※本稿は、竹信三恵子著『女性不況サバイバル』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
20代ライターは仕事を口実にセクハラ行為を繰り返された
フリーランスのウェブライターで、20代のエイコ(仮名)の体験は、「自己責任の束」の怖さを浮かび上がらせる。
国内初の新型コロナウイルス感染者が確認された2020年1月、エイコは都内の心療内科に足を運んでいた。セクハラによる重い抑うつ状態に陥っていたからだ。発端は前年の2019年3月。自身のホームページの連絡先に、エステ会社の経営者という男性から、自社のPR記事を書いてほしいとの依頼が来た。やがて、ほかの仕事は断ってその会社の専属になり、ホームページ向けの執筆や閲読順位を上げる対策を担当してほしいと誘われた。その間、仕事を口実に体にさわるなどのセクハラ行為が繰り返された。
当初、男性は、エイコの仕事ぶりをほめていた。ところが、報酬の支払いを持ち出すと一転、「仕事の質が低い」などと叱責するようになり、以後2カ月分の報酬は払われないまま同年10月、エイコは体調を崩し、契約は解除された。「専属で」と言われてほかの仕事を断ってしまったため、収入は途絶えた。「フリーランスでやっていくには男を手の平で転がせるようにならないと」とも打ち合わせのたびに男性に言われ、セクハラ行為などを外部に訴える気力は削がれていた。
2カ月分の報酬は支払わず契約解除されてうつ病に
親の家に同居していたため、仕事を打ち切られてからも住む場所はなんとかなった。だが、親の気持ちを思うとセクハラ被害に遭ったことは打ち明けられず、生活費は自前で出し続けた。そんななかで口座の残金は底をつき、生活費を引き落としていたカード会社からの催促が相次いだ。国民健康保険の保険料も払えなくなり、診療代への不安から病院に行けず、不眠などの抑うつ状態は悪化していった。
雇用者なら健康保険から傷病手当があるが、フリーランスなどが加入する国民健康保険には傷病手当が原則として、ない。コロナの感染拡大のなか、「労働者」である非正規雇用のコロナ感染をめぐっては自治体の傷病手当に国が財政支援する特例措置が取られたものの、「自営」とされるフリーランスは対象外で、フリーランスの状況に配慮した一部自治体だけが単独予算で傷病手当を支給した。
また、雇用されていれば、全額企業が負担する労災保険の適用を受けられる。2010年に派遣女性が起こした労災行政訴訟を契機に、セクハラによるうつなどの健康障害も労働災害と認定されるようになった。だが、フリーランスは原則、労災保険も対象外だった。このままではだめになる、未払い報酬の回収くらいはできないか、とエイコは体を引きずるようにして行政の労働相談窓口に出かけた。
「フリーランスは自営扱いだから労働相談の対象外」
ここでも、「フリーランスは自営扱いだから労基署や労働局による相談の対象外」と言われ、労組を紹介された。その支援で、なんとか会社に対して報酬の未払い分を請求し、2020年1月の通院にもこぎつけることができた。2020年7月、体調不良を押して取引先の会社と男性にセクハラ慰謝料と未払い報酬の支払いを求める訴えを東京地裁に起こしたエイコは、2022年2月の最終意見陳述でこう訴えた。
2022年5月25日、東京地裁はそんなエイコの訴えに、勝訴判決で応えた。
「会社は下請けの社員や派遣社員など、直接雇用契約がなくても社内で働いている労働者の安全に、配慮する義務がある」としたこれまでの判例を、フリーランス女性のセクハラ被害にも広げた画期的な判決だった。
30代のシングルマザーは子どもの休校補償を受けられず困窮
