本当に予定通り開催できるのか。2025年4月の開催まであと500日近くとなった「大阪・関西万博」はさまざまな問題が噴出している。建築エコノミストの森山高至さんは「予算は倍増し、国民の税金負担は約783億円にも及ぶ事態になっている。メイン会場の夢州は万博の後に開業するカジノを含む統合リゾート(IR)誘致によるインフラ整備を見込んでいたが、それも暗礁に乗り上げた」という――。
先進7カ国(G7)貿易相会合の各国代表らに2025年大阪・関西万博について説明する西村康稔経済産業相(左端)と上川陽子外相(左から2人目)=2023年10月28日、大阪市北区
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先進7カ国(G7)貿易相会合の各国代表らに2025年大阪・関西万博について説明する西村康稔経済産業相(左端)と上川陽子外相(左から2人目)=2023年10月28日、大阪市北区

万博予算は1250億から2350億円に倍増し税金負担も増加

大阪万博の行方が怪しい。今年に入って2回目の予算超過が発表された。当初の予定金額の1250億円から1800億円に加算されたのが2年前の2020年12月、それが本年の10月には2350億円となった。ウクライナ紛争はじめ資材高騰により予算増大が予想されていたとはいえ、約2倍になるとは、われわれ国民にとっても寝耳に水だ。

しかも万博協会(2025年日本国際博覧会協会)の石毛事務総長も国の西村経済産業大臣、自見万博大臣、それぞれも素人同然に「驚きを隠せない」「精査する」といった当事者意識を欠いた発言を繰り返している。この万博予算は開催地である大阪府市と国、そして経済界の3者で三等分し費用負担することになっている。

つまり、増加した予算1100億円の337億円相当を含め、全体の3分の1、783億円もの金額が国民全体の負担となるのだ。この責任をめぐり批判が高まるなかこれまで「大阪の万博」を強調し続けてきた大阪維新の会も「増額分は国の負担で」と、大阪万博から日本万博にイメージを塗り替えようと躍起だ。

大阪維新の会は「国全体の問題」にしようとしている

岸田首相も「絶対に成功させるべき」と維新の会・馬場代表に応えている。関西経済連合会の松本会長は「内容についてよく確認したい」との発言があり、関西の財界幹部からは「これ以上はびた一文出せない」と不快感を示している。もはや3者の押し付け合いが始まる様相だ。

さらに万博誘致の首謀者である大阪府の吉村知事に至っては「万博協会は説明が不十分」と強い口調で、万博協会に怒りをぶつけたとも報道され、当事者の中心にいながら、まるで被害者のふるまいである。

同時に、予算超過だけでなく大きな懸念材料となっているのが、万博の華といわれる各国パビリオン建設のめどがつかないという事態だ。開催まで600日を切ろうかという時期にもかかわらず、海外パビリオンの万博協会への建設申請が本年7月の時点ではゼロと報道された。

パビリオン(pavilion)その原義は、展示会や博覧会に用いられる仮設の建築物、テントいわば、お祭りの屋台のようなものを示すが、戦後の万博では、特に高度成長期に開催された前回の大阪万博EXPO’70をピークとして、建築の技術発展を背景に最新の素材や工法の見本市のような様相を呈すようになった。各国が斬新なデザインのパビリオンを自国文化の発揚をカタチにしたものとして建設し「万博の華」とも呼ばれる。その各国パビリオンが立ち並ぶ未来都市のごとき楽しげな風景こそが、これまでの万博会場のメインイメージだ。

万博の華であるパビリオンの建設がまだ始まっていない

その各国パビリオンの建設が遅れているどころか、まだ始まっていないという。普段われわれが目にする街の工事現場の進捗しんちょくを考えれば、「着工から1年ほどであっという間に建っている、まだ2年あるではないか」と思われるかもしれない。しかし、建設行為は目に見える工事現場の作業だけではなく、その前の設計デザインや法務対応、許可申請、材料調達、材料加工、工場での部材の組み立て、運搬、現場作業、完成検査、設備やインテリアの設置、といった流れで、工事前後にもさまざまな工程が控えており、現場工事が1年で進むように見えて、実はその1年前から作業開始していなければならない。

それを裏付けるように、スーパーゼネコン清水建設の代表取締役会長で日本建設業連合会の会長でもある宮本洋一氏から本年8月に以下のような悲痛な叫びが発信されている

「正直に申し上げて、いま図面をもらっても、間に合うかわからないくらいですよ。万博は2025年4月開幕なので、その年の1月か2月には完成させないといけない。あと1年半しかないんです」

これは、「設計図をもらっても、許認可や素材手配にも通常ならば、1年近くかかるため、実際の工事期間が1年を切っている」という意味だと受け取れるのだ。

「今からでは開催に間に合わない」というゼネコンの悲鳴

さらに、通常の建築ではなく、万博パビリオンという性格から、各国を代表するデザイナーが、創意工夫にあふれた斬新な造形を模索し、最新の素材や未来を見越した提案を設計に盛り込むため、ひとつひとつの建築の難易度が高くなりがち、通常以上に準備や工事作業が掛かってしまうのが必須だからである。それを見越して、建設会社は「早く設計図を見せてほしい、そこから難易度や仕様を調べて、工事金額の見込みを立てたい」と言っているのである。

つまり、現時点で各国パビリオンの設計が明らかになっていないということは、工事費用はまだまだこれから増える可能性があるのだ。その後、韓国とチェコとルクセンブルグの申請がなされたといわれるが、現在もその手続きは数カ国にとどまっている。

現時点で大阪・関西万博の問題は予算が見えない、会場建設のめどが立たないという2つの大きな問題を抱えたままなのである。端的にいえば、大阪万博が抱える問題は「建設の見込みが立たず、予算と工期が見えない」ということに集約される。

なぜ、このような場所を選んでしまったのか?

それは、IR誘致に万博を利用したからに他ならない。

カジノを含む統合型リゾート施設を誘致しようとしたが…

万博会場に隣接するエリアでは、2030年にIRの開業が予定されている。このIR誘致には、大阪だけでなく、長崎、和歌山、横浜といくつかの日本の都市が候補地として手を挙げていた。IR(Integrated Resort)とはカジノを含む統合型リゾート施設という意味だが、世界中から富裕層を呼び込むためのカジノ施設を施設規模の3%と上限を設けたために、一定規模のカジノ施設のために逆算で大型の施設全体規模を設定する必要があった。

さらには賭博性を伴うということで反対運動や環境への影響を受けにくい、一般の居住エリアや商業ゾーンから隔離可能な空間を想定したことから、市街地から一定の距離がありながらも利便性の高いエリアを模索した結果、大阪では臨海の人工島である「夢洲」を候補地にしたものだ。

おそらく、決定権者が大阪の地図を広げ「使われていない、周囲になにもない土地」を指示しただけだと思われるが、その時点で未活用な土地なのは、「まだ完成した埋め立て地になっていなかったから」という認識が抜けていたのではないか。その場所をIR候補地に選んだうえに、万博誘致で上書きできれば、さらにイメージアップにもつながると、机上で都合よく考えたのかもしれない。

土地を貸すだけのつもりが、インフラ整備もするはめに

当初のIR誘致の条件には、大阪市は土地を貸すだけでIR事業者にインフラ整備も押し付け、税収を使わずして街づくりを行うことを夢想していたようだが、事態は思わぬ方向に動き始めていった。世界中を席巻したコロナ禍の影響で、世界中で多くのプロジェクトが頓挫し国際間移動も困難になった。その影響で、大阪IRに進出予定の事業者の多くが辞退することとなり、MGMリゾーツ・インターナショナル(オリックス・関西地元企業等20社の出資)のみが候補として残っただけである。

結果として当初の目論見であったIR事業者によるインフラ整備は、ほごになっただけでなく、進出条件の中に土地活用の利便性の保障や地盤対策なども押し付けられたカタチとなり、また、条件が整わない場合には契約破棄も可能な特約を付けられてしまっているのである。

IR誘致と万博の抱き合わせが、完全に裏目となっており、本来ならIRのためのインフラに万博が乗っかるはずのものが、万博開催のためにまず、IRの分も含めたインフラ工事や地盤改良工事も先行しなければいけない羽目に陥っている。

では、そうすればよいのか?

それは、万国博覧会とはいったい何なのか? という原点に返ればおのずと見えてくる。

そもそも大阪には過去に作られた万博記念公園などがある

万博の定義をひも解いてみると、「国際博覧会条約」というものがあり、外務省のHPにはその定義が記されている。

いわく、「博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若もしくは二以上の部門において達成された進歩もしくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」つまり、その目的は第一義に「公衆の教育を目的とする催し」ということである。

ならば、その催しは一定の規模をもった公共性の高い場所でおこなえばいいということである。

大阪には前回の万博開催地である万博記念公園はじめ、多くの万博開催を可能にする公共緑地が存在する。そもそも、万博期間は半年程度とされ、パビリオンは仮設建築でかまわない。

1970年に日本万国博覧会が開かれた万博記念公園、太陽の塔
写真=iStock.com/kuremo
1970年に日本万国博覧会が開かれた万博記念公園、太陽の塔(※写真はイメージです)

既存の公園にパビリオンを建てるという逆転の発想が必要

ならば既存のインフラもあり建設のための空地をもった公開緑地を活用すれば、パビリオン建設前での準備工事がいらなくなる。吹田の万博記念公園だけでなく、服部緑地、花博を開催した鶴見緑地、大阪城公園、中之島公園、長居公園、ほしだ園地、蜻蛉池公園、みさき公園など、多くの既存の緑地公園が存在する。それらを活用すれば、今夢洲で抱えている問題の大多数は解決するはずなのだ。

万博の無事開催のためには、この際、IRと万博は切り離して考えなおすことが必須である。

現在の夢洲では木造リングと広場の「大阪万博夢洲会場」にとどめ、他のパビリオンやイベントは大阪府全体の緑地帯に会場を分散設置し、会場を巡るための公共交通機関無料パスを発行、大阪中にある飲食店や商店街をも巻き込んだ、大阪という都市全体を巡る日本の文化として生きた博覧会として、参加各国の誰もが満喫できるような万博にすれば、むしろ起死回生となるはずなのだ。それこそ大阪で開催する大義となるであろう。