※本稿は、西出ひろ子『突然「失礼クリエイター」と呼ばれて』(きなこ出版)の一部を再編集したものです。
インターネットで吹き荒れた炎上マナー
本稿では、実際のところ、どんなマナーが炎上しているのか、マナー関連の炎上事例を紹介しながら、それぞれの内容をマナーの専門家の立場で一つずつ検証してみようと思います。
最初にお断りしておきたいのは、マナーには正解がないということです。これについては本書の第8章で詳しく触れていますが、マナーとはTPPPO(Time=時、Place=場所、Person=人・相手、Position=立場、Occasion=場合)に応じて、そのスタイルは変わっていいものなのです。
ですから、ここでの検証内容も、私個人の見解であり、唯一絶対の答えではないということをご了承ください。
1.「押印するときは上司の印鑑のほうに傾けて押す」?
お辞儀印鑑――。炎上ネタとしてメディアからその真偽のコメントを求められ、初めて私はその存在を知りました。これを聞いたとき、正直、言葉を失ったくらいの衝撃がありました。部下が上司の印鑑に対してお辞儀をするように傾けてハンコを押す、ということが押印のマナーとして存在する、というもの。これにはさすがの私も、「そんなマナー、あるんですか⁉」と、逆に質問をしてしまいました。
聞くところによると、大手都市銀行のどこかの部門がこういうルールをつくり、それが噂になって広がっていったということですが、それも定かではありません。ということで、出所もわからないし、マナーを研究してきた私自身が知らなかったくらいですから、これをマナーとして解釈することは難題です。
そもそもこれはその会社、もしくはその部門に限定されたルールだったのではないでしょうか。ある組織内部で決めたことであれば、他者が意見を差し挟む余地はありません。しかし、明らかに一般化されたマナーとは異なるので、もしだれかがこれをビジネスマナーの決まり事として紹介したなら、世間の批判を浴びることになってもしかたありません。なぜなら、マナーとは人に強要するものではないからです。
印鑑大手が開発した“お辞儀印鑑機能”
とくに新型コロナウイルス感染拡大の影響でテレワークが多くなってからは、印鑑そのものの是非が問われはじめており、今では電子決済のシステムに置き換わりはじめています。こうしたお辞儀印鑑ルールは時代とともになくなっていくのだろう……と思っていたのですが、なんと印鑑大手の会社が開発した電子印鑑システムには、印鑑の画像を斜めに表示できる機能がついているという! はたしてそれは遊び心から生まれたのか、企業からのまじめな要請に応えたものかはわかりませんが、手で押す印鑑がなくなっても、案外、このルールは根強く残っていくのかもしれません。
このお辞儀印鑑は、その理由を聞くと「なるほど」と感心しました。とはいえ、実際のお辞儀の角度から印鑑の角度まで決められてしまい、その角度に合っていなければ、何度もやり直さなければいけないのでしょうか。
ビジネスで重要なことは、印鑑やお辞儀の角度がどうこうではないと思う私は、マナー知らずなのでしょうか。
……だとしたら、私にはビジネスマナーを語る資格がありません。
2.「メールのCC、BCCは失礼にあたる」?
CCやBCCの使いかたは難しい面もあります。とくにBCCを日常的に使いこなしている人は少数派でしょう。しかしこの2つの機能そのものが“失礼”というのは、首をかしげてしまいます。そもそもCCやBCCは、メールならではの便利な機能ですから、失礼だ、というならメールのこの機能を否定することにもなりかねません。
ところで、なぜ失礼なのでしょうか。どうやら、一人ひとり別々に出すのが礼儀だから、ということらしいのです……。
これも過剰な気遣いであり、現実的とは思えません。生産性向上に努めているビジネスパーソンがこんな手間をかけてはいられないでしょう。ビジネスマナーとは、それぞれが忙しい状況でいかに相手の立場に立って配慮するかというところが肝であります。仕事の手間を大幅に増やすようなマナーは、ビジネスマナーとは言い難いですね。
宛名の順番は配慮したほうがいいのか
メールのマナーとして一つ、大切なマナーを挙げておくと、相手への敬意を表すために、CCの宛名の順番には配慮するということ。もちろん、これも「そうしなければマナー違反」だということはないし、決められたルールでもありません。そして、この名前の順番を気にしない人もいるでしょう。しかし、日本の会社の幹部には席次にこだわる人が多いのが実情です。これを鑑みたときに、全員が必ず読むような大事なメールは、会議室や宴席と同じように、上位の人から順に名前が並ぶよう配慮することは、決して悪いことではないと思います。
ふだんの仕事でそういう細かいことに配慮ができる人は、ほかのことにも配慮できる人だと評価されます。その積み重ねで、しだいに信頼を得ていく――。一人ひとりに敬意を示したいのであれば、CCやBCCを云々という前に、こういう点を意識するほうが配慮という面においては有効かと思います。とはいえ、時代のなかで、現代はあまりこのようなことを気にしない風潮も高まっています。宛名の順番も気にしないのがマナーとも言えるのかもしれません。
3.「メールに句読点は上から目線で失礼」?
以前、FNNプライムオンライン編集部から取材依頼がありました。内容は「メールに句読点を打つのは失礼なのか?」という質問でした。
結論から言うと、通常のメールのやり取りで句読点を使うのは、おかしいことではありません。どうやら、メールで句読点を打つことが失礼だという記事が出ている、とのこと。では、なぜこんなマナーが流布してしまったのでしょうか。調べてみたところ、火元は確認できず、おそらくはだれかがネットにそういう書きこみをしたのだと思われます。問題は、発信者がその理由について、わかりやすい説明をしていなかったからではないでしょうか。だから、ここまでの物議になったということでしょう。
では、ここから、そのときの取材に答えた私の話の内容を紹介しておきましょう。
ポイントは、昔は、句読点はなかった、ということ。
日本で句読点が使われはじめたのは、明治20~30年代だといわれています。句読点のルールが初めて制定されたのは、明治39年に文部省から示された「句読法案(句読点法案)」。なぜ句読点を打つようになったかというと簡単な話で、句読点があるほうが、相手が読みやすいからです。
つまり相手に対する配慮として生まれたのです。
なぜ「メールの句読点=上から目線」の解釈が生まれたか
海外における英文のカンマやピリオドにも、同様の問題があります。たとえば、ベストセラーとなった『Eats, Shoots & Leaves』(リン・トラス著)においても、マナーとの関係性が記述されています。ところが「『読みやすくする』ということは、相手に失礼なのでは?」と深読みをする人がおそらくいたのです。そこには「句読点をつけないと読むことができないだろう」という見方がベースにあり、それが「相手を見下している」「失礼」と言われる理由につながったのではないでしょうか。
しかし、文部省の案から100年以上も経ち、句読点を打つことが当たり前となっている今、句読点をつけることが失礼……というのは浮世離れしています。こういう類の話題は、食事の席で「へー」と盛り上がる雑学ネタにすればいいものだと思います。
年賀状は句読点を打たないのがマナー
ただその一方で、お祝い事やお悔やみの文面には、句読点をつけないのがマナーとされていることは知っておいたほうがいいでしょう。
句読点が区切りをつけるものだから、切れる、終わる、を連想させるため、縁起が悪いということで、使わないほうがよいとされています。もし手元にあるのなら確認してみてください。結婚式の招待状や後日の御礼状、もしくは喪中ハガキなどは、専門の結婚式サービス会社や葬儀社がつくる際には、句読点が入っていないことがほとんどのはずです。もちろん、これも今後は変わっていくのかもしれませんが、おそらく皆さんも、そうした句読点のないハガキを受けとったことがあると思います。じつは年賀状も句読点を入れないのがマナーとされています。
しかし、だから絶対にそうしなければならない、ということではありません。どうするかは、それぞれの自由です。マナーは、相手もそれを知っていないと成立しない。知らなければかえって「句読点のない失礼な手紙だ」と思われる場合もあるでしょう。
正確なことは学者や専門家に尋ねるのがいちばん
ここまで炎上したマナーについて、実際のところはどうなの? とモヤモヤしているとご質問をいただいた内容のいくつかを例として挙げ、私なりの意見を述べてきました。マナーは歴史やそのときの時代の価値観が複雑にからむので、簡単にいいとか悪いと言えるものではないということが多少はおわかりいただけたと思います。
何度もくり返した通り、マナーに正解はありません。諸説あるなかで何を選び、何を実践するかは個人の自由です。
マナー講師の言うことをすべて鵜呑みにする必要はありません。
マナー講師には国の資格制度もなければ、統一された教育カリキュラムもないのが現状です。自分で名乗ってしまえば、それでマナー講師になれる世界です。マナーを深いものととらえ、幅広く実直に学んでいる人もいれば、そうでない人もいます。だから講師によって言うことがバラバラ、という事態も起きているわけです。
マナー講師はマナーを人に伝える専門家ですが、全員がそれぞれのジャンルに精通しているわけではありません。本当に正確なマナーを知りたいなら、葬儀でのマナーは仏式なら僧侶、神式なら神主や葬儀会社に聞くのがいちばんだし、結婚式のマナーは結婚式場に聞くのがもっとも間違いのない方法です。敬語などの言葉遣いについても、正確な知識を持っているのは言葉を専門に研究している学者たちです。
仏式のマナーを伝えるため、得度を受けて学び続ける
私自身も日々、それぞれのマナーを勉強してはいますが、時代によってマナーは変わるため、すべてを追い切れているわけではありません。時には今の現場を知らずに、以前のマナーをお伝えすることもあります。そういう場合は、葬儀会社のかたや結婚式のスタッフのかたから、お叱りをいただくこともあります。
そのたびにお詫びをして、最近の現場におけるマナーを学ばせてもらうことのくり返しです。ちなみに、葬儀のマナーについての取材が多いこともあり、日本ではもっとも多い仏式のマナーを伝えるためにも、私は2023年に得度を受け、僧名「凛水」として、師匠である、浄土宗西山深草派大本山圓福寺第85世住職の小島雅道上人に師事しています。
仏教は宗教ではなく哲学である
私は本来、組織に属するのは苦手なタイプのため、得度を受け、その宗派に属することに初めは躊躇しました。しかしながら、それ以前に私は小島雅道上人に師事したいと思ったのです。私の職業上、お悔やみのマナーを伝える人としてその道の学びを深めたいと思っていたころ、小島雅道上人は「仏教は宗教ではなく、哲学である」とおっしゃったからです。
私が考える“マナー”について「西出さんの伝えるマナーは、哲学の一種だね」と言われることがあります。そうであれば、仏教の教えは、私の伝えるマナーと通ずるものがあるのではないか、と思いました。そして師匠の小島雅道上人より「古いとか、時代遅れでもない、人として大切な、敬う心を忘れないということを、これからもマナーを通じて、たくさんのかたに伝えてほしいです」とのお言葉をいただき、還暦を目前にさらに精進しよう、と決意しました。
仏教にもいくつかの宗派があり、焼香の仕方などがそれぞれに異なります。先述の通り、同時に正しいマナーを知ったからと言って、それがどんなときでも正解ということはありません。TPPPOによって、マナーは変わります。だから状況に応じて、行動を決めるのは個人である、ということです。
「トンデモマナー」は諸説の1つにすぎない
本稿で紹介したマナーは、「トンデモマナー」、あるいは「謎マナー」などと言われていますが、じつは諸説の一つにすぎないのです。だから伝えられたマナーを型通りに実践するより、その意味を知識として知っておくことがまずは大切です。そうした知識をもとに、その場に応じて臨機応変に使い分けたり、その情報を自分なりにどう解釈し、自分にとり入れるのか否かを決めたりすることが、求められる時代になってきたのではないでしょうか。
さて、これまでマナーを巡る問題にあまり関心がなかったという人も、何かと騒がれているマナーの問題についてだんだんわかってきた、という人もいらっしゃるでしょう。また、これまでマナー講師に対して反感や嫌悪感を募らせてきた人にとっては、これまで明らかにされていなかったマナー講師をめぐる環境や実態を知る機会になり、少し見かたが変わったかもしれませんね。
本書の第3章では、そもそもマナー講師の仕事とはどんなもので、どうやって生計を立てているのかをお伝えしています。興味のある方は手に取ってみてください。