ライターや「個人事業者」扱いのキャバクラ女性、演劇人などは「フリーランス」に当たる。政府の「フリーランスとして安心して働ける環境を整備するためのガイドライン」(2021年3月26日)で、「実店舗がなく、雇人もいない自営業主や一人社長であって、自身の経験や知識、スキルを活用して収入を得る者」と定義されている働き方だ。
フリーランスは第二次安倍政権の「働き方改革」で推奨されてきた。だが、コロナ禍では、仕事の発注が途絶えても「自営であって労働者ではない」として、生活を支える仕組みがきわめて乏しいことが露わになった。コロナ禍は、そんな経済面での自己責任規範に加え、女性を直撃するもうひとつの自己責任規範を浮かび上がらせた。「フリーランスの育児やセクハラ被害は個人の問題」という規範だ。
2022年4月。30代のシングルマザーで、フリーランスとして演劇関係の裏方の仕事を手掛けてきたチナツ(仮名)は、個人が(子どもの)休校の際の補償を申請できる「新型コロナウイルス感染症対応休業給付金」の利用を諦めかけていた。フリーランスの就業実態に合わない証明書ばかりが求められ、近いと思われるものを何とかようやく集めて送ったら、要件に合わないとして差し戻されてきた。しかも、多くのフリーランスには存在しないような書類を、追加して送るよう求められたからだ。
自営業でも申請できる「給付金」に希望を見いだしたが……
演劇、ライター、ヨガなどのインストラクター、演芸、音楽家といった仕事は、フリーランスで働く人が多い。2020年3月のコロナ禍の第1波のなかで対面制限が始まり、これらの分野の仕事は、ほぼ停止状態になった。小中学校などの一斉休校措置で働けなくなった親のために創設された「休校等助成金」からも、フリーランスは「自営業だから」と除外された。追い詰められたフリーランスたちが結束し、関係業界団体や関係労組を通じて政府に働きかけ、フリーランスが個人として申請できる制度としても、先の「給付金」が設けられた。
「雇用者の半額」という格差に疑問の声も上がったが、こうして登場した支援金は、小学生の子どもを抱えるチナツには貴重な命綱に思えた。第一次緊急事態宣言が出た2020年4月から5月にかけ、チナツが関わるはずだったプロジェクトは感染防止のため立ち消えになり、以後、収入が途絶える期間が増えて貯蓄を取り崩す日々が続いたからだ。
必要書類がフリーランスの実態に合わないものばかり
だが、この時点では申請せずに終わった。まず、「業務委託契約等の締結日は学校休業等の開始日よりも前の日でなくてはいけない」とされたルールが壁になった。
口約束が多い業界で、契約書を交わさない仕事も多い。1カ月や2週間程度の助っ人的な業務応援もあるが、こうした依頼は、休校の最中に急に来ることも多く、子どもの休校で断わらざるを得ない。「休校前の契約」という条件には合わないと思った。
第2波以降は仕事が戻り始めたものの、2022年の第6波ではそれまでにない急激な感染拡大が始まり、感染者は初めて10万人を突破した。子どもの感染の急増に、チナツもついに、この制度を利用しようと決意した。だが、先述のように、書類を差し戻されたばかりか、「業務遂行予定日がわかるシフト表」や「三カ月分の報酬の明細」「発注者が業務の取りやめを承諾したことが確認できる書類」が追加請求された。
フリーランスは取引先の電話1本で拘束期間が決まる働き方が多い。「シフト表」などは見たことがなかった。「三カ月分」と言われても、報酬はプロジェクト単位で一括払いの場合もあり、入金が毎月あるとは限らない。売り上げ台帳なら出せるが、これも要件に合わないと突き返されるかもしれない。業務取りやめも電話1本の通告が多く、仕事を発注してもらう立場である関係から取引先に面倒な書類を要求することは気が引けた。
フリーランスという自由を選んだら無保障は我慢すべき?
役に立ったのは、複雑な書類なしで個人事業者に対し上限100万円まで支給された持続化給付金だった。だが、これは不定期で次にいつ来るかわからず、長引くコロナ減収を支え切れない。「母親支援にはほど遠い。フリーは自力で踏ん張るしかないのか」とチナツは言う。
このような訴えに、会社員からは「やりたい仕事で自由に働けるんだから、不安定なのはしようがない」という反発がしばしば起きる。
だが映画業界で働くフリーランスは、「やりたい仕事で自由に働く人」というより、「複数の会社をまたぎ、不定期な労働時間で働くことを求められるような業界で働く人」にすぎない。身一つで働き、会社の指示に逆らうわけにはいかない点では会社員と変わらない労働者だ。だが、会社員のような長時間労働を防ぐ規制はなく、求められれば365日24時間でも働き続ける。手当も込みの固定給制度が多いため、労働時間で割ると最低賃金を下回ることもある。
究極の自己責任論がまかり通り、フリーの立場は弱い
そんな「究極の自己責任」の世界では、図表3のように、産休手当や育休手当をはじめとする働く女性のための保護もほとんどなかった。その結果、業界では出産を機にやめる女性も多く、技能のあるベテラン女性が育ちにくい。
労働時間規制などの生活や健康を守るルール、仕事を失った時の最低限の支えは、どんな働き手にも必要なはずだ。それが、フリーランスの働き方に見合う形では整備されてこなかった。一斉休校に伴う補償制度の要件が実態に合わないのも、根底に、そのような「すべての働き手を守る」という発想がないからではないのか。
しかも、女性の場合にはここに「家計補助論の壁」が加わる。わかりやすい例が、休校に伴う補償が雇用者の半額とされた時のフリーランス協会の見解だ。ここでは「休校理由でお仕事を休業している方の大半が女性であり、家計の担い手ではない」などの実態から「総合的に勘案すればフルタイムの会社員と同等の休業補償はtoo much」(「フリーランス協会」ブログ、2020年3月17日付)と、半額もやむなしとも読める記述がある。
「妊娠を告げたら仕事を切られた」と横行するマタハラ
そんな公助の不足は、ハラスメント防止策の弱さにもつながる。2019年、日本マスコミ文化情報労組会議フリーランス連絡会や日本俳優連合、フリーランス協会などが行ったフリーランスへのハラスメント共同実態調査では、自由記述欄に「妊娠を告げたら仕事を切られ代行者を用意するよう言われた」(スポーツインストラクター)、「仕事をしたいなら妊娠するなと言われた」(プロデューサー)など、多数のマタハラが報告された。また、回答者の3割がセクハラ被害を訴え、なかにはレイプ被害もあった。
にもかかわらず、マタハラを規制する育児介護休業法などは労働者が対象であり、また2020年6月から施行されたハラスメント防止関連法によるセクハラの規制強化でも、フリーランスは「配慮が望ましい」という指針にとどまった。
過酷なフリーランスという働き方を政府は保護できるか
コロナ禍は、フリーランスの過酷さを浮かび上がらせた。批判のなかで、2021年9月からは建設関係の一人親方などに対する労災保険の「特別加入」の対象が、ウーバーイーツのような宅配を含む一部のフリーランスにも拡大された。特別加入の保険料は、「労働者」と異なり自費負担であるため、低収入のフリーランスから、加入は負担が重すぎるとの批判も出ている。とはいえ、「保障までフリー」の状態に、政府も何らかの手を打たざるを得なかった動きとして注目される。
2021年11月8日、岸田政権の「新しい資本主義実現会議」はようやく、「緊急提言」に「コロナ禍では、フリーランスの方々に大きな影響が生じている。フリーランスとして安心して働ける環境を整備するため、事業者がフリーランスと契約する際の、契約の明確化や禁止行為の明定など、フリーランス保護のための新法を早期に国会に提出する」という内容を盛り込み、2023年4月、「フリーランス新法」(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)が成立した。
自身もフリーランスの編集者で、「出版ネッツ」(出版関連のユニオン、正式名称はユニオン出版ネットワーク)執行委員としてエイコの裁判を支えてきた杉村和美は判決が出た当時、「セクハラやマタハラの防止措置などは、どの雇用形態の女性にも必要。『緊急提言』にあるような自営業としての契約の明確化だけでなく、働き続けるためには最低限必要な保護措置を、フリーランスにも広げてほしい」と語った。コロナ禍の下で噴出した「自由な働き方」をめぐる女性たちの体験と異議申し立てが一つの束となって、「自由な働き方」に安心を求める動きが加速し始めている。