとつ。恋愛感情を押し止める防波堤の役割を担っていたようだ。
戦火が激しくなり、明日をも知れないときついに結ばれる
しかし、強固な防波堤もやがては決壊してしまう。昭和19年(1944)3月に「笠置シズ子とその楽団」は解散に追い込まれた。シズ子のマネージャーが彼女に無断で楽団を興行師に転売し、演奏者やスタッフを全員引き抜かれてしまったのである。
信頼していたマネージャーの裏切りはショックだが、大勢の人員を養う責任からは解放されて少し身軽になった。それが引き金になったのか、
「私たちが具體的(具体的)に相愛の仲になつたのは、名古屋で知り合つてから一年半後の昭和十九年の暮でした。サイパンが落ちて、今にも本土の上空に大編隊が飛萊するかとの恐怖の中で、それまで撓めに撓められていた私たちの情炎は火と燃えさかりました。」
姉弟の関係を越えてしまったときのことが自伝に綴られている。お互い我慢をかさねてきただけに、そこから先は関係が深まるのは早い。幸いだったのは、戦局の悪化である。米軍機の空襲に怯える世間には、もはや人気歌手と御曹司のスキャンダルに関心を示すような余裕はなかった。