※本稿は、石山恒貴『定年前と定年後の働き方 サードエイジを生きる思考』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
「たそがれ研修」はシニアのためを思って実施されるが…
組織側のシニアへのエイジズムの悪影響を端的に示す例が、たそがれ研修だ。たそがれ研修とは、主に50代の社員に向けて、今後のキャリアを考えてもらうために組織が実施する研修の通称である。組織側はキャリア研修という名称で実施するのだが、研修の通知を受け取った社員は「とうとう自分にも、たそがれ研修の通知がきた」と嘆息するという噂が流布している。
たそがれ研修に関しては、組織側が良からぬ意図をもって実施するわけではないと思われる。むしろ組織としては、今後のシニアの参考にしてもらおうと、良かれと思って実施することが多いのではないか。しかしそこに、組織側の無意識のエイジズム(アンコンシャス・バイアス)が絡むと、意図と異なる悪影響が生じてしまう。
ある大企業のキャリア研修で本当に起こったハプニング
筆者の知り合いのキャリアコンサルタントの例を紹介しよう。その方は非常に熱心なキヤリアコンサルタントで、またシニアのキャリアにも造詣が深く、優れたキャリア研修を実施している。ある日、有名な大企業に依頼され、50代社員向けのキャリア研修を行った。1日かかる研修だったが、受講者は熱心に参加し、手ごたえがあったそうだ。研修が終わる夕方には、明日からあらためて頑張ろうと意思表明し、前向きな姿勢になった受講者が多かったという。
いよいよ研修の終了時点、わざわざ社長が締めの挨拶に来たそうだ。社員の人数も多い大企業だから、これは素晴らしいことだと思う。シニアへのキャリア研修を社長は重視していたという姿勢の表れだろう。そこで社長は「1日の中では、その日の終わりを告げるたそがれ時が一番美しい。私は人生の中でも、人生の終盤である、たそがれ時が一番美しいと思う。たそがれ時を迎えたみなさんは、人生の中で素晴らしい時期にいると思う」という趣旨の挨拶をしたそうだ。それまで、明日から頑張ろうと明るい気持ちでいた受講者たちは、「やっぱり、これはたそがれ研修だったんだ」とやる気をなくしてしまったそうだ。
「もう頑張らなくていいよ」というメッセージが伝わってしまった
この社長が、50代社員向けのキャリア研修の通称が、たそがれ研修であると知っていたかどうかは、わからない。またこの社長は、受講者を励ます意味で、良かれと思ってこの挨拶をしたのだろう。だからこそ、一層問題だろう。社長は無意識のうちに、シニアとは終盤を迎える存在だと考えている。そこにはシニアとは、サードエイジを迎えて新しい活躍を始める存在という認識は低いだろう。そのため受講者たちには、「もう頑張らなくていいよ」というメッセージが強く伝わってしまった。これは、組織側の無意識のエイジズム(アンコンシャス・バイアス)による悪影響とみなすことができよう。
キャリア研修の内容自体にも、意図せざる悪影響があるかもしれない。筆者とパーソル総合研究所が、40代〜60代のミドル・シニア2300名に実施した調査では、マネープラン研修は、ミドル・シニアの活躍を阻害する影響があるという分析結果が出ていた。企業がミドル・シニアにマネープラン研修を実施する意図は、退職金、定年後の社会保険、年金の実態も理解したうえで、将来に向けたキャリアを考える参考にしてほしいということだろう。そのため、50代社員向けのキャリア研修の一部にマネープランが組み込まれる場合もあるだろう。
企業は定年後のためによかれと思っても、やる気がダウン
これは組織としては、社員に良かれと思って実施していることだ。ところが社員側が受け取るメッセージは違ったものになる。定年後の年金の状況や、その場合のマネープランのコツを綿密に伝達されることで「定年後のお金をしっかり考えろということは、組織は自分に働き手としては期待していないんだな。ここで働くことよりも、老後の生活設計を考えなければ」と考えてしまうかもしれない。そうなるとやる気がなくなり、低い成果へと自己成就することになりかねない。また、これが50代社員向けのキャリア研修が、たそがれ研修と呼ばれてしまうゆえんだろう。
組織としては、無意識のエイジズムの存在に気をつけるべきであろう。特にキャリア研修の設計については、意図が誤解されないように点検する必要があるだろう。たとえば従来のマネープラン研修は、退職金、定年後の社会保険、年金という会社を辞めた後のことに焦点をあてていた。しかし最近は、NISA、iDeCoなどによる生涯資産形成に焦点をあてたマネープラン研修が登場しているそうだ。こうした内容の変化があると、社員側が受け取るメッセージは変わっていくと考えられる。
役職定年と定年再雇用が引き起こすエイジズムとは?
役職定年と定年再雇用の対象となるシニアの仕事への熱意は、一律で低かったわけではない。そこには個人差がある。また、定年再雇用によって、シニアに自己調整が生じていた。言い換えれば、シニアがサードエイジに適応して生きるためのきっかけになっていた。また、役職定年には、キャリア・シフト・チェンジのきっかけとなり、シニアが自身を振り返る重要な機会になる効果が存在するという指摘がある。役職定年にも、自己調整を促す特徴があると考えられる。このように役職定年と定年再雇用という仕組みには、シニア個人にとって望ましい効果はある。
ところが同時に、役職定年と定年再雇用によって引き起こされてしまう組織のエイジズムもあると考えられる。当研究室のゼミ生の近藤英明さんの修士論文では、このあたりの微妙な部分を、インタビューによってうまく描き出している。
役職定年や定年再雇用の後もモチベーションは上がる
この研究では、役職定年と定年再雇用を経験したシニアを、それぞれ5名ずつインタビューしている。特徴的だったことは、シニアのワークモチベーション(仕事への動機・意欲)は、図表1のようなU字型をたどるパターンが多いことだ。
役職定年や定年再雇用になり、当初は衝撃を受ける。その結果、やる気はなくなり、場合によってはメンタル(精神状態)の不調を引き起こし、U字型の底を這う時期が長く続くこともある。しかし、その状態に適応しようと試行錯誤する中で、新しい仕事の醍醐味を見出す、周囲から頼りにされる、上司の親身なサポートを受けるなどの理由によって、ワークモチベーションが徐々に向上していくのである。その結果、仕事の価値観が変わるなど、自己調整がうまくいった例もあるようだ。
この研究では、結果的にはうまく自己調整できて、役職定年と定年再雇用に対応できているシニアの姿が描かれている。それ自体は望ましいことなのだが、問題は、U字型にワークモチベーションが落ちていく状態だ。ここでは、組織や周囲が役職定年と定年再雇用の対象であるシニアに期待しなくなるというエイジズムの状況が示されている。
役職定年以降の社員は正当に人事評価してくれないという不満
シニアに期待しなくなるというエイジズムとは、具体的にはどのようなものか。この点については、当研究室のゼミ修了生の水元孝枝さんの修士論文が詳しい。この研究では50歳以上のシニア社員15名にインタビューをしている。
シニア社員が特に問題だと指摘しているのは人事評価の問題である。45歳以降、あるいは役職定年の55歳以降は、組織側はシニア社員に対して、正当に人事評価してくれないという不満が多い。人事評価の実質的な対象範囲は若手社員だけだというのだ。45歳から定年再雇用の終了時期である65歳まで20年もあるのに、その間は評価せずに放置されるのはおかしいという不満も見受けられた。
組織側から人事評価を正当にしてもらえないという不満は、組織からの自分への期待の低さを実感することにつながる。そして、組織での自己の存在意義が感じられなくなるという。これこそ、まさにシニアの低い成果の自己成就へとつながる状況であろう。
企業や組織がシニアを評価しない2つの理由
組織はなぜシニアに対する人事評価に真剣に取り組まないのか。その理由は2点あると筆者は考える。第1に、組織が人事評価の目的を、昇進(それに付随する上昇傾向の賃金)の決定にあると考えていること。組織としては、若手・中堅社員が昇進し賃金が上昇していく中で、それを公正に判断することには関心が高いだろう。しかしシニアになり賃金の上昇が止まり、役職定年と定年再雇用においては年齢で一律に賃金が減額されるという状況では、人事評価をする必要がないと考えてしまうかもしれない。
第2に、組織がシニアには技能継承を期待するが、第一線の仕事は期待していないこと。組織としては、技能継承のような間接的な貢献は、短期間で組織の業績に結びつくわけではないし、明確な判断を行いにくいので、人事評価をすることに前向きでなくなってしまう。
しかしこうした組織の姿勢は、従来の福祉的雇用を前提とした固定観念に囚われたものといえる。また、それは組織側のシニアへのエイジズムでもあろう。シニアに第一線の仕事を担ってもらい活躍を期待するのであれば、昇進し賃金が上昇していく状況でなくとも、その都度の仕事ぶりを適切に人事評価することが必要だろう。組織が正当に人事評価してくれているとシニアが受け止めれば、それは組織が自分に期待しているという受け止めにつながるだろう